二人のピアニストに思う

gooニュース、注目のトピックスで「フジ子ヘミングがNHK斬り」を見て自分でもブログを作り、発言したくなった。

オフレコ報道と開戦70周年

2011-12-19 03:35:10 | ニュースの見方
11/28に田中聡防衛局長が米軍普天間飛行場の問題
  に関連した発言中に、報道関係者に
    「犯す前に犯しますよと言いますか」、
     と言ったことが、大きく問題化した。
一般読者は後から知ったのだが、それが報道関係者
  とのオフレコ懇談会の席上での発言であるので、
  多くの報道機関は黙していたのに、
  琉球新報が翌日報道したため、他者も一斉に
     後追いで報道することになったのだった。
  そして、一部の新聞や有識者が、
     琉球新報のオフレコ破りを批判した。

これに対して、佐藤優が その批判は間違っている
         との意見を述べている。
  メデイアは、その後、防衛局長の処遇
       などについては、詳細に報道したが、
    オフレコ問題については、皆沈黙している。
  私は局長の発言や処遇の問題よりも、
  「オフレコ事項の報道をどうする」の問題の方が
  遥かに重大だと思う

  佐藤優という人物は私は好きでない。 しかし、
  今回の発言に関する限り、彼を非常に高く評価する。

     ★ ★ ★ ★ ★
  12/7の毎日新聞への佐藤優の寄稿の要旨を紹介する:

佐藤自身が外務官僚だった時にも、何度もオフレコ懇談
  を行った経験があるが、それは酒席での放談でなく、
  政策への理解を求める公務である。
  記者が約束を破り記事にしたら国益にどのような
  影響があるかを頭の片隅においての情報提供であり、
  真剣勝負である。
オフレコといっても様々な形態があり、本当に機微に
  触れる話の時は1対1の懇談をする。
  10社も参加するような縛りの緩い場合は、
  記者が会社に報告するのを前提にしているし、
  話が政治家に流出することもよくある。
  逆に官僚はこれを通じて政治家にメッセージを
  流すこともある。

官僚が省益のためにこの様な形態の情報伝達を考えても、
  メデイアは国民の知る権利への奉仕が仕事なのだから、
  場合によってはオフレコ懇談の内容を報道すること
  に依って情報源との信頼関係を破壊しても、
  真実を伝えるのが職業的良心
というものだ。
官僚側は、オフレコ発言が報道されてもノーコメント
  で通すのが筋である。 官僚は嘘をついては
  ならないから、(今回の沖縄防衛局のように)
  事実であるのに、オフレコを理由として否定する
  のは誤りだ。
          これが佐藤の主張である。

     ★ ★ ★ ★ ★

今月は日米開戦70周年ということで、無謀な戦争が
  どのようにして始められたか、の話題は
  随分と語られた。
昭和16年12月8日に世間は熱狂的に喜び、歓呼の声
  を挙げた。 今、名前を挙げれば驚くような、
  当時の知識人、文化人、作家、などもその時は
  何の疑問も持たずに喜んだ。
国民的熱狂は悲劇を齎す、のが歴史の教訓である。
  ヒットラー独裁を産み出したのも、
  小泉に選挙を勝たせたのも同様
だった。

小泉は「郵政改革」という単一課題を掲げ、
  抵抗勢力という敵(ヒットラーの場合のユダヤ人)
       を作って大衆を扇動した。
  小泉の齎した小選挙区制で、
  チルドレンが選出されることになった結果、
  貧富の差は拡大し、国の借金は3倍に増えた。

手続き的には、日米開戦も、ヒットラーも、小泉首相も、
    民衆の多数が投票して決めたことだ。
70年前の国民的歓呼が、その4年後の
     大平洋戦争の末路を齎したのだ。

それは日本国民が衆愚だった、からではなく
  当時の報道が内外情報を正確に報道して
  いなかった、ためであった

昭和11年頃までは軍の暴走に歯止めをかけるような
  動きもあったし、報道も行われていた。
  その後の数年間の、本当に「言うべき時」に
  報道が沈黙したのが、知識人も含めた
  一億思考停止状態を作って、戦争突入の悲劇
  を生んだのだった。

その経験に照らして、11/28以来の報道関係の動き
  は非常に深刻な事態を暗示している。
  一官僚の発言内容よりも「オフレコ事項の
  報道をどうする」の議論を完結する方が
  遥かに重大だ。

報道の役割について、私が今までに書いた
  下記の記事も参照されたく思う:
勝ち組事件と報道の自由:[A-116]:[2010/9/19]
終戦の日とメデイアの無見識 :[A―88]:[2008/8/14]
 

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1 コメント

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self-will (noga)
2011-12-23 17:22:35
悪くないものを悪いと言わせようとする恣意がある。
その恣意が政治問題を何十年も膠着させている。
普天間基地の環境がどうしても我が国民に許しがたいものであるならば、政府は福島の第一原発のように「長期帰還困難区域」に指定すればよい。
この国の政治には、恣意の人でなく、意思の人が必要である。
さすれば、腹案ではなく、成案で決着できる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
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