今日、パールマンが音楽監督をしているウェストチェスター・フィル (WPO) のコンサートが開かれた。 (SUNY Purchase)
WPOはロングアイランド・フィル (LIPO) と長くライバル関係にあったが近年は共に長期凋落傾向にあった。
ところが、WPOはパールマンを音楽監督に迎えてから観客数が伸びているという。
近年の経済状況により、郡政府からの補助金をカットされて苦しいなかでも何とか頑張っている。
話はそれるが、学校でも芸術関係の予算が大幅に削減されて多くのプログラムが廃止に追い込まれた。
学校でのオーケストラ活動もその一つだ。
今回のコンサートでも、資金援助を訴える姿に窮状を見た。
コンサートはパールマンの弾き振りで始まった。
ベートーベンの「ロマンス」2曲。
この曲には思い出がある。
アイザック・スターンがニューヨークフィルのシーズン初日にベートーベンのバイオリン協奏曲を弾くというので興味津々で会場まで出かけていった。
その時には、スターンが高齢だったので、体力的にどうかなと思ったものだった。
ふたを開けてみると、コンチェルトではなくロマンスを弾くという。
がっかりすると同時に安心もしたのを覚えている。
肝腎の演奏の方は、ホロヴィッツの来日公演と同じ形容詞が使えるとだけ書いておく。
さて、パールマンの演奏の方はどうかというと、渾身の力で演奏しているとはお世辞にも言えないが、魅力的な音色を聴かせてくれた。
ピアノの弾き振りはアシュケナージやエッシェンバッハで何度も観たが、バイオリンは初めてだ。
直前まで指揮をしながら、高音で始まるフレーズをいきなりビシッと決めてくるところはさすがだった。
2曲目はベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」 (Le Carnaval Roain)
WPOの木管はそこそこのレベルだが、金管が少し弱い。
ニューヨークフィルを始め、この辺りには優れたトロンボーン奏者、トランペット奏者が集まってきているだけに残念だ。
3曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
今日の解釈は、これがチャイコフスキーの遺書だというもの。
この直後、自ら命を絶ったという説を採っている。
やはり、金管が弱いとこの曲は寂しい。
出だしのファゴットを始め、木管勢の健闘振りは聴き応えがあった。
好きな曲だったことと、グランドティアの一番前センターという最良の席だったことから、多少のことには目を潰れる。
良いコンサートだった。
余談2つ。
第3楽章の終わりで拍手する人がいるに違いないとは思っていたが、予想をはるかに超える大拍手。
立ち上がる人までいる。
失笑せざるを得ない。
オーケストラの団員や指揮者は重々承知という風で、しばらく間を置いてから消え入りそうなアダージョへ。
二つ目は、アンコール前のパールマンのトーク。
4楽章の終わりは救いがたい鬱気分を連想させる。
会場の重たい雰囲気をを読んでかパールマンはアンコール曲を用意していた。
ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」で軽快にコンサートを締めた。
その時のことだ。
パールマンが苦労しながら指揮台に上り椅子に腰掛ける。
そして、振り返りながら、 "Before you leave....." (帰る前に………)と切り出したところ、1階席のお客さんが4人ほど立ち上がって帰っていくところだった。
しかも歩行器を使ってゆっくりと。
そのお客さんが会場から出るまでの間をパールマンが軽妙なトークでうまくつないでいく。
アンコールは " Some leave and some stay. This will alleviate the traffic. Those who remain can tell them later it was fun." (渋滞の緩和が目的だから何人かは帰ってくれないと困る)と言ってお客さんを笑わせる
人柄が前面に出て美味しい一時だった。
これも生コンサートの面白さの一つである。
追加
最初の「ロマンス」でいつものようにコンマスがパールマンのバイオリンと弓を持ってくる。
そこで、彼は2台のバイオリンをみながら突然、 "eenie, meenie, miny, moe" (どちらにしようかな………に相当する子供の数え歌)を始めた。
