佐久間先輩の▲またまた、NHKの問題、を見て感じたことを書く(文末、参照)。
佐久間氏の所論は、今回のNHK職員のインサイダー取引の問題は、組織の体質に根ざす、という事である。
★ ★ ★ ★ ★ ★
公共放送が建前のNHK本体では、やることが難しい金儲けを、
多数の子会社・関連会社を使って行い、
これ等の会社が、職員達の天下り先になっている構図は、
官庁と全く同じである。
その上、NHKには毎年自動的に(税金みたいに)お金が入ってくるのも、、
お役所と同じだ
と、以前の「週間文春(2005/2/3)」に面白く書いてあった。
★ ★ ★
私の記事:▲ 終戦62年と柳澤恭雄氏の死:を引用して、佐久間氏自身が記事のコメント欄に書いているが、
若しも1945/8/15に、
NHKに柳澤氏が居なかったらば、 昭和天皇の意向があっても、終戦が出来ずに、日本は現在のコソボの様になっていた。
そうなると、何千万人の死者が出たか分らなかった。
それ程の素晴らしい働きをしたNHKが、なぜ、現在の姿になったのか。
それは、その柳澤氏がNHKに愛想をつかして飛び出したように、有能な人が居ても、
無能な者の方が幅を利かすような体質だからである。
★ ★ ★
中越地震のときに、発生直後から夕方までNHKは地震のニュースを流し続けたが、災害現場の映像は民放の方が遥かにリアルであり、NHKは役所の映像が主であった。
しかも、役所の電話が鳴り続けるのに、担当者は間延びしたインタービューを止めないで続けていた。
電話は救出を求めるものであろうに、役人にその対応をさせずに、自分との対応を長長とさせる。
こうした感性の持ち主を、当時、
曽野綾子氏は、『傲岸な猿』、と評した。
この猿共が、佐久間氏も書いているように、縁故採用で高給なNHKを占領したのだ。
★ ★ ★
2004の秋ごろ、事実、当時のNHKに対して批判世論の高まりがあり、
2004/9/9の国会で会長と理事が不祥事の釈明と陳謝をしたが、その総務委員会の模様を、NHKは生中継をしなかった。
そして、その様な会長の辞任を要求した日放労の文書にも、同僚職員の不祥事への反省の文字は無かった。
★ ★ ★
(上記の「週間文春」の記事の出た頃)、民放には自局の番組を検証するレギュラー枠が有るが、NHKは自局の宣伝ばかりであるので、NHKには隠蔽体質がある、と、よく言われた。
こうした『倫理の空洞化』、『公器としての自覚の欠如』
は、その頃よく指摘された。
何時の間にか忘れられてしまっているが、最近の佐久間氏の発見ではなくて、当時は多くの人が書き、語っていたことである。
例えば、2005/2/1の毎日新聞の大石恭彦氏(東洋大教授・メデイア法)の「放送現場から声上げよ」などは一例である。
その大石氏の文章に、1968・5のフランス五月革命で、
フランス国営放送ジャーナリスト達は
「放送品位の向上」をスローガンにスト入りし、
時間は掛かったが、82年に実を結んだ話、一般の日本人には余り知られていない出来事を紹介している。
その背景となる状況について、私の体験を次回の記事、NHK問題{正月の感想(2)・続}
に紹介する。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
後註
当初、[2008/1/26]に公表したエントリーは、やや長くなりすぎて読みにくいことと、多少異質な話題を含むことのために、二つに分けて、
後半部分は[2008/01/29]に公表の続編
NHK問題{正月の感想(2)・続}
、に入れました。
▲大石恭彦氏の記事:「放送現場から声上げよ」
▲「フランスでは、テレビは、程度の悪い人間の見るもの・・・」
この部分の内容の関係で、当初の記事をトラックバックで送った先のブログには、ご迷惑を掛けて申し訳有りませんでした。 どうか、続編のほうを御覧になって下さい。
佐久間氏の所論は、今回のNHK職員のインサイダー取引の問題は、組織の体質に根ざす、という事である。
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公共放送が建前のNHK本体では、やることが難しい金儲けを、
多数の子会社・関連会社を使って行い、
これ等の会社が、職員達の天下り先になっている構図は、
官庁と全く同じである。
その上、NHKには毎年自動的に(税金みたいに)お金が入ってくるのも、、
お役所と同じだ
と、以前の「週間文春(2005/2/3)」に面白く書いてあった。
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私の記事:▲ 終戦62年と柳澤恭雄氏の死:を引用して、佐久間氏自身が記事のコメント欄に書いているが、
若しも1945/8/15に、
NHKに柳澤氏が居なかったらば、 昭和天皇の意向があっても、終戦が出来ずに、日本は現在のコソボの様になっていた。
そうなると、何千万人の死者が出たか分らなかった。
それ程の素晴らしい働きをしたNHKが、なぜ、現在の姿になったのか。
それは、その柳澤氏がNHKに愛想をつかして飛び出したように、有能な人が居ても、
無能な者の方が幅を利かすような体質だからである。
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中越地震のときに、発生直後から夕方までNHKは地震のニュースを流し続けたが、災害現場の映像は民放の方が遥かにリアルであり、NHKは役所の映像が主であった。
しかも、役所の電話が鳴り続けるのに、担当者は間延びしたインタービューを止めないで続けていた。
電話は救出を求めるものであろうに、役人にその対応をさせずに、自分との対応を長長とさせる。
こうした感性の持ち主を、当時、
曽野綾子氏は、『傲岸な猿』、と評した。
この猿共が、佐久間氏も書いているように、縁故採用で高給なNHKを占領したのだ。
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2004の秋ごろ、事実、当時のNHKに対して批判世論の高まりがあり、
2004/9/9の国会で会長と理事が不祥事の釈明と陳謝をしたが、その総務委員会の模様を、NHKは生中継をしなかった。
そして、その様な会長の辞任を要求した日放労の文書にも、同僚職員の不祥事への反省の文字は無かった。
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(上記の「週間文春」の記事の出た頃)、民放には自局の番組を検証するレギュラー枠が有るが、NHKは自局の宣伝ばかりであるので、NHKには隠蔽体質がある、と、よく言われた。
こうした『倫理の空洞化』、『公器としての自覚の欠如』
は、その頃よく指摘された。
何時の間にか忘れられてしまっているが、最近の佐久間氏の発見ではなくて、当時は多くの人が書き、語っていたことである。
例えば、2005/2/1の毎日新聞の大石恭彦氏(東洋大教授・メデイア法)の「放送現場から声上げよ」などは一例である。
その大石氏の文章に、1968・5のフランス五月革命で、
フランス国営放送ジャーナリスト達は
「放送品位の向上」をスローガンにスト入りし、
時間は掛かったが、82年に実を結んだ話、一般の日本人には余り知られていない出来事を紹介している。
その背景となる状況について、私の体験を次回の記事、NHK問題{正月の感想(2)・続}
に紹介する。
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後註
当初、[2008/1/26]に公表したエントリーは、やや長くなりすぎて読みにくいことと、多少異質な話題を含むことのために、二つに分けて、
後半部分は[2008/01/29]に公表の続編
NHK問題{正月の感想(2)・続}
、に入れました。
▲大石恭彦氏の記事:「放送現場から声上げよ」
▲「フランスでは、テレビは、程度の悪い人間の見るもの・・・」
この部分の内容の関係で、当初の記事をトラックバックで送った先のブログには、ご迷惑を掛けて申し訳有りませんでした。 どうか、続編のほうを御覧になって下さい。
「クイズモンスター」という番組が新規に放映されたので見たら「Aタレントの生年月日は何月何日でしょう、Bタレントの出身地は何処でしょう」などとやっている。余りに馬鹿馬鹿しくなって直ぐに見るのをやめた。其の後どうなっているのか知らないが恐らく同じような事をやっているのに違いない。
民放に「世界不思議発見」というロングラン番組があるが同じクイズ番組でも歴史や遺跡の勉強になって結構面白い。黒柳徹子などもそのために、多忙な合間を縫って国会図書館に出かけて試験勉強をしている事を司会の草野アナから聞いたことがある。
視聴率が上がればよいと言うものではない。これでは大宅壮一が嘗て言っていた「一億総白痴化」が将に現実化してきている。その元凶の一端は品格の欠如したNHKにある。
私も「世界不思議発見」は毎回欠かさずみているのだが、「クイズモンスター」というのは、一度見て、呆れ返り、どの局のものかも知らぬまま、以後覗いても見ませんでした。 NHKならば、さもありなん、と思います。
若しもTV視聴に金を払わなければいけないのならば、日本国民のテレビ視聴料は月額幾ら、と法律で決めて置いて、その金額のどれだけを、どの局に渡すかは、国民各自の判断で決めたらよい、と思います。
「世界不思議発見」には達のお金は行かずに、「クイズモンスター」には強制的にお金が取られるのは、不合理ですから。