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水高出身の文化人(2)

2017-10-29 20:27:07 | 水戸

 水高は、旧制水戸高等学校で、現・茨城大学前身の一校です。

 

相良守次(さがらもりじ 明治36年-昭和61年)
 山形県生まれで、水高を経て東京帝大へはいり、昭和27年東大教授となり、後、名誉教授を授与されたそうです。ゲシュタルト心理学を日本に紹介したり、日本心理学会会長を5期つとめたりしたそうで、「記憶とは何か」、「心理学概論」などの著作があるそうです。独和辞典の定番を編纂した相良守峯(もりお)は兄で、守峯は一時、水高の教授をしたそうです。

 

今井正(いまいただし 明治45年-平成3年)
 東京生まれで、水高の後、東京帝大へ。映画監督となり、昭和14年の「沼津兵学校」を第1作として、戦後、「青い山脈」などを手がけたそうです。レッドパージにあい、独立プロで活動するようになったそうです。その後、独立プロ運動の牽引役として活動して、「純愛物語」、「武士道残酷物語」、「橋のない川」などをつくり、多くの賞を受けたそうです。

 

出澤三太(でざわさんた 大正6年-昭和60年)
 星製薬の創業者・星一(はじめ)の庶子として東京に生まれ、長野県の北澤家の養子になったそうです。中学時代から句作をするようになり、水高時代に水高俳句会を創設、東京帝国大卒業後招集されて軍隊へはいったそうです。戦後、星製薬の再建に携わりましたが1年程で退いて、異母弟の星新一があとをみることになったようです。水高時代1年後輩の金子兜太らと同人俳誌「青銅」を発刊し、晩年は「すずかけ」の主催者として活動したそうです。

 

大石泰彦(おおいしやすひこ 大正11年-平成26年)
 大分県生まれで、水戸中から水高を経て東京帝大へ。昭和35年東京大学経済学部教授となり、その後名誉教授を授与されたそうです。厚生経済学、道路経済学、生活経済学などの分野を研究し、郵政研究所所長にも就任したそうです。「経済原論」などの著作があるそうです。

 

山田宗睦(やまだむねむつ 大正14年-)
 山口県生まれで水高から京都帝大にはいったそうです。昭和37年「思想の科学」編集長となり、昭和40年、保守派知識人を批判した「危険な思想家」を出すとベストセラーになったそうです。「道の思想史」「花の文化史」などの著作もあるそうです。

水高出身の文化人(1)


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