Alpsブログの記事:
▲続、ある出会い
は、Alps氏の知人であるO.H.さんの、千曲川の流れに沿っての旅の、「旅行紀」と「スケッチ」の紹介である。
そのスケッチに描かれた郷里の風景の懐かしさ、しかも、偶々、丁度、同じ時期に同じ地域を移動していたこともあって、私はコメントを入れた。
それに対して、Alps氏の返信コメントがあり、
『鉄道を乗り継ぐ旅は計画をチャンとしておかないと案外ロスを生じ易い。 ・ ・ O.H.さんの今回の旅はかなり強行軍。 折角買ったお土産を車内に置き忘れてしまうハプニングもあったようです ・ ・』
とある。
これを見て同感し、最初のコメント文には入れなかった話を、再度のコメントとして送ることを考えた。
が、コメントとしては些か文章が長くなるし、更に、序でに書きたいほかのことも頭に浮かぶので、此処に一つの記事として、AlpsブログにTBすることにした。
私がコメントに書いたように、稲荷山の村で用件を済ませて、稲荷山駅に来ると、其処から長野に向かう列車は一時間に一本ずつあり、丁度30分ほど待たねばならないタイミングであった。
あれだけの距離をタクシーに乗る程に急ぐ用件があるわけではなし、待合室で待った。
稲荷山は、あの辺の幾つかの駅のように全く無人ではなく、専従職員はいないが、夕刻まではパートの駅員が一人居て、乗車券販売や構内アナウンスを行なっている。
待合室のスピーカーから、放送が流れた。
「長野行きの列車は、途中駅(何処だか駅名を忘れたが)を、定刻20分ほど遅れて通過しました」、という。
それならば、11月末の長野の寒風に晒される事もないから、時刻表の定刻を15分ほど過ぎたらホームに出ることにしようと思って、待合室に座り続けた。
定刻近くなると待合室に居た地元の人達、数人が其処を出て陸橋を渡ったホームに行ったが、私は気にしなかった。
丁度、定刻に待合室の直前のホームに長野発の我々と逆向きの列車が入った。
実は、その時に向こう側のホームに長野行き列車が入ったのであるが、待合室ベンチに座っている私には見えなかったのであった。
それから10分ほど経って私が陸橋を渡って長野行きのホームに立つと、駅員が気が付いて、
「先ほどの列車には乗らなかったのですか。 次の列車までには一時間有るのですが」、
と声を掛けてきたので、初めて事情を理解した。
つまり、地元の人達は列車が途中駅で遅れていても、この駅までには遅れを取り戻して定刻に到着する事が良くあることを知っていて、アナウンスに関係なく、ホームに行った。
都会暮らしが長くて、その様な常識のない私は、列車の延着時間は途中経過よりも延びる事があっても、遅れを取り戻すなんてことは頭になかった。
更に不運な事に、長野行きと、長野発の列車が同時に駅に入構し、待合室から向こう側のホームが見えない状況だったことが在る。
それならば、「途中駅で遅延している、なんてアナウススを流すな」、というのは都会人の言い分である。
それはそれで、一つの情報なのだから、役立つ場合も有りうる。
Alps氏のコメントのとおり、『鉄道を乗り継ぐ旅は計画をチャンとしておかないと、案外ロスを生じ易い』のであって、田舎の駅ではこの様な事もあるのを知っていなかったために、生じたロスであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
此処で思い出すのが、25年ほど前の,ベルリンに行った時の事である。
アムステルダムでの用件が早く済み、念願のアンネ・フランクの家も見て、空港に着くと、未だ17:00である。
予定では、20:30発のSASスカンジナビア航空の便でベルリンに向かうことになっているのだが、調べてみると、
HN375便(アムステルダム17:35→ブレーメン18:35)、
BA768便(ブレーメン20:00→ベルリン20:45)、
という飛行機便があるのが分った。
これを乗り継げば、ブレーメンで一時間半待っても、当初予定よりもベルリンに一時間早く着く事が出来る。
それで、SASのカウンターで、ブレーメン経由でベルリンに行くことに、予定変更の手続きを申し込むと、窓口の女性が
「私ならば、そんなことはしませんね」、
と言う。
私としては、アムスの空港で20:30まで三時間半待つのが嫌というよりも、初めてのベルリン、それも東西分断で陸の孤島であった時代のベルリンに、暗くなってから到着するのが鬱陶しいのであった。
それで、彼女の忠告を押し切って、便の変更をしたのだが、これが大失敗であった。
