キャズ君が以前に
▲女は恐ろしい話 [C-164][2007/12/27]
を書いているが、 私も最近同様に、
「女は怖い」と感じた出来事が有った。
前々回の記事に書いた市民館のダンスパーテイには、
私も運動のためによく行っている。
毎日一万歩、歩きなさい、と言われても中々継続するのは
難しいが、好きな音楽に合わせて動いていると、
一時間くら . . . 本文を読む
近頃、市民館などで盛んに開催される老人のダンスパーテイの風景については、
▲ダンスパーテイでの確率計算 :[2009/2/28]
に書いたが、これは往年のダンスホールの:
▲昔のダンスホール(3):[2006/09/3]
などの風景とは、随分と違っている。
その最大の相違は、最近のダンスでは、死者が出ることである。
転倒することも、昔は滅多に見なかったが、シャル・ウィー・ダンス以来の . . . 本文を読む
市民館などで開催される、地域のダンスパーテイでは、最近は、
「ミクシング」(又は、「出会い」)、と呼ばれる遊び、
が行なわれる場合がある。
以前のパーテイ会場では、初対面の男女が近付くのには、些かの抵抗感があった。
それで、今まで知り合いでなかった人達がスムースに組んで踊れるように考え出された方法である。
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パーテイの途中で、司会者の合図で参加者が夫々の行動を止めて、男女 . . . 本文を読む
2009/02/22の毎日新聞の”余禄”によると、
日本アマチュア野球規則委員会(委員長:麻生鉱二)が、
「投球を受けた捕手がストライクと見せかけるためにミットを動かす、プロ野球中継などで見慣れた行為を慎むように」、
とのキャンペーンを始めたそうだ。
捕手によるこの不正な『ストライク工作』は、アマ・プロを通じて日本野球に特有なもので、
各種国際大会に参加した日本人審判は外国人審判に、「 . . . 本文を読む
木下氏の文章に触発されて、改めてダンス日本インターのビデオで、プロ決勝戦の規定フィがーを個別に踊る場面をスローで再生して見ると、今年のフォックスとロット、一昨年のワルツ、いずれでも日本選手と外国選手の基本動作の落差の大きさに驚いた。 普通の速度で画面を見ていると分らないが、スローで見ると、プロとアマの差である。 これではブラックプールで日本チャンピオンでも決勝戦に残れないのが当然だ、 . . . 本文を読む
先週末の日本インター競技会で,、従来上位を占めていた、日本のプロ選手の成績が振るわず、若手の成績が上位に並んだ。
これは、日本社会の改革に向けての、非常に大きな進歩である。 と言っても、一般の方には分り難い話なので、立ち入った解説をする。
以前には、日本のダンス競技会では、外国の一流選手が参加しても、競技判定は、優勝以下、上位入賞は日本人選手が占めて、実に無理な、審査結果であった。数年前から、この風潮は改まった。私が知り得た、幾つかの経緯、があった。
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思い掛けない新聞記事:の頁を見た。何と、「昔のダンスの話(1)」、に書いておいた、「ダンサー数、1000人を擁した」、大阪ミナミのダンスホール「メトロ」の内部、の1951年8月撮影の写真が載っている。そこの記事文面に、今は作家、作詞家として知られる山口洋子氏の文章がある。彼女がミナミのホールで不採用になった思い出話と、名古屋のダンスホールで働いた話などがある。この名古屋のホールも、私には懐かしいホールである。 或いは私は、若かりし日の山口洋子氏の手を握った事があるのかも知れない。 . . . 本文を読む
1950~1960年代のダンスホールでは、 閉館前の最後の一曲を、映画「哀愁」に現われた「蛍の光のワルツ」で締めるのが、一つの定番であった。その曲の掛かる頃から、ホール内の照明は暗くなり始め、演奏中に真っ暗になる。映画『哀愁』のクラブで、蝋燭が一本ずつ消えていって、真っ暗な中で、ビビアンリーと、ロバート・テーラーが、組んで踊る場面を思い出させるダンスホール側の演出である。 . . . 本文を読む
{ 昔のダンスホール(1)}、
{昔のダンスホール(2)}、 に引き続いて、
昔の、ダンスホールの「不良」の話を二つほど紹介しよう。
★「新橋フロリダ」は名門ダンスホールであったから、それなりの従業員も揃っていて、最後まで順調に営業を続けていた。
その最終日の物語である。
毎日、夕刻の開店時間が近づくと、ダンサー、ボーイ、などの従業員が規定時間に遅れないように店に入り、 略同時刻に、早 . . . 本文を読む
★ 私の郷里の長野県は、明治以前からの名立たる教育県であった( 性悪説論者の弁(1)[B-24])。
昔は教育関係者の団体「信濃教育会」というのが有って、実に活発な活動を展開していた。 県下の小学校で使用する「郷土史」などの教科書の編纂・発行までしていた位だから,出版物等も多くあった。
その中に、「子供の喧嘩」、という本があり、実例報告を多く集めて、パターン化して分類した、或る研究会の報告書で . . . 本文を読む
歴史とは正確に伝わらぬモノだなあ、と感じる場面が多かった8月。
関連して、文化とは伝承が困難だと感じることの多い昨今である。
あるブログで、面白い表現が有って、呻らされた。
「ノーキョー」と言う言葉を外国人が憶えるまでは、
日本という国は、海外では尊敬の対象であった、
というもの。
昭和40年代の海外の様子の感想を、私に書かせれば10ページ以上は要する内容の話を、これだけ簡潔に表現する、こ . . . 本文を読む