ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

山形城址 二の丸西門

2016-03-14 | Weblog

山形城址 二の丸西門

※ もののふの夢の続きか石垣の漣立ちぬ城跡の濠 

※ 城跡の濠に映りし枯枝の漣立つはもののふの夢


山形城址 二の丸西門

二の丸西門は

山形城址に4つある門の中で一番小さな門である

表玄関にあたる東大手門は

十年ほど前に立派に復元されている



西門に比べ他の3つの門は東大手門を始め

どれも遥かに規模が大きい


でも私はこの西門の佇まいが1番好きである

濠の幅も他に比べてかなり狭い


陸奥(みちのくの)の関ヶ原 と言われている直江兼続との戦いに勝ち

60万石の伊達正宗に並ぶ 東北一の大大名となった最上義光

しかし

愛娘駒姫を京都三条河原で秀吉によって斬首された心の傷は

果たしてその事によって癒されたであろうか・・・・?


義光の死後僅か八年の時を経て

義光の孫、家信の代に改易され、

その後鳥居氏が入部、現在の二の丸は鳥居時代のもの



山形城址二の丸 南門付近


※ 山形城は、延文2年に斯波兼頼によって築かれた。 兼頼は、奥州探題斯波家兼の次男で、出羽国から北朝方勢力を一掃を使命としての入封であった。 その後、最上氏を称して室町時代を通じて勢力を拡大した。

 最上氏10代義光は、天正年間に対立する一族・国人を平定して最上一円24万石を領した。 この時代に山形城は近世城郭へと大修築された。 関ヶ原の後57万石の大大名となったが、元和8年にお家騒動により最上義俊は改易となった。

 最上氏改易の後に、磐城平より鳥居元忠が24万石を領して入封、二の丸の堀などの修築している。

 山形へは、鳥居・保科・松平(越前)・松平(奥平)・奥平・松平(越前)・堀田・松平(奥平)・堀田・松平(大給)・秋元と度々城主が代わり、遠江浜松より水野忠精が5万石で入封して明治を迎えた。