アムス空港のチェックイン・カウンターで、KLMの職員に、“荷物は間違いなく、ベルリンに直行するのだな”と念を押して、相手もそれを確認したのに関わらず、実際はブレーメンで積み替えられずに、到着荷物受取台でグルグル回っていた。
BA機が一時間以上遅延して、待たされたのが寧ろ幸運であった。
あの田舎空港で毛色の変わった日本人が降りたものだから目だって、トランジット通路の職員に押しとめられたこともあり、待合室に一人だけ居た私に、あの荷重はお前のでないか、と教えに来てくれた。
それがなければ、私は旅の途中で荷物とはぐれてしまう所であった。
結局、ベルリン到着はアムスで予定変更しない方が早かったことになる。
ベルリン空港でマルクへの両替をしようとしたら、窓口は22:00までで、既に22:08になっている為、両替が出来ない。
タクシー運転手にはホテルに着いて両替して料金を払うことにして、乗せてもらった。
アムステルダム空港の女性が、「私ならば、そんなことはしませんね」、と言ったのは正しかった。
彼女は、具体的にどんな問題が、という事例を考えるのでなく、大掴みな判断として、問題の生じる可能性を見ていたのである。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
キャズ君が、マフィアに監禁されて危うい目に遭った経験談を何処かに書いていたのかを失念したが、
▲「ドジな男」:
にも、簡単に書いてある。
キャズ君は比較的用心深い方で、
新宿歌舞伎町辺りでよく遊んでいても、連れ込みバーの様な所に連れ込まれたことは一度も無いし、また、日本のその道の輩はキャズ君の人相風体を見て、これはモノにならないと判断するらしい事を、彼自身が名古屋駅前でその道のプロから聞いた経緯がある。
然し、それは日本でのことである。
イタリアのその方面の連中から見れば、キャズ君だってカモである。
Alps氏のコメントのとおり、「旅は計画をチャンとしておかないと、ロスを生じ易い」。
『その準備の中でも、「自分の生活圏の常識とは相違するかもしれない現地情勢」、の把握』
が、忘れ易いが、大切なのである。
▲続、ある出会い
は、Alps氏の知人であるO.H.さんの、千曲川の流れに沿っての旅の、「旅行紀」と「スケッチ」の紹介である。
そのスケッチに描かれた郷里の風景の懐かしさ、しかも、偶々、丁度、同じ時期に同じ地域を移動していたこともあって、私はコメントを入れた。
それに対して、Alps氏の返信コメントがあり、
『鉄道を乗り継ぐ旅は計画をチャンとしておかないと案外ロスを生じ易い。 ・ ・ O.H.さんの今回の旅はかなり強行軍。 折角買ったお土産を車内に置き忘れてしまうハプニングもあったようです ・ ・』
とある。
これを見て同感し、最初のコメント文には入れなかった話を、再度のコメントとして送ることを考えた。
が、コメントとしては些か文章が長くなるし、更に、序でに書きたいほかのことも頭に浮かぶので、此処に一つの記事として、AlpsブログにTBすることにした。
私がコメントに書いたように、稲荷山の村で用件を済ませて、稲荷山駅に来ると、其処から長野に向かう列車は一時間に一本ずつあり、丁度30分ほど待たねばならないタイミングであった。
あれだけの距離をタクシーに乗る程に急ぐ用件があるわけではなし、待合室で待った。
稲荷山は、あの辺の幾つかの駅のように全く無人ではなく、専従職員はいないが、夕刻まではパートの駅員が一人居て、乗車券販売や構内アナウンスを行なっている。
待合室のスピーカーから、放送が流れた。
「長野行きの列車は、途中駅(何処だか駅名を忘れたが)を、定刻20分ほど遅れて通過しました」、という。
それならば、11月末の長野の寒風に晒される事もないから、時刻表の定刻を15分ほど過ぎたらホームに出ることにしようと思って、待合室に座り続けた。
定刻近くなると待合室に居た地元の人達、数人が其処を出て陸橋を渡ったホームに行ったが、私は気にしなかった。
丁度、定刻に待合室の直前のホームに長野発の我々と逆向きの列車が入った。
実は、その時に向こう側のホームに長野行き列車が入ったのであるが、待合室ベンチに座っている私には見えなかったのであった。
それから10分ほど経って私が陸橋を渡って長野行きのホームに立つと、駅員が気が付いて、
「先ほどの列車には乗らなかったのですか。 次の列車までには一時間有るのですが」、
と声を掛けてきたので、初めて事情を理解した。
つまり、地元の人達は列車が途中駅で遅れていても、この駅までには遅れを取り戻して定刻に到着する事が良くあることを知っていて、アナウンスに関係なく、ホームに行った。
都会暮らしが長くて、その様な常識のない私は、列車の延着時間は途中経過よりも延びる事があっても、遅れを取り戻すなんてことは頭になかった。
更に不運な事に、長野行きと、長野発の列車が同時に駅に入構し、待合室から向こう側のホームが見えない状況だったことが在る。
それならば、「途中駅で遅延している、なんてアナウススを流すな」、というのは都会人の言い分である。
それはそれで、一つの情報なのだから、役立つ場合も有りうる。
Alps氏のコメントのとおり、『鉄道を乗り継ぐ旅は計画をチャンとしておかないと、案外ロスを生じ易い』のであって、田舎の駅ではこの様な事もあるのを知っていなかったために、生じたロスであった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
此処で思い出すのが、25年ほど前の,ベルリンに行った時の事である。
アムステルダムでの用件が早く済み、念願のアンネ・フランクの家も見て、空港に着くと、未だ17:00である。
予定では、20:30発のSASスカンジナビア航空の便でベルリンに向かうことになっているのだが、調べてみると、
HN375便(アムステルダム17:35→ブレーメン18:35)、
BA768便(ブレーメン20:00→ベルリン20:45)、
という飛行機便があるのが分った。
これを乗り継げば、ブレーメンで一時間半待っても、当初予定よりもベルリンに一時間早く着く事が出来る。
それで、SASのカウンターで、ブレーメン経由でベルリンに行くことに、予定変更の手続きを申し込むと、窓口の女性が
「私ならば、そんなことはしませんね」、
と言う。
私としては、アムスの空港で20:30まで三時間半待つのが嫌というよりも、初めてのベルリン、それも東西分断で陸の孤島であった時代のベルリンに、暗くなってから到着するのが鬱陶しいのであった。
それで、彼女の忠告を押し切って、便の変更をしたのだが、これが大失敗であった。
アムス空港のチェックイン・カウンターで、KLMの職員に、“荷物は間違いなく、ベルリンに直行するのだな”と念を押して、相手もそれを確認したのに関わらず、実際はブレーメンで積み替えられずに、到着荷物受取台でグルグル回っていた。
BA機が一時間以上遅延して、待たされたのが寧ろ幸運であった。
あの田舎空港で毛色の変わった日本人が降りたものだから目だって、トランジット通路の職員に押しとめられたこともあり、待合室に一人だけ居た私に、あの荷重はお前のでないか、と教えに来てくれた。
それがなければ、私は旅の途中で荷物とはぐれてしまう所であった。
結局、ベルリン到着はアムスで予定変更しない方が早かったことになる。
ベルリン空港でマルクへの両替をしようとしたら、窓口は22:00までで、既に22:08になっている為、両替が出来ない。
タクシー運転手にはホテルに着いて両替して料金を払うことにして、乗せてもらった。
アムステルダム空港の女性が、「私ならば、そんなことはしませんね」、と言ったのは正しかった。
彼女は、具体的にどんな問題が、という事例を考えるのでなく、大掴みな判断として、問題の生じる可能性を見ていたのである。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
キャズ君が、マフィアに監禁されて危うい目に遭った経験談を何処かに書いていたのかを失念したが、
▲「ドジな男」:
にも、簡単に書いてある。
キャズ君は比較的用心深い方で、
新宿歌舞伎町辺りでよく遊んでいても、連れ込みバーの様な所に連れ込まれたことは一度も無いし、また、日本のその道の輩はキャズ君の人相風体を見て、これはモノにならないと判断するらしい事を、彼自身が名古屋駅前でその道のプロから聞いた経緯がある。
然し、それは日本でのことである。
イタリアのその方面の連中から見れば、キャズ君だってカモである。
Alps氏のコメントのとおり、「旅は計画をチャンとしておかないと、ロスを生じ易い」。
『その準備の中でも、「自分の生活圏の常識とは相違するかもしれない現地情勢」、の把握』
が、忘れ易いが、大切なのである。
私も1963年、始めての海外出張で、パリ経由インスブルッグの便、エールフランスからスイスエアーに乗り換えてインスに着いたらバッゲージクレームで何時まで経っても荷物が出てこない。関係者に聞いても要領を得ない。初めての海外で私は青くなった事を覚えている。幸い数時間後に私のホテルにスイスエアーから荷物が届けられた時はホットした。