ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

稲荷講祭典

2011-03-26 | Weblog
  2011/3/26 AM10時半 鹿島神社境内

震災で延期になっていた稲荷講祭典


予定より6日遅れの今日午前 初午祭典が行われた

例年に比べ 境内はまだまだ深い雪に覆われていた


これほど残雪の多い年も本当に珍しい


直会が始まって

まず出席者全員で 震災の犠牲者に1分間の黙祷・・・・・・・・・・・・・・


当寒河江市にも福島原発事故の避難者達が大勢やって来ている

避難者達は市営体育館の合宿所の畳の上で

不自由な集団避難生活を送っている


いつ収束するともわからない今回の原発事故


本来ならば科学技術の最先端の恩恵を享受する目的の為の原発

震災後 放射線汚染と言う目に見えない恐ろしい敵との戦いとなってしまった

既に人の手には抑えきれないような恐ろしい凶器と化し

人の生存環境さえ奪ってしまうほどの危ういものとなってしまった


そんな意味も含めて・・・・・・・・・・ 

今年の稲荷講祭典はいつもの年に比べて静かな幕引きで終わった


福島・茨城・埼玉・東京・・・現在は福島原発より南方に位置する地域の農産物や

飲料水が規定値以上の放射線で汚染され摂取禁止や出荷停止措置がとられている


しかし これとて山形に住む者にとっては決して「対岸の火事」と言っていつま

でも安閑としてはいられない


冬 ・・・東北地方は大陸から北または北西の季節風が吹く

しかし春先からは今とは反対の南からの風に風向きが変わる


風向きが変われば当然山形にも放射線の汚染が広がる事が予測される

農業立県とまでは行かないが 米作・果樹・野菜 ・・・・これら農業に対する大打撃が必然となって来るであろう

いや・・・・もしかして 私達も避難しなければ・・・・・・
  2011/3/25 AM8時 自宅庭

一昨日から今朝で3日続けて 白い雪の朝である

雪景色は震災で亡くなった犠牲者の霊を慰めるかのように

すべてを無心に漂白し 

静かに鳴り渡る鎮魂歌のようでもある・・・・・?


しかし 被災者達にとってこの季節外れの寒さは

なんとむごい追い討ちであろうか・・・・・・・・



春の足音・・・・・・・・・

  寒河江市平野山  2011/3/24 PM5時

三月の下旬に入り

日中の気温も上がり始め 雪解けが進んだ


線路沿いの散歩コースの道


地肌がやっと顔を覗かせるようになって来た

時折風に乗って 僅かばかり懐かしい土の香りが

漂ってくる時がある

ついそこまで近付いてきた小さな春を

身体全身で感じられる幸せの時間である

2011/3/24 PM5時 地震以来運休となっているJR左沢線線路 

28日運転再開が決まった

集落内裏通り

 
ふきのとう          タラの芽


昨日 水路脇の日当たりのいい場所で

若草色のふきのとうを見つけた

つい先日まで深い雪に覆われていた筈なのに・・・・・・・・・

植物達もきっと遅い春を待ちきれず

雪解けの訪れを今か今かと満を持しての

芽吹きであるに違いない

もうすぐ春・・・・・・

巨大地震 M9.0 2011/3/11 14:46

2011-03-13 | Weblog
宮城県 気仙沼市 2008/4/14
同上

女川湾
女川港
同上
同上
大船度湾
同上
陸前高田市


昼下がり 浅い春眠の誘いに 

半ば夢うつつのまどろみの中


突然 緊急地震速報を告げる

携帯電話のメール着信音


11/03/11 14:47

宮城沖で地震発生。強い揺れに備えて下さい(気象庁)


着信後 およそ7~8秒

最初の横揺れが始まった


揺れは次第に激しさを増した

ガタガタと今にも潰れてしまいそうな

これまで経験した事のない激しい揺れ


横揺れは長い時間続いた


気が付くと

洗面所に避難していた


幸い 物が少し倒れたぐらいで

ほとんど被害はなかった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

怪我も無く 無事であった

水道 ガスはそのまま使用出来たが 

電気が止まった


電気が止まると 暖房も出来なかった

すぐにDIYに

既に大勢の人が並んでいた

懐中電灯2個 乾電池 カップラーメン カセットコンロ用ガス

等を買い込んで来た


昨日夜8時 30時間振りに

待望の電気が戻った


その間の唯一の情報入手手段はラジオのみでだった

初めの頃は携帯電話でワンセグを見ることが出来た

TVの映像で津波 火災の惨状を初めて知った

間もなく電池が切れてしまった 


一昨日の夜は 風呂も暖房も全く皆無

小雪の舞う寒い一夜だった


時々襲ってくる余震に怯えながら

一晩中 ラジオをかけて

地震情報を聞いていた


電気の戻った昨夜は ゆっくり風呂に入って

日常当たり前の事がいかに大切な事であるか

改めて 思い知らされた


冒頭の写真


三年前 今回津波にのみ込まれた三陸海岸を

一人旅した時撮影したもの

みな津波にのみ込まれ 

あとかたもなく廃墟と化してしまった


美しい街や漁村の風景

そして

生き々としてそこに生活し働く人々の姿があった・・・・・・・・・・・

彼らは今 どんな辛い思いをしているのだろうか・・・・・・・・・?

隣組長

2011-03-04 | Weblog

そろそろ終りに近付いた黄色のシンビジューム・窓の外は朝から吹雪

2011/3/4 AM10;00

本当に久し振りのパソコン


決して忘れていた訳ではないのだが

ついついサボっている内に

3週間もの長い間 ブログをご無沙汰


今となっては記憶の薄れた

空白の日々になりつつある

  寒河江市内 2011/3/1 PM1;00

ようやく街中の雪が融け始め

ポトポトと 雪解け水

の不揃いな雨だれ音が

あちこちから聞こえ始めて来た


気のせいだろうか・・・・・?

樹々の芽が

少しずつ膨らみ始めて

春らしさが

日増しに目に付くようになって来た

と 思ったら

又 冬が戻って来た


2月末 確定申告を無事に済ませ

やれやれと やっと一息付いたか付かぬうちに

親戚で不幸が・・・・・・・・・
  2011/3/3 AM8時半 寒河江市箕輪
  同上
  同上 PM5時

昨日はまるで真冬のような猛吹雪の中での

葬式だった


朝8時 自宅を出て

家に戻ったのは夕方5時半


享年96歳 

昔から大変お世話になった人で

私達夫婦の仲人をしてくれたYさん

の御母同様でもある

棺の中のお顔は

まるで安らかな寝顔を見ているようであった

心よりご冥福をお祈り致します


3月に入って

何かと気忙しくなって来た


3月は新旧の交代時期でもある


今年は私の家に9年振りで

隣組長が回って来る


戸数 11戸

諸般の事情により 途中2軒の家が隣組長を辞退


昔はどの家も2世代・3世代と

大勢の家族が一緒に暮らしていた


今は2世代夫婦揃って同居の家は

我が家を含め1軒も無し

そして 11軒すべてがいつの間にか

非農家になってしまった


県・市報配布 寄付金・区・町内会費の徴収  婦人会班長 地区行事 回覧板・・・・・etc

隣組長の仕事はなかなか大変である

4月からの1年間 

何事もなく勤め終え

次の人に無事バトンタッチ出来るように頑張りたいと思う