ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

空即是色・・・・・・・・・・・・・・・(2/5)

2011-10-25 | Weblog

2011/10/12 大震災で壊滅的被害を受けた女川町中心部

2011/10/12 女川町 町立病院
津波は高台(海抜15~6m)にある町立病院≒1.5mまで達した

2011/3/11 津波到達時の町立病院の様子(Utubeより転載)

同上 震災前の女川町

震災後 同上 女川町中心部

津波で倒壊したRC造建物 津波はPC製杭をも引きちぎった まさに得体の知れない巨大津波の持つエネルギーが残した痕跡

同上

同上

同上

同上

同上 女川魚市場より町の中心部を見る
対岸から見る町立病院 とても津波が到達する筈の無い高さのように思えた


女川町の全てが失われていた


石巻市の震災被害 犠牲者約3000名

被害は甚大だった

目で見る限りでは 

沿岸部の一部に限られていた


女川町は違っていた

町が廃墟と化していた


一瞬 街のすべてが消え去った

異常な光景を目の当たりにして 

茫然自失の長い時間が過ぎて行った


眼下に広がる女川町の光景が

以後 北上する三陸海岸沿いの街々

で目にする更なる惨状の 

ほんの一部の序奏に過ぎなかったとは・・・・・・・・・・

その時の私に 知るよしも無かった


なにやら晴れぬ・・・・・

胸の痛みを抱えたまま

女川町の中心部を後にした
 

くねくねと曲がった見通しのあまり利かない

海沿いの細く急な勾配の続く

山道を北上 


暫らくすると 

女川湾と町全体を見下せる

眺望の開けた高台の前に出た


前回の旅でも立ち寄った場所だった

震災後の女川湾 外海と内湾を仕切る巨大防波堤 全て水没 僅かに2本の航路灯だけが残っていた


目眩く朝の光の中

眼下に広がる コバルトブルーの海

なんと穏やかな表情をしているのだろうか

何故にこの豊饒なる海が・・・・・・・?


人々は その日一日だけの

ささやかな幸せに 

誰もが満ち足りた想いを抱き

貧しく ひっそりと暮らして来た筈なのに


全ては海に始まり

全ては海に終わる


そんな単調な日々の繰り返し

が彼らの幸福な1日であった


嗚呼 なんと理不尽な海の仕業であろうか


何故にことごとく全てを

奪い去ってしまったのだろうか・・・・・・・・・・?


たったひとつだけ 叶う願いがあるとするなら

あの日の出来事が どうか悪夢であってくれ

いつかその悪夢から目覚めさせてくれ・・・・・・・・・・・・・・・・・



華やかなショッピングアベニュー

煌びやかなネオン

そこには何ひとつなかった



「どちらから来られたのですか・・・・・・・・・・?」

と不意に一人の若者に問いかけられた


見晴台には 私より先に3人の若者がいた


道端に 京都NOの車が停まっていたことは

既に知っていた

3人は遠くに見える女川町を双眼鏡で眺めていた


私・・・・?   山形からです


それから若者3人といろいろな話をした


彼らが一週間仮設住宅でボランティアをしていた事

大阪から仕事を休んで来ている事


そして 何よりの驚き

彼ら三人共 

皆私と同じ建築設計の仕事していたことであった


私は三人の若者を前にして

いつの間にか年甲斐もなく

都市・建築・災害 人々との関わり

そして復興の道程・・・・・・・・・・
 

胸に秘めた想いのままを

語っていたのだった


しかし いくら思いのほどを熱く語っても

自然の脅威の前にはいかなる人間の所作(建築)

