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金魚日和

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虚と実

2010年12月05日 | 本・作家

数日前から読み始めた『さよなら、サイレント・ネイビー/伊東乾』という本がすさまじくて生活が引き摺られている。

いずれ詳しく書きたいと思うのだが、
東大出身で今はソコで教える立場になった筆者が、
かつての同級生であり、地下鉄サリン事件の実行犯である男:豊田亨を通してオウムを検証している本だ。


頭の悪い感想なことこの上ないのだが、ちょっと圧倒的に凄い。
ここ数年で読んだ本の中でも“凄い”という部分においては突出している気がする。
(初版発刊は2006年)

日常的に“オウム真理教”という言葉を聞いていた世代(30代以上?)の方には是非とも一読をお勧めしたい作品である。


青木

2010年10月05日 | 本・作家
身から出た鯖。  脂のってるねぇ、ってそうでは無い。
身から出た錆、ではあるのだが、連日残業地獄である。

深夜に帰宅し体力的にはヘロヘロであるが故、すぐにでも寝てしまいたいのだが、
直前まで仕事をし、テンション上がりまくり脳覚醒しまくりの状態なので、なかなか睡魔が襲って来ない。
ベッドで横になってみるも“生まれたての小鹿の物真似”など始めてしまいそうな勢いの為、
寝るのは諦めて本を読むことにした。

薄暗い中、本棚をさぐり、朝まで読みふけってしまう程楽しくもなく、
かと言って「つまんね。」と音を上げてしまう事の無い作品選びに着手した。

しばらくすると見覚えの無い本が出てきた。
タイトルは『青木』。作者は、、細かいカタカナでダラダラと書き綴られており読めない。

まったく記憶に無い本に戸惑いながら、多少は明るい窓辺へ持ち出し、
正確に判読できる状態で見たその本は、『香水/パトリック・ジュースキント』、だった。

こんなモノ明け方に読めるかっ!

チェーン・スモーキング/沢木耕太郎

2010年09月10日 | 本・作家
今でこそ「酒もタバコもやりません」と、健康志向な人間を装っている訳だが、
はじめて件の本を手に取った当時、10年以上も前の話だが、は、
日にタバコ50本分以上のニコチンを摂取するかなりのスモーカーであった。

…田舎のご老体な方々とこの手の話をしていると、
この後、お約束のように「女は?」と、ニヤついた顔で聞いてくる。
今では「モテ無い 金無い 度胸も無い」と短歌の下の句の様に答える癖がついてしまった。
無趣味で悪かったな。


30代の一時期、自分が理想とする“頭の良さ”を具現化した人物が沢木氏だった。
その時期、“誰かと脳を入れ替えられるとしたら誰が良い?”と聞かれでもしたら、
間違い無く“高村光太郎”と即答していたであろう。
違うし。   智恵子の面倒まで見れないし。


物事の考え方や対峙の仕方、思った事・感じた事を文章にする構成力、
自分の意思を他者に伝える、という行為において、パーフェクトだと感じた。
大人の男としてかくありたい、と。

…今にして思えばソレは、経験や心構えが伴わないまま
“社会的には大人”として扱われる年代に突入してしまった事への
あせりや憤りが向かわせた感情であったのであろう、と、自己分析できる訳だが。


この作品は、1990年頃に書かれた“タバコとは無関係の”エッセイ集である。
もともとがルポライターである氏が書くエッセイは独特で、小説以上に小説っぽい。
それはノンフィクションなのにフィクションっぽい、という意味での小説っぽさでは無く、
緻密に構成し練り上げていく過程で、必要であれば脚色し不必要な事実はバッサリと切り捨てる、
そのさじ加減がとても小説的に感じられる、という意味だ。  
…自分で書いてても意味が解らない訳だが。


氏の作品の中で最も知名度が高そうなものは、
後にドラマ化もされた『深夜特急』あたりなのであろうが、
旅行記、というジャンルそのものに興味が無く、読んだ事が無い(ぉい)。

