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水戸の見て歩き

水戸の「銭」関係(3)

2020-06-08 19:11:01 | 水戸

二の丸出土の銭
 彰考館跡発掘では、瓶子(へいし)に入った古銭が出てきたそうです。47種1346枚あったそうで、758年に鋳造されたという古い物もあったそうです。江戸氏が城を整備した際に、地鎮具として埋めたのだろうとのことです。写真は彰考館のあった第二中学校です。

 

佐竹義宣の貨幣政策
 文禄3年(1594)頃に出されたという佐竹義宣(よしのぶ)の掟書には、良銭を使用して、悪銭は返すようにといったことが書かれているそうです。国産の流通貨幣のなかった時代、中国の明からはいってくる永楽銭などの良銭を広めようという、貨幣政策が行われたということのようです。写真は、円通寺の鬼瓦にある佐竹氏の「扇に月丸」という紋です。

 

鼠小僧
 鼠小僧は、盗んだ金を酒色や博打につかったそうで、義賊ではなかったそうです。水戸藩の江戸屋敷では鼠小僧に90両盗まれたそうです。部屋住み時代の斉昭は、夜中に槍を持って警備したりしたそうです。写真は小石川後楽園にある円月橋です。

 

水戸城の土地
 明治のはじめ水戸城一帯は、水戸練兵場にする計画だったそうですが、県令・人見寧が山県有朋に訴えて、計画は撤回されたそうです。その結果、水戸城は陸軍省から内務省に管轄が移ったそうです。その後明治末、県知事・坂仲輔のとき、6万4千円という破格の安さで県の所有となったそうです。公道部分を入れると6.4万坪だそうで、1坪1円ということだそうです。明治21年竣工の師範学校の総工費は56万円だったそうです。写真は本丸にある数少ない水戸城遺跡の一つである薬医門です。

 

明星池の伝説
 現在県営明星アパート(城東1-4-1)のあるあたりに、明星池(めいせいいけ)があったそうです。昭和7年に埋め立てられて宅地になったそうです。幕末の争乱時、城代家老・鈴木石見守が、天狗党に襲撃された際、千両箱13個を明星池に沈めて逃亡したという伝説があり、明治初期に池の水浚いが行われたそうですが、湧水が大量で失敗したそうです。写真は明星池を埋め立ててできたかつての明星町の旧町名碑です。碑の背後は県営明星アパートです。

水戸の「銭」関係(2)


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