もちろん会場の雰囲気が和んだ。
彼は観客の気持ちを惹きつけるが上手い。
WPOはロングアイランド・フィル (LIPO) と長くライバル関係にあったが近年は共に長期凋落傾向にあった。
ところが、WPOはパールマンを音楽監督に迎えてから観客数が伸びているという。
近年の経済状況により、郡政府からの補助金をカットされて苦しいなかでも何とか頑張っている。
話はそれるが、学校でも芸術関係の予算が大幅に削減されて多くのプログラムが廃止に追い込まれた。
学校でのオーケストラ活動もその一つだ。
今回のコンサートでも、資金援助を訴える姿に窮状を見た。
コンサートはパールマンの弾き振りで始まった。
ベートーベンの「ロマンス」2曲。
この曲には思い出がある。
アイザック・スターンがニューヨークフィルのシーズン初日にベートーベンのバイオリン協奏曲を弾くというので興味津々で会場まで出かけていった。
その時には、スターンが高齢だったので、体力的にどうかなと思ったものだった。
ふたを開けてみると、コンチェルトではなくロマンスを弾くという。
がっかりすると同時に安心もしたのを覚えている。
肝腎の演奏の方は、ホロヴィッツの来日公演と同じ形容詞が使えるとだけ書いておく。
さて、パールマンの演奏の方はどうかというと、渾身の力で演奏しているとはお世辞にも言えないが、魅力的な音色を聴かせてくれた。
ピアノの弾き振りはアシュケナージやエッシェンバッハで何度も観たが、バイオリンは初めてだ。
直前まで指揮をしながら、高音で始まるフレーズをいきなりビシッと決めてくるところはさすがだった。
2曲目はベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」 (Le Carnaval Roain)
WPOの木管はそこそこのレベルだが、金管が少し弱い。
ニューヨークフィルを始め、この辺りには優れたトロンボーン奏者、トランペット奏者が集まってきているだけに残念だ。
3曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」
今日の解釈は、これがチャイコフスキーの遺書だというもの。
この直後、自ら命を絶ったという説を採っている。
やはり、金管が弱いとこの曲は寂しい。
出だしのファゴットを始め、木管勢の健闘振りは聴き応えがあった。
好きな曲だったことと、グランドティアの一番前センターという最良の席だったことから、多少のことには目を潰れる。
良いコンサートだった。
余談2つ。
第3楽章の終わりで拍手する人がいるに違いないとは思っていたが、予想をはるかに超える大拍手。
立ち上がる人までいる。
失笑せざるを得ない。
オーケストラの団員や指揮者は重々承知という風で、しばらく間を置いてから消え入りそうなアダージョへ。
二つ目は、アンコール前のパールマンのトーク。
4楽章の終わりは救いがたい鬱気分を連想させる。
会場の重たい雰囲気をを読んでかパールマンはアンコール曲を用意していた。
ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」で軽快にコンサートを締めた。
その時のことだ。
パールマンが苦労しながら指揮台に上り椅子に腰掛ける。
そして、振り返りながら、 "Before you leave....." (帰る前に………)と切り出したところ、1階席のお客さんが4人ほど立ち上がって帰っていくところだった。
しかも歩行器を使ってゆっくりと。
そのお客さんが会場から出るまでの間をパールマンが軽妙なトークでうまくつないでいく。
アンコールは " Some leave and some stay. This will alleviate the traffic. Those who remain can tell them later it was fun." (渋滞の緩和が目的だから何人かは帰ってくれないと困る)と言ってお客さんを笑わせる
人柄が前面に出て美味しい一時だった。
これも生コンサートの面白さの一つである。
追加
最初の「ロマンス」でいつものようにコンマスがパールマンのバイオリンと弓を持ってくる。
そこで、彼は2台のバイオリンをみながら突然、 "eenie, meenie, miny, moe" (どちらにしようかな………に相当する子供の数え歌)を始めた。
もちろん会場の雰囲気が和んだ。
彼は観客の気持ちを惹きつけるが上手い。