今でこそお年を召した感はあるが、
若かりし頃は自信と野心に満ちた魅力的な外見であった氏の事である、
旅先でもさぞかし様々な経験をされた事と思う。


田舎のおっちゃんに「女は?」と聞かれても、↑なツマラナイ返答はしないだろうなぁ、この人は。

イッツ・オンリー・トーク/絲山秋子

2010年08月23日 | 本・作家
複数の男性との関係を軸に
女性視点での性交渉、“いわゆるセックス”、の範疇を超えているのだが、を、
ただ書き綴っただけの短編小説である。
…そう書くとものすごく語弊があるような気がするが。

だが異性と触れあう事の意味を
極めて簡潔に提示し、理解・納得させてくれる作品でもある。
「凄いのか凄く無いのか」と問われれば、間違い無く凄い作品なのであろう。

が、それ故に読み手を選ぶことも事実である。
「理解は出来ないがそう考える人もいるのだろう」
程度の共感では、やがて読みすすめる事が困難になって来る筈だ。


抗鬱剤を常用している売れない絵描きの主人公が、
“都議会議員でEDの男”、“痴漢”、“鬱病でヒモのいとこ”、
“精神病のヤクザ”、“自分に好意を持っているが気持ち悪いと感じる男”等と
イタしたりイタさなかったりする話しが短い章毎に語られている。

なぜスルのか。なぜシナイのか。

直接的な描写が数多く出て来るのだが、
それらの描写・背景が、ただただセツナク感じてしまうのは、
異性故“誰とでもシテしまう女性”の『生理』が理解出来ない所為なのか、
不必要にロマンチスト(笑)である所為なのか、それとも、
“自分を必要とする他人を必要とする自分”の存在それ自体が哀しい事なのか。


いかにもインテリな同世代の女性が書きそうな話しではある。
また、女性の『イク感覚』が重要なファクターである以上、
体験的な意味で理解出来ているとは言い難いが、
男性視点に立っても女性心理に共感出来るという不思議な作品でもある。


“痴漢”さん、カッコイイっす。

指先からソーダ/山崎ナオコーラ

2010年08月12日 | 本・作家
普段は腫れぼったい一重マブタの自分も、
夜更かしした翌朝はプチ整形バリの二重マブタになる。
昨日、仕事帰りに表題の文庫本を購入し、一気に読んだ。今朝は二重マブタだ。


4年程前、文庫化されたばかりの『人のセックスを笑うな』を手にした時、心の中で、うなった。

なにしろ『人のセックスを笑うな/山崎ナオコーラ』、である。
試しに10回程心の中で繰り返し唱えてみて欲しい:人のセックスを笑うな/山崎ナオコーラ、と。
いかに完成されて隙が無いか、
無駄な復唱がどれほどお腹を空かすのか、
「♪お腹と背中がくっつくぞぉ~」は内臓の存在を無視しまくった歌である、
等々のことなどがお解りいただけると思う。


ナオコーラさんの作品を読むのはそれ以来なので、今作で2作目だ。
他の作品を手にした事も何度かあったのだが、買う迄には至らなかった。
自分の中で、初めて“タイトルと著書名”に触れた時のインパクトが強過ぎて、
小説そのものからそれ以上の内容を読み取る忍耐力をスポイルされてしまった感じなのだ。


今のところ唯一のエッセイ集であるらしい『指先からソーダ』からは、
『人のセックスを笑うな/山崎ナオコーラ』のレトリックを生み出した背景が透けて見え、とても興味深い。
“瑞々しい感性”なんて言葉を使う感性が既に腐っている事は承知の上で、
そう評せざるを得ない程、 『ナオコーラ』を名乗る感性の正当性・説得力に溢れている。


何十年か先、この人が老いた時に感じた世界の話しを読んでみたい、と思わせる作品。


…『男友だちを作ろう』企画、次回は“普通のおっさんと友達になろう”、とかどうでしょうか。
真っ先に立候補するんですけど。。