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ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の橋(1)

2016-05-26 20:29:10 | 水戸
                        (写真は不動橋)

水府橋
 県道232号線の那珂川を渡る橋 
 昭和7年(1932)に開通し、何回もの洪水を経験してきた旧橋に代わって、平成25年(2013)新橋が開通しました。旧橋の一部を使った記念碑が左右両岸に建てられています。

柳堤橋
 国道51号線の桜川を渡る橋
 今の備前堀左岸が江戸時代の千波湖の岸ですので、伊奈神社の道向あたりから千波湖に堤を築いて柳を植えた道が慶安4年(1651)に築かれたそうです。それにちなんで名づけられた橋のようです。

不動橋
 七ツ洞公園南出口へ行く道で小場江堰を渡る橋
 小場江堰の記念碑として建築されたらしい煉瓦造りの復元橋です。

とろんこ橋
 藤井町257−17(国道123号線から那珂川方面へ行く西田川の渡る橋)
 那珂川の砕石を運ぶトロッコのためにつくられた橋だそうで、トロッコがなまってとろんこになったようです。

石橋奉納碑
 宮内町3193-2(吉田神社) 029-247-6464
 一の鳥居はいってすぐのところにある石橋です。その右手に明治40年に、それまでの木橋が朽ちたので下市有志らによってかけられたことを記念する碑が建てられています。 
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水戸一高出身の有名人(1)

2016-05-25 21:19:29 | 水戸

ここは有名校ですが、いろいろな人がいるようです。(写真は武石浩玻)

菊池幽芳(水戸市出身、小説家)(1870- 1947)

妹島(せじま)和世(日立市出身、建築家、水戸一高の合宿所である江山閣設計(非公開))(1956-)

立花隆(中退、都立上野高校へ、長崎市出身、評論家・ジャーナリスト)(1940-)

徳大寺有恒(東京出身、自動車評論家)(1939-2014)

武石浩玻(こうは)(ひたちなか市出身、飛行家、水戸一高に銅像があります。)(1939-2014)

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水戸の子供施設

2016-05-24 20:29:15 | 水戸
                       (写真は水戸市総合教育研究所1F)

千波公園少年の森
 水戸市千波町3080(水戸市公園緑地課千波湖管理室) 029-232-9214
 小学生くらいまでの子供たちの遊び場のようで、千波公園の市民利用部分といった感じです。

水戸市森林公園
 木葉下(あぼっけ)町588-1 029-252-7500
 恐竜像や遊具がそろい、ヤギとのふれあいができます。週末は親子づれでにぎわいます。

水戸市総合教育研究所1F
 笠原町978-5 029-244-1331
 水戸の学校に関することを総合的に取り扱う機関のようで、はいりにくいことこの上ないのですが、入館した玄関部分に、ロケットの模型がズラリとたくさん並んでいて、子どもにとって大変面白そうなスペースです。いちおう了解を得てから見たほうがよいと思います。

わんぱーく・みと、ハミング・パーク・ミト
 大町3-4-30 029-303-1515、本町1-8-2 029-302-3662
 ともに、子どもを中心に、多世代の交流をめざす施設のようです。

有賀(ありが)神社
 有賀町1032
 子どもの夜泣きやかんの虫などにご利益があるといわれ、虫きりの神様とされているそうです。11月11日の磯渡御(いそとぎょ 'お磯下り)という祭礼では、有賀神社の御神体が大洗磯前(いそさき)神社へ行くのだそうで、大洗では、有賀祭(虫切り神事)が行われるそうです。
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水戸の源義家伝説(1)

2016-05-23 20:59:06 | 水戸
源義家の伝説は相当沢山あるようです。(写真は須賀神社の兜松(四角い石柱奥の碑))

一盛(いちもり)長者伝説
 渡里町
 源義家が奥州への行き帰りに一盛長者の家に立ち寄りましたが、両度の余りにも豪華な接待に、今後のことを心配して討ち滅ぼしてしまったという伝説で、人形浄瑠璃にもなったとか。一盛長者は、「駅守(えきもり)長者」か「市守(いちもり)長者」の変わったものだろうという説があるそうです。同様の伝説が笠間にもあるそうです。

納豆伝説
 三の丸3-4-30 (天狗納豆資料館展示) 029-225-2121
 一盛長者の館に宿営したとき、義家が納豆の製法を教えたという伝説や、義家の家来が馬の飼料にと作った煮豆の残りが納豆になったという伝説があるそうです。ともに将軍(義家)に納めた豆ということで納豆という名が付いたとなっているそうです。

上河内 素鵞神社の兜松
 上河内町547
 一盛長者を滅ぼした義家は、那珂川対岸の駅家に引き返し、そこで兜を松に掛けて休んだと伝えられているそうです。その松は枯れて新しい松になっていますが、明治30年に建てられた記念碑があります。
 
河和田 吉田神社の軍配
 水戸市河和田町(かわわだちょう)2895
 義家は、奥州への行き帰りに河和田の長者塩沢金兵衛にもてなされ、帰りにそのお礼として、軍配団扇を残していったそうです。和紙に漆のようなものを塗ったもので、長さ95cm、幅32cmだそうです。

全隈(またぐま)の地名由来
 義家が陸奧守になって奥州へ行くときに、この地で二度熊を見たので「また熊」と名づけたそうです。平安中期の辞書、和名抄には全隈とあり、慶長3年(1598)の記録や元禄郷帳には又熊村とあるそうで、全隈になったのは文化3年(1806)だそうです。
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水戸の巨木(3)

2016-05-22 19:06:02 | 水戸

樹齢は市の建てた保存樹表示に記された数字です。(写真は東原のシイ)

フジ(200年)とタブノキ(300年)
 加倉井町(50号線沿い エネオススタンド隣)
 タブノキにフジがからみついて面白い風情です。

イチョウ(300年)
 水戸市天王町8-17(神崎寺) 
 高い部分はかれたようですが、本堂前に立っています。

モミ(300年)
 水戸市河和田町2895(吉田神社)
 樹高30m、堂々としています。

シイ(350年)
 東原2(アーベビューティースペース隣の駐車場)
 なんとも不思議な樹形をしています。

エノキ(100年)
 水戸市元吉田県道180号線沿いの一里塚跡(阿夫利神社)
 何代目なのでしょう。徳川家康から一里塚建設をまかされた大久保長庵が、「よき木」を植えよというのを「えのき」と聞き違えたとか。

水戸の巨木(2)

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