ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の石碑(1)

2016-04-08 21:50:43 | 水戸

                  (写真は吉田松陰水戸留学の地碑)

大日本史編纂の地碑
 三の丸(水戸市立第二中学校入口)
 大日本史の編纂は、徳川光圀により、明暦3年(1657)江戸で開始されましたが、江戸と水戸の二本立て時代を経て、斉昭の時代になって、水戸の三の丸彰考館に一本化されたそうです。

大日本史完成之地碑
 常磐町1(偕楽園南斜面) 029-244-5454
 彰考館は移転されて、大日本史が完成された明治39年(1906)にはこの地にあったのだそうです。

原市之進の碑(菁莪(せいが)遺徳の碑)
 常盤町1(偕楽園) 029-244-5454
 徳川慶喜が将軍就任前、一橋家時代の側用人、目付でした。攘夷の嵐の中、38歳で殺害されました。

吉田松陰水戸留学の地碑
 水戸市南町3-4-57(協会けんぽビル前)
 嘉永五年、各地の碩学に接しようと藩を出奔して、水戸の永井政介(江戸の剣客斎藤弥九郎の紹介)の家を訪れ、会沢正志斎・豊田天功らに会ったそうです。

親鸞聖人御田植歌旧跡碑
 河和田(トイザラス付近)
 興味を持たない農民に、親鸞は田植えに加わり、田植歌にならった念仏歌をくちずさんで教えを弘布したそうです。「五却思惟(ごごうしゆい)の苗代に、兆載永劫(ちょうさいようごう)のしろをして、一念帰命の種をおろし、自力雑行(じりきぞうぎょう)の草をとり、念々相続(ねんねんそうぞく)の水を流し、往生の秋になりぬれば、この実を採るこそ嬉しけれ、南無阿弥陀仏」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする