ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

茨城百景にある水戸

2021-12-22 20:30:22 | 水戸

 昭和25年に茨城百景が選定されたそうです。県と茨城新聞社が主催し、各地の観光協会から推薦された名勝史跡180ヶ所から100ヶ所を、県民による投票で選んだそうです。以下はその水戸分ですが、それぞれに茨城百景の碑がたっているようです。他に、「水戸城西ハイキングコース」「大塚池、中根寺、妙徳寺、常陸湯、有賀神社、河和田城址、道場ケ池、天徳寺、武田耕雲斎の墓」という、もし歩いたら大変な運動になりそうな場所が選ばれています。かっこ内は、表示に抱合される風景だそうです。写真は水戸八幡宮にある茨城百景の石碑です。

 

偕楽園(常磐神社、千波湖、桜川、桜山、神崎寺、会沢伯民の墓)
 偕楽園(常盤町1-3-3)内の梅の剪定はすでにすんだようで、年明けの花が楽しみなのですが、どのような春になるのかがウィルス次第というのはなんとも残念です。かっこ内には本法寺(千波町2367)にある会沢正志斎(伯民)の墓もありますので、これも結構広く選ばれているようです。写真は、偕楽園内にある好文亭3階楽寿楼から見た風景です。写真の花はキリシマツツジで、湖面は千波湖です。

 

弘道館

水戸城三の丸空濠

弘道館と水戸城址(弘道館公園、大手橋)
 水戸城本丸、二の丸、三の丸は今の住所表示では水戸市三の丸の中に入っています。水戸城三の丸にあった弘道館は三の丸1丁目6-29、水戸城二の丸にあった角櫓は三の丸2丁目5-18、水戸城本丸にある薬医門は三の丸3丁目10-1となっています。写真上は対試場から見た弘道館と門です。写真下は、水戸城東側の三の丸空濠です。

 

保和苑

藤田東湖の墓

保和苑と藤田東湖の墓(二十三夜尊、水戸志士の墓)
 保和苑は、桂岸寺(松本町13-19)の庭園で、徳川光圀の命名した寺名の「保和院」がもとのようです。写真上は庭園にある築山(つきやま)からの眺めです。隣接する、やはり光圀が設置した常磐共有墓地に藤田東湖の墓があります。写真下の墓の題字「表誠之碑」は斉昭の書だそうです。

 

吉田神社の見晴台(朝日山、薬王院、笠原水源地、吉田古墳、常照寺)
 吉田神社(宮内町3193-2)山門前の広場から見た、西側の風景です。この広場には、秋季例祭ではたくさんの山車が勢揃いします。昔は広い田が広がっていたのでしょう。

 

愛宕山

曝井

愛宕山とさらし井(愛宕神社、袴塚古墳、姫塚)
 愛宕山(愛宕町10-5)は、仲国造(なかのくにのみやつこ)初祖の建借間命(たけかしまのみこと)の前方後円型の墳墓と伝わっているそうです。現在はその円部に愛宕神社があります。そのすぐ近くに万葉集に選ばれた和歌にうたわれた曝井(さらしい 愛宕町8-4)があります。写真上で、中央にある階段をのぼりきったあたりが愛宕神社です。写真下の石碑左側が、水の湧き出ているところです。

 

白幡山八幡宮(御葉附公孫樹、那珂川鮭留漁場)
 常陸太田から佐竹氏によって、水戸城中に移された後、八幡小路(田見小路、現在の北見町)-那珂西(城里町)-現在地(八幡町8-54)と旅してきたそうです。写真は拝殿とオハツキイチョウです。江戸時代は、青柳あたりで、那珂川を遡る鯉を網代(あじろ)という川を横切る竹と材木で作った大規模な装置で鮭漁をしたそうです。

 

六反田六地蔵尊(仏性寺)
 六地蔵寺では、手前にスギ(写真右)とイチョウ(写真左)の巨木がそびえ、その奥、中央左側に徳川光圀ゆかりのシダレザクラが、右方にその子孫が広がっています。中央の建物が本堂で、右側が地蔵堂です。

 


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