もただただ無為に等しいという

暗闇のような無常感が漂っていた


これから先 設計を業として生きていこうとしている若者3人

震災から得たいくつかの尊い教訓

きっとこの先

何らかの形で生かされていくだろうと

私は秘かに確信した


女川湾を見下ろす高台の公園で

それぞれの名前を教えて貰い

まもなく三人の若者と別れた


女川町を出ておよそ15分

小さな漁港の集落に立ち寄った


かって数十軒の家々が立ち並び

人々の暮らしがあった筈なのに


高台にあった住宅1軒のみが残った


2011/10/13 御前浜

同上 右上の高台に建つ1軒の住宅のみが被災をまぬがれた

同上

同上

同上

2日目の早朝 女川町に入る前

万石浦に建つ「銀河の館」に立ち寄った

2011/10/12 石巻市万石浦 「銀河の館」

同上

同上

僅か2〜3km離れた石巻市は大きな津波の被害を受けた

万石浦は幸い最小の津波被害で済んでいた

「銀河の館」も被災をまぬがれた


まさしく私のアバターは

震災を切り抜け 生きていた

きっと辛かったろうに・・・・・・・・・


設計にあたって 建物のオーナーが

私に最初に注文してきた事があった

津波対策だった


それゆえ 1Fの床高が2.5mにしてある

しかし この辺1帯は地盤沈下が激しく

海面の高さと陸地の高さが

ほとんど同じになってしまっていた

大潮や台風時

石巻市渡波地区は今でも海水が入っている

同上 万石浦


柔らかな秋の日差しがいっぱい降り注ぐ

目の前に拡がる万石浦


海苔 ワカメ 牡蠣 の養殖 

そしてたくさんの種類の魚


まさにこの浦は太古の昔から

万石の米にも値する

海の宝庫であった


震災の爪痕など 

見た目にはどこにもなかった


海の香がほんのり薫る さわやかな潮風

が通り抜けた


穏やかな水面

牡蠣の稚貝を引き上げる

小船が3艘


黙々と作業を続ける漁師


まるで逆光の世界に映る

漆黒の影絵のようであった


2011/10/12 石巻市雄勝町中央公民館
雄勝町の被災のシンボルとなっている 公民館の屋上に乗った大型バス

同上 雄勝湾と町の中心街

同上 湾岸沿いの集落

同上 集落跡

同上

同上

同上 雄勝町立病院
3階建てのRC造の町立病院も被災した

人気のない建物 震災後火災が発生したのだろうか 建物は黒く煤けていた

津波で3階までの窓ガラスが壊れ 残されたカーテンだけが潮風にむなしく揺らいでいた

同上 町硯資料館中庭
公共建築物の内部は今でも震災当時のままの姿をとどめていた

同上 同上内部

街のあちこちにうず高く積まれた瓦礫の山

瓦礫の山に 2〜3台の重機が

ガ^ガーと鈍いエンジン音を立てて

ガレキを掴んではクルッと素早く回転し

大型ダンプの荷台に積み込んでいた


いつ終わることとも知れない位 

膨大な量の瓦礫の山


家並みを全て失ってしまった

白っぽい乾いたアスファルト道路


人の気配は何処にもなかった

大型ダンプカーがもうもうと土埃を上げて

ひっきりなしに往来していた


石巻市に入る前 

以前ブログで紹介した 

矢本町にあるS氏の自宅を訪問した


みなし仮設住宅ということで

民間のアパートを借りて夫婦2人で

元気に暮らしていた


いろんな話をしてきたが

彼らに将来に向かった明るい眼差しは

見られなかったような気がした


唯一 故郷の雄勝の高台へ

集団移転する話が

ボチボチ出始めていて

将来は(早くても2〜3年後になるだろうと言っていた)

またふるさとの雄勝に戻って住みたいと

そう話してくれたのが

せめてもの救いであった


S氏が生まれ育った雄勝

町の中心部の集落で 被災を免れた民家はわずかに4〜5軒

あとは全てを津波に破壊され尽くされてしまった


商店街も学校も病院も役場も消防署も・・・・・・・・

ありとあらゆるものが流されてしまった

2011/10/12 雄勝湾

同上

雄勝湾は

震災前と何ひとつ変わらず

青い海は穏やかに

時を刻む振り子のように

波に揺れ

見えぬ時間を刻んでいた・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く


空即是色・・・・・・・・・・・・・・(1/5)

2011-10-17 | Weblog

①東日本大震災前 2008/4 陸前高田市 高田の松原

「遠き浜寄せては帰す白波よ 愛しき人は海に眠らん・・・・・・・」       

※ 3年半前この浜で詠んだ歌を少し読み替えてみました


①東日本大震災後 2011/10/13  同上(震災前の①と同位置 緩やかに孤を描いて伸びる砂浜と波静かな青い海 そして遥かな碧い空 明治以来 先人達に続いて市民が大切に守り育んで来た陸前高田市の名勝地であり 憩いの場所でもあった 高田の松林の面影は今はどこにも見当たらなかった)

