準親友だった紀子さん。
昨年血液のがんで亡くなった。
東京で私が仕事をしていたころ、彼女の億ションで夕食をご馳走になったり、ご主人が予約して頂いた「ふぐ料理」や「すっぽん料理」など、たくさんご馳走になった。
ご主人は不動産会社を経営しており、多忙で奥様孝行はひたすらお金とプレゼントで済ませていた。(ある意味女性はそれで幸せだと勘違いしていた)
彼女はいつも、親子がちゃんと川の字になりフツーに暮らしたいと言っていた。
何百万円もする毛皮のコートや大島紬も宝石も彼女にとっては一時的な喜びでしかなかった。
そのぜいたくな暮らしのでも彼女が一番喜んでいたのが外国旅行。
私とも香港へ一緒に旅もした。
一人娘ちゃんと大学卒業記念のヨーロッパ旅行では1カ月かけ大学ツアーに参加もしていた。
その中でも、彼女の大好きだった「マウイ島」
オワフ島へはもう目もくれず、マウイ島へはいつも2・3週間滞在していた。
結婚し、ご主人からお茶・お花・着付け書道も勧められ・・きちんと身に着けこなしていました。
料理も上手で、料亭で食事をするとご主人が板前さんを呼び、彼女に料理の仕方やコツを伝授させていた。
彼女は、ベンツを乗りこなし、御主人が逝去した後、実家のお母さんが住む近くに家を建て一人暮らしをしていた。
私も何度か寄せていただいたし・・我が家にも滞在して頂いた。
ご主人にも旅立たれ寂しかったと思うが、ご主人が元気なころは、毎週箱根へ3時間かけながらゴルフも大好きで、大手企業の奥様方とチームを組んで楽しんでいた。
最近ユーチューブで、「鎌倉スローライフ」というのを見ていますが、このご夫婦と彼女がダブって見え、奥様の声とか笑い声が彼女に似てて懐かしく見ていた。
そんなユーチューブを見ながら13日の朝、のっこと夢の中で、、旧我が家と走って1分にあるノッコの家がある小樽赤岩で過ごした家の前を通り過ぎ、ノッコが「とっても来たかったの!!」とあの何とも言えない可愛らしい声と満面の笑みで私と腕を組みながら・・じゃれ合っていたところで目が覚めた。
とっても楽しかった私は,心の中で「のっこ!!やっぱり私のところと、懐かしい赤岩の家にