美濃焼は、現在の土岐市と多治見市の近郊で焼かれている焼き物ですが、桃山時代(400年ほど前)には、日本最大の施釉陶器の生産地でした。 ここで生産された代表的な織部、黄瀬戸、志野、瀬戸黒、御深井などが全国へ出荷されました。この地区には、当時の姿が創造できる遺跡や遺物の展示をする施設がたくさんありますので、「焼き物好き」には、大変、興味深い土地でもあります。
その中に、「織部の里」と呼ばれる美濃桃山陶の理解を深めることができる史跡があります。 当時の大窯(3基)や登り窯(1基)の遺跡が保存・再現されている国指定史跡「元屋敷窯」は、美濃焼の源流を知る上で、大変、貴重です。写真は、1958年に発掘された14房の連房式登り窯(全長約24.7m、幅2.2m)の階段状の床ですが、一つの床ごとにレンガが積み上げられ一つの燃焼室(房)がありました。 建物の中に保存されていますので、分り難いかもしれませんが、イメージは、前回の「牛ノ戸焼の登り窯」で想像して下さい。 この登り窯の構造は、九州の唐津から導入されたと考えられています。
(JR中央本線「土岐駅」から北へ1.2Km)
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その中に、「織部の里」と呼ばれる美濃桃山陶の理解を深めることができる史跡があります。 当時の大窯(3基)や登り窯(1基)の遺跡が保存・再現されている国指定史跡「元屋敷窯」は、美濃焼の源流を知る上で、大変、貴重です。写真は、1958年に発掘された14房の連房式登り窯(全長約24.7m、幅2.2m)の階段状の床ですが、一つの床ごとにレンガが積み上げられ一つの燃焼室(房)がありました。 建物の中に保存されていますので、分り難いかもしれませんが、イメージは、前回の「牛ノ戸焼の登り窯」で想像して下さい。 この登り窯の構造は、九州の唐津から導入されたと考えられています。
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