②東日本大震災前 2008/4 陸前高田市
街道筋の旧市街地 古い町並み

②東日本大震災後 2011/10/13  同上(震災前の②と同位置 T字路の道路と正面の山と杉木立を見比べてください)

③東日本大震災前 2008/4 陸前高田市
蔵屋敷が立ち並ぶ古い町並み

東日本大震災後 2011/10/13  同上

東日本大震災後 2011/10/13  同上

東日本大震災後 2011/10/13  同上

東日本大震災後 2011/10/13  同上 (市の中心部にある 学校 市庁舎 病院 商店街 住宅街・・・全ての建物が津波の被害に見舞われた 被災前人口≒23000人 街は壊滅状態に等しい 被災された多くの市民はいったいどこで暮らしているのだろうか・・・?  東日本大震災で最大の被害を出した街のような気がした) 

東日本大震災後 2011/10/13  同上 (姉羽橋 橋脚のみが残り橋桁はすべて流失 遠くに高田の松原で唯一残った一本松が見える)


十月十一日 以前から計画していた

東日本大震災の被災地を訪ねる旅に出た


3年半前に旅したコースと同じ道を辿ってみたかった

(2008年4月16/17日のブログに掲載)


10月に入ってすぐにでもと 思っていた


しかし いざ出発となると

1週間もの長き間 家を空けるチャンスは

なかなかそう簡単には 巡って来てはくれなかった


十月十一日 朝十時出発

震災から丁度7ヶ月目を過ぎた日であった

2011/10/11 東松島市

同上

同上

今回の震災で 大勢の犠牲者を出した東松島市


6月 仙台市近郊の蒲生地区の被災地

を初めて訪れた時に目にした状況

とよく似ていた


住宅の外形はそのまま残っていたが

誰一人住民を見かけることは出来なかった

地盤沈下が激しく

おそらくほとんどの家は修復不可能であろうと思われた


いや・・・・・・・

例え修復出来たとしても

人々がこの惨禍を目の当たりにして

再びいつ襲ってくるかも知れぬ津波の恐怖に

きっと耐え切れないであろうと確信した


仙台と石巻を結ぶJR仙石線

レールはすべて撤去

この度の津波に襲われた地域から

ルートを外す検討がされているそうだ

いまだ復旧のめどが全く立っていない

バスによる代替輸送が続いている

開通まで おそらく数年は掛かるだろうと云われている

2011/10/12 石巻市の旧北上川河口付近

同上 旧北上川河口中ノ島付近

津波と火災に見舞われ黒焦げになった学校

河口南側の住宅地

同上 

同上 河口北側の工業団地内バイパス

同上

小高い日和山の山裾から海までの

幅≒1km 長さ≒2~3km

人気の無い 津波で荒廃したままの

広大な大地が拡がっていた


廃墟と化した街・・・・・・・・・・

そこに生ける物はと云えば 

時折 砂埃を撒き散らして

アスファルトの舗装道路を

足早に駆け抜けて行く車のエンジン音

と雑草を揺らす浜風だけだった


所々ポツンポツンと 津波から流失を免れた

赤錆びた骨組みをむき出しにした鉄骨の建物や

鉄筋コンクリートの建物が目に映った


津波に命を奪われた死者の叫びだろうか・・・・・・

それとも遺された人々の吐く

虚ろな弔いの叫びであろうか・・・・・・・

吹き抜ける風の唸り声が

あちこちから聞こえてくる


山陰に沈み行く真っ赤な夕陽

大地がオレンジ色に染まった

振り向けば私の影が

黒く 長く 寂しく 

夕陽に映えていた


震災から半年が経って 

ほとんどの瓦礫は撤去されていた


石巻市は

この度の東日本大震災で最も多くの犠牲者を出した(≒3000名)

そしてこの住宅地辺りが

より多くの犠牲者を出した所である


そこにはモザイク模様をした

主を失った無機質なコンクリート造の

家屋の基礎が

幾つも幾つも折り重なるよう

辺り一面 無数に拡がっていた


枯れかけた褐色の雑草が

かっては住宅の床下部分であった所にまで

我が物顔に蔓延っていた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・続く


震災の爪痕をこの目で実際に確かめ

己の心の内に

強く惨禍の姿を刻み込み

長く 正確に記憶に留めることが

今求められているであろう


そして生涯 職として

街造りの一端を担って来た

名も無い一建築家として

又 学生時代に都市計画(都市防災)を学んで来た者として

後世にこの震災の記禄と

震災から学んだ警鐘を伝え遺す事も

私に課せられた

大切な使命のような気がする


もしかして74名の尊い幼子の命を奪った

大川小学校の悲劇は

建築家として 都市デザイナーとして

学校建築が持つシェルターとしての重要な機能を

最大限考慮していたとするならば

この悲劇は回避できていたかも知れなかった


そんな事も私なりに検証していきたいと思っている


空即是色・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この度幾多の被災地を訪ね 

私が犠牲者の御霊に捧げた

鎮魂の言葉であった



万物はいろいろ形を備えているが

全ては現象であって

永劫不変の実体などというものはない

本質は空である

物質的存在は全て仮の姿であり

存在そのものが

初めからむなしい存在である

実体のない空がそのまま万物の姿でもある

しかしながら

空とは一方的に全ての命の営みを否定する

虚無ではない

知覚しているこの世の現象の姿こそが空である

だからこそ全ての生命の営みは

刹那さであり

崇高な誇りでもある


この度の大震災は人間の情念を遥かに超えている

だとすれば・・・・・・・・・

もはや誰もが この惨禍に怨念を抱く事等

出来る筈がない


色即是空

空即是色

・・・・・

・・・・・

・・・・・
                           合掌

商人の道

2011-10-06 | Weblog


                 商人の道


農民は連帯感に生きる

商人は孤独を生き甲斐にしなければならぬ  総て競争者である 

農民は安定を求める

商人は不安定こそ利潤の源泉として  喜ばねばならぬ

農民は安定を欲する

商人は冒険を望まねばならぬ

絶えず危険な世界を求めて  そこに飛び込まぬ商人は利子生活者であり 隠居であるに過ぎぬ

農民は土着を喜ぶ  大地に深く根をおろそうとする

商人はどこからでも養分をすい上げられる浮き草でなければならぬ

其の故郷は住む所すべてである

自分の墓所はこの全世界であり  先祖伝来の土地などと言う商人は一刻も早く算盤を捨てて鍬を取るべきである

石橋をたたいて歩いてはならぬ

人の作った道を  用心しながら通るのは  女子供と老人の仕事である

我が歩むところ  そのものが道である

他人の道は自分の道ではないと言うのが  商人の道である


                                  福沢諭吉


先日 友人宅を訪ねた時の事だった


客間に通され 少しの時間

一人で待たされた


好奇心 & 退屈

室内をぐるっと一回り見渡す・・・・・・


長押の上に

「商人の道」という

毛筆書きの

1行1行縦書きされた

横長の額が飾られてあった


普段は 格言とか諺等に

何故かあまり興味が持てない


しかし・・・・・・・・・・・

福沢諭吉の「商人の道」と題された

この言葉 一寸ばかし

心に響くものを感じた


誰しもが

現状のささやかな幸福を

決して手放すまいとして

己のシェルターに閉じこもろうとする


福沢諭吉にしてみれば

このような生き方は農民の生き方である


「商人の道」とは

現状に甘んずべからず

冒険を恐れず

不安定さや危険な世界に飛び込んで行く事こそ

これまで誰一人歩んで来なかった

たった一つの

己の道が拓けて来る

と 説いている


もしも私がまだ 30代の年齢であったとするならば

敢えて「商人の道」を歩まんとする

小さな勇気が欲しい

初冠雪・・・・2011

2011-10-04 | Weblog

月山 2011/10/4 PM1時 寒河江市石持

月山 寒河江市八鍬

葉山 同上

林檎の樹・葉山

月山の初冠雪 自宅裏より

左沢線・月山の初冠雪

朝日連峰 自宅裏より


昨日 あたりを取り巻く

遠くの峰々で

初冠雪が観測された


