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金魚日和

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田 村 は ま だ か

2011年04月03日 | 本・作家

つづき

数年前、新聞でソノ作品の書評を読んだ記憶があった。

HDの容量が512MBしか無いmy脳にも関わらず、
知らない作家の読んだことも無い作品の記憶が残っていたのは、
ひとえにそのタイトル~『田村はまだか/朝倉かすみ』~が秀逸だった所為であろう。

……言っときますけど、『田村、はまだか(浜田化)』じゃねーですから。


平積みされた文庫本を手にとった。
表紙にはリリーさん(「おでんくん」の方)に似た人物が椅子に座っているイラストが、
帯には吉川英治文学新人賞受賞作品であることを示す文言が書かれている。
少し読み進めると、スグに“コレは当たり/自分が好む傾向の作品だ”とわかった為、
財布の中身と株価、血中コレステロール、好きな相撲の決まり手などを確認し、レジへと向かった。


同窓会の三次会会場となったスナックで、
同級生である“田村”を待つ5人とその店のマスターが、田村を軸にソレゾレの人生/生活を回顧する物語りである。

ただそれだけ。

ただそれだけなのだが、
状況・心理・人物の描写/表現が素晴らしい為、人生の機微に触れまくることが出来る。
登場人物と同世代の人間(40歳前後)なら、“触れまくる”どころか握り締めて機微汁を搾り出すことすら可能な作品だと思う。

久しぶりに正面きって「大好物。」と言える作品に出会えた。 とても嬉しい。


…表紙のイラストは、文中で語られている内容から、スナックのマスターであることが判明する。
近年中に映画化、なんてことになれば、そのまんまリリーさんが演じられるのであろう。


田村はまだか

2011年04月02日 | 本・作家

花粉症でパフューマーなブティック経営者の店へ打ち合わせに出かけた時のこと。

ゲイ/女装マニアな方々にも支持されているド派手なブティックへは、約束の時間の30分以上も前に到着した。
極度の方向音痴ストである自分は、目的地までの所要時間を“道に迷っている分”も含めて算出する為、
奇跡的にスンナリ到着した時などには大幅に時間が海女ってしまうことがある。  ウニでも獲るか。

到着前迄は店内で時間を潰すことも考えていたのだが、
『ザ・ガーリーショー/マドンナの1993年のワールド・ツアー』の衣装のような服が並ぶウインドウを前にしたら、ソノ考えは吹き飛んだ。
脳内再生される「ィッロ~リ ィロ~リ プッチュァハンズォ ロ~バマィ バァ~ディ♪」のメロディをかき消すように、
近くの本屋へ逃げ込んだ。


めぼしい雑誌は数日前に目を通したばかりだった為、単行本/文庫本のコーナーを見てまわる。
と言っても、消費する小説の大半をBOOK○FFの100円コーナーからサルベージしてくる貧乏人なので、買う気はゼロ。
文字通り、平積みされている本の装丁や背表紙を見て回っているだけだった。


その時、自分でも予想もしていなかった言葉が口から出た。 …「田村はまだか」。。

つづく


エーゲ海、マスオ、雪

2011年02月04日 | 本・作家

仮に“フグ田マスオ”さん(サザエ夫)が“福田満寿夫”さんだった場合、
“池田満寿夫”さん(故人/女は海)とは一文字違いだ。
多才なところも似ているが、だからナンだと言われても、困る。


『窓からローマが見える』と書いたのは池田の方のマスオさんだが、
エーゲ海でも見えないかと思い事務所の窓を開けると、野良さまがウォーキングしておられた。
ギリシャの白い街並みのような雪原には、他の猫さまのものと思しき足跡が残っていた。


今日から事務所の電話に出る時は「はい、サントリーニ島の○○です。」と名乗ることにしよう。


あめゆじゅとてちてけんじゃ

2011年01月02日 | 本・作家

「おめでとうございます」が行き交う新年に『永訣の朝』もどうかと思うが、
意味としてではなく、言葉のリズムとしてこの一節を思い出すことが多々ある。
妙に記憶に残るその言葉は“ジャンバラヤ”や“道端アンジェリカ”、“嫁入りしたこたしたばってん”等と同じ構造だ。

・・・たぶん。

二日は初売りにGo!Go!Go!(僕らのヒーロー/ヒロミ郷)だ。
ゆき、降りませんように。


世界のネイチャーフォトグラフィー2011

2010年12月28日 | 本・作家

ドヤ顔。

先日、いつものように書店内をフラフラしていると、
世界のネイチャーフォトグラフィー2011』と題された写真誌が目にとまった。

写真を撮ることが筆頭の趣味になった今でさえ、正直、“写真”そのものへの関心は薄い。
長く絵画を志し今でもデザイン業界の末端にいる所為か“写真を撮る”という意識よりも、
カメラを使ってデッサンをし、データを弄ることでタブロー(は大袈裟過だが)にする、という感覚が強いのだ。
(なので、正確にはデジタルカメラが好きなのであって、フイルムカメラを持ち歩こうなどとは思わない。)
仕事で使う“第三者が撮った写真”をチョイスする時は別にして、
自分が撮る/撮ったものには“写真的な良さ”を求めているわけではないのだな、うん。

そんな理由もあり、人様がお撮りになった『写真』を積極的に見ることはあまりないのだが、
この写真誌は手に取って数ページめくった後すぐレジに並んだ。 この手の本としてはリーズナブルだし。
で、自宅でゆっくりと鑑賞したのだが、凄いなぁ『写真』って(笑)


絵画と写真の違いに、あ、これはあくまで持論ですが、に、“輪郭線の捉え方”があるように思われます。
絵画の下地が無い人に絵を描かせると、最初に輪郭線を描き、その線の中と外とを塗り分けるように描き進めます。
様々な表現方法を通過した後に“輪郭線で塗り分ける”という技巧に落ち着くのは構わないと思うのですが、
学生レベルではこの『輪郭線』に対する意識を捨て去ることを徹底して教え込まれます:
「物には境界線があるだけだ/輪郭線のような“どこにも存在しない線”を描くな」、と。

視点から消えた面の端が境界線として存在するような描き方を模索することからスタートするんですね、現代の絵画の基礎は。
よって、自分なぞは『境界線≒輪郭線』は非常にファジーなものとしてしか認識していないんです。


と、すっかり文体が変わってしまったわけだが、上記したような理由により、
“写真におけるピントの正確性=境界線の確保”ってあまり重要視していなかったのだ、正直なところ。

それがっ!、まっとうな『写真』を見て目からウロコがボロボロと。
いやぁ、写真におけるピントの正確性って、作品のクオリティを決定付けるしメッセージの伝播をも左右するのな。
そんな写真を趣味としている人なら誰でも知っているようなことを今更ながらに実感したのだ、この写真誌で。

斯様な感動があったわけで、猫さまを撮る為に公園をさまよった週末、
正確なピント合わせ&ブラさずに撮ることは難しい。