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ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

萌黄色の季節・・・・・・・・・・・・・・・・(1/2)

2010-05-09 | Weblog

寒河江市平塩  中世城館址(≒1450~1584年)山崎楯裏山

同上 最上川に架かる高瀬大橋  山崎楯址(正面手前の丘陵)

りんご畑と山崎楯址 たて堀址


5月5日号 「市報さがえ」

中世城館址 「山崎楯 たて堀跡が現れた」

珍しい記事が掲載された


ハイキングがてら 早速探索に

残雪の葉山と山崎楯址の裾野に広がる田園風景

山崎楯址裏山

同上


寒河江市民の中で

山崎楯址の存在や

歴史を知る人は

稀有かも知れない


私自身 この度の市報を読んで

山崎楯址の存在を

初めて知った


楯址の案内板らしきもの

どこにも見当たらず・・・・・・・・・・・・・・・


山崎楯址 丘陵左手の頂


砂利敷きの曲がりくねった道

軽トラック1台が

やっと通れるような細い山道

遥か向うまで ず~と続いていた


山裾から湧き上がる

生まれたての 

白~い綿雲


地上を覆い尽くす

めくるめく萌黄色をした

不思議な世界


丘陵を駆け巡る

溢れんばかりの

やわらかな陽春の日差し


萌黄色の季節・・・・・・・・・・・・・・・・・

が 今やっと里山に巡って来た


畑で一人

農作業をしていたおばあちゃんがいた


楯址がどの辺りにあるのか

ちょっと尋ねてみた


地元の人にも

あまり知られていないようで

期待したような

いい答えは返って来なかった


麓から見た山崎楯址の

裏山を目指し 

そこから更に 山道を登った

山崎楯址裏山

同上

葉山

月山

同上 山崎楯址石標


眼下に寒河江市北西部の街並み

遥か彼方 残雪に白く輝く

葉山 月山の峰々

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山道から外れ およそ10分


緩く長く曲線を描いて

どこまでも続く

萌黄色に染まった丘陵


頂上を目指し

更に斜面を登った


暫らくして・・・・・・・・・・・

頂上らしき処に出た


背後は鬱蒼とした竹林に

覆われていた


全く見通しが利かず

薄気味悪い処だった


そこだけが平坦で 何もない

猫の額ほどの広さだった


およそ 南北十間×東西十五間

長方形をした

極々狭い 

台地のような処だった


「山崎楯址」

高さ≒1m

黒御影石で造られた石標が

ひっそりと建っていた


安土桃山時代以前の

中世の山城といわれるものは


四方に石垣を張り巡らせた

堅固な造りをした

要塞ではなかった


県内にある 左沢城や白鳥城などの

中世の山城にも

山崎楯と同じような遺構が残っている


中世の山城に見られる

いわゆる「たて堀」


楯の頂上を目指し

侵攻する敵陣


たて堀は

山の頂上に向かって斜面に

造られた堀のような道


敵陣をわざわざ登りやすくする為に掘った

一種の罠である


罠にかかった敵陣は

頂上近くに誘い込まれ

腰曲輪(こしぐるわ)という狭い平坦地で

一網打尽にされた


140年間続いたこの山崎楯


戦国武将 出羽の守最上義光

侵攻の前 戦わずして

八代楯主 山崎大学頭忠勝は

大江町貫見に落ちて行った


このたて掘りは

実戦に供された事が

1度もなかったのかもしれない


以後 寒河江十八代城主 大江高基が

同じく最上義光に追われ

貫見にて自刃


寒河江領主 大江家はここに滅亡した


四百年の長い時を経た楯址

そして 「たて堀」の址・・・・・・・・・・・・・・

山崎楯頂部竹林と石標

※ 竹林に葉擦れし音色ザワザワと遥か昔の兵禍の如し

風に騒ぐ竹林

ザワザワという葉ずれし音色

兵共の

遠い昔の微かなざわめきのようにも

聞こえて来た・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

山崎楯裏山から中山町を望む


同上 溜め池と蔵王連峰

同上 溜め池を挟んで山崎楯頂きを望む

同上 満開を過ぎたばかりの山桜


里前では既に大半の桜が散ってしまった

里山の中は少し遅れて 

まだ見頃だった


五月晴れの青空

手の届きそうな白い雲

地上を染める

萌黄色の眩い世界

所々 薄紅色した桜の花が

通り過ぎる

風に揺れていた


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く