昨日は残念ながら初冠雪の様子

をカメラに収める事が出来なかった


今日は初冠雪の月山が

時折その白く眩しい姿を

見せてくれている


まだ稲刈りの終わっていない

黄金色の田んぼの稲穂

と白く輝く月山の山肌

そのコントラストが実に見事だ

金木犀

2011-10-03 | Weblog

金木犀

私の大事な日課のひとつに

夕方の犬の散歩がある


自宅から 家の前の道路に出て

そしてすぐに 左に曲がる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

一瞬辺りに漂う

金木犀の甘い香りに

気付く


2~3日前 見た時は 

まだ固い蕾のままで 

当分咲きそうもなかった


去年 1m足らずの小さな苗木を買って来て

その香りを独り占めにして 楽しんだ


1年の月日が

あっという間に過ぎ去った


僅か1年 私の背丈を優に越してしまうくらい

逞しく成長した

もう既に 立派な青年木だ

深まり行く秋の季節には

金木犀の香りが

よく似合う


甘く 少女のような 

あるいは大人のような

そのどちらとも言えない

ちょっぴり官能的な

怪しい色香を放つ金木犀


あるいは又・・・・・・

遥か地中海

紺碧の海に浮かぶ

ギリシャの島々


そこに住む

天空を舞う女神の

不思議な香華かも知れない


春は 偽アカシヤの白い花房

夏は 夾竹桃の真っ赤な花弁とムクゲの白い一日花

秋は ムラサキシキブと溢れんばかりに咲き乱れる萩 金木犀の甘い香り

冬は 薄紅色のシクラメンの花


もしかして・・・・・・・・

金木犀の不思議な香りの正体は

誰もが もの哀しい想いに

胸を締めつけられる

秋という季節に

そっと忍び込んだ

魔女の悪戯なのかもしれない

寒河江市米沢 2011/10/3 PM5時半 晴れていれば月山・朝日連峰の山々が見える

夕方の犬の散歩

西の空が 初冬を想わせるような

厚い雪雲に覆われて

遠くの峰々は みな姿を隠していた


今日 月山・朝日連峰・蔵王連峰で

初冠雪が観測された


月山は平年より15日 

去年より実に26日も早い


午前中 1瞬ではあるが  

月山の山肌が

薄っすらと

雪化粧した姿を見た



まだ秋が始まったばかりの筈なのに

今年はいったい どんな厳しい冬がやって来るのやら

・・・・・・・・・・・・・・

秋のささやき

2011-10-02 | Weblog











今年も田んぼの土手に

篝火の赤い炎のような

彼岸花が咲いた


今朝の天声人語..........


またの名を 「ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)」

と言うそうだ

彼岸花のことである

葉がでる前に

するすると茎が伸びて花が咲き

葉は花が終わってから出る

葉と花をいちどきに見られない故の異名だと

ものの本にある

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中略

群れ咲く姿は遠目にも

火を焚くように浮かび上がる

赤とんぼも舞って

里は秋の匂いがした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





田んぼでは今を盛りに

あちこちで稲刈りが行われている


心配された福島原発の放射能も検出されず

米作農家にとって 

まずは一安心といったところだろう


今年の山形産米

夏の暑い日差しに育まれ

品質は上々 

大豊作とまではいかないが

まずまずの収量が期待出来そうだ


先月末 我が家に今年の年貢米が届いた

今日の夕飯は 

その新米で

初めて炊いたご飯だった


真っ青な秋茄子の漬物

を炊き立ての新米ご飯の上に乗せて・・・・・・・・・

他にご飯のおかずが何もいらない位

実に美味しいご飯だった













月山の万年雪がとうとう消えてしまった

※ 実際は残っているかも知れないが 肉眼では確認出来なくなってしまった

去年は僅かではあるが残っていたような気がする

でも・・・・・・・・・

あと1週間もすれば

そろそろ遠くの山々に初冠雪が訪れて

真っ白な山容に衣替えをする頃である


自宅のナナカマドの樹


ナナカマドのオレンジ色の実が

今年は沢山なった

この辺りの集落内にあるナナカマドの樹

がみな赤く色付いた

もしかして

今夏の高温が影響しているのかも・・・・


ナナカマドの小さな赤い実

が落果する頃になると

里にも いよいよ雪が降り始める


長閑な秋の1日の夕暮れ

ふと耳を澄ませば

もの哀しい秋のささやきのような

ピアノのメロディーが

どこからか聞こえてきそうな

そんな気がする