※印の文章は羽前山形城の記述引用


本丸復元工事 JR山形駅西口に建つ霞城セントラル

十年ほど前から本丸の復元工事が進められている

太平洋戦争当時 陸軍によって本丸のお濠は埋められた

太平洋戦争が終わって六十年経って復元工事が始まった

山形城が明治維新の古き面影に戻れる日は

果たしていつの事になるでしょう~

2016,3,13 初午

2016-03-14 | Weblog

平成28年3月12日 

昨年の初午大祭 平成27年3月14日

昨年の初午大祭 平成27年3月14日

昨日 自宅隣の神社で

稲荷講 初午大祭が行われた

今年の稲荷講大祭 平成28年3月13日

例年に比べ 雪の無い暖かな日の初午でした


初午とは旧暦2月最初の午の日を言います

西暦711年 今から≒1300年前

京都・伏見稲荷に稲荷神が降臨した日であると言われています

かって三十数名いた講員 次々に休講 

今年は14名になってしまった


伏見稲荷の信仰は

農耕を司る倉稲魂神(うがのみたまのかみ)を祀って 

五穀豊穣や福徳を祈願するものです
 

朱く塗られた鳥居 白いキツネを稲荷神の使いとして 

油揚げを供えたり 初午団子などを作る風習等もあったようです


稲荷神の使いとして狐を祀った理由の一つとして 

一説には狐が農作物を食い荒らす野鼠を捕まえる事から

来ているとも言われている 

事実 昨年はこの集落の近くに狐が棲みつき

鼠の被害が減ったと言われている



昨年秋 その狐と神社の境内で偶然遭遇した

4~5mの極々近い距離にも拘らず

狐は慌てる事も無く私の目の前を横切り

何食わぬ顔をして 社の方に立ち去って行った

むしろ慌てふためいたのは 私の方であった

なにせ野生の狐に遭遇したのは

生まれて初めてであった

飼い犬とは一見して何もかも違っていた

痩せこけた体格 長い脚 面長でつり上がった眼をした狐顔

なんと言っても飼い犬との1番の違いは

尻尾の太さとその軽妙な歩き方であった


話を元に戻して・・・・・
                                      
油揚げを供えるという事は

油揚げが狐の大好きな鼠の肉と似ているからとも言われている。


また、「油揚げに寿司を詰め込んだもの」もお供えされているが、

この「油揚げに寿司を詰め込んだもの」が

今で言う稲荷寿司と呼ばれるようになったそうです。


江戸時代には庶民の間で最も盛んな信仰となり、

江戸では数が多くて目につくものを・・・・・・

『火事、喧嘩、伊勢屋、稲荷に犬の糞』などと言われた位多かったようだ。


近年、農村に於いて

時代の変化と共に昔から続いて来たいくつかの風習や慣わしが途絶えつつある中、

僅かに残っているこの稲荷講も

年々講員が減り続け この先どのような経緯を辿って行くことでしょう~


昔は当番の講員が手作りで赤飯や料理を作って御馳走してたが

少しでも講員の負担を軽減しようと

今では赤飯付の折箱弁当を取るようになり

手作りで直会で出されるものは

漬物と油揚げ・豆腐入りの醤油汁だけになってしまった

当番は3人一組で1年毎に交代

直会に先だって戸渡しの儀が行われ 当番の引継ぎが行われる 


講員 僅か14名

4~5年に1度 当番が回って来る計算になる

当番に当たった講員は原則夫婦2人で出席

案内状の作成 境内、神社の清掃・除雪・式典 直会の準備・進行 後片付け 報告書作成・・・

等々 盛り沢山の仕事量がある

そんな訳で若い人の新たな加入はほとんどなくなってしまっているのが

年々講員が減少して行く最大の理由となっているようです


今年は初午大祭の当番でした

1ヶ月前に 案内状作成・配布・会費徴収から始まって 

今日 報告書を作成し終え

次回当番長に 書類 備品 什器類の荷物を無事引き渡して来た

これで やっと一息つく事が出来ました


何の愉しみも無かった冬の長い雪国の農村生活

そんな中 初午大祭は農家の男達にとって

美味しい酒の呑める

数少ない貴重な娯楽だったに違いありません・・・・・





水温む頃

2016-03-08 | Weblog

寒河江最上川ふるさと総合公園・最上川 2016/3/8


最上川・対岸は寒河江市平塩 2016/3/8

※ 水温み瀬音躍りて春知るや未だ萌え出ず堤の桜



寒河江市箕輪 2016/3/7

※ 白鳥の飛び立ち日あさ里山の野辺は霞みてひかりあふるる



昨日早朝 

私の畑のすぐ傍の田圃で

2週間程賑やかに羽を休めていた白鳥が

シベリアに向かって

一斉に飛び立って行きました

雪が消え

白鳥の姿が消えた里山の風景は

少し寂しくなりましたが

また一歩

春に近付いた証しでもあります

アサツキ

2016-03-06 | Weblog

2月27日は猛吹雪

そして街中の街路樹も真冬に逆戻り

春はそう簡単にはやっては来ない

真冬に逆戻り?


一週間前の畑の様子 2/28

畑の雪を掘ってアサツキを収穫して来ました 2/28

辺り一面真っ白な田圃の中

白鳥達が餌を啄んでいた



そして 1週間後の昨日

あっという間に畑の雪は消え

畑のすぐ下の田圃に白鳥の群れが

1週間前まで雪に埋もれていたアサツキ

黒土に変わった畑から

皆元気な顔を覗かせていた

ひと冬 雪の中で寒さを耐え忍んで来たアサツキ(右)

家に帰って泥を落とせば 

生き生きして 真っ白!

なんとみずみずしい白い肌~

同じく冷たい雪に耐えた関西生まれ 九条葱(左)

2ヶ月もの長い間

冷たい雪に埋もれていたにも拘わらず

全員無事越冬!

アサツキ 九条葱 どちらも酢味噌和えにして

初々しい甘い春の香を楽しんだ


イチゴ苗

玉葱苗 道路沿いは雪融けが遅く まだ玉葱の上には雪が融けずに残っています

昨秋 300本の苗を植えたのですが 根付いたのは250本 

残り50本は上手く育ちませんでした

雪が融け 果たしてその内何本生き残っているで事しょう~


アサツキを収穫して家に戻る頃

夕陽が落ちて 

西の空は微かな茜色に染まっていた


※ アサツキの甘き春の香広がりて冬終わりしを知るや歓び

※ 春弥生寒さ続けど雪溶けて昨秋植えし浅葱を掘る

※ まだ白き雪被りしや浅葱を両手使いて掘り起こしたり

※ 雪溶けて収穫したり浅葱を酢味噌和えにて食す春なり

※ 浅葱を酢味噌和えにて食卓にむかし茹でイカ今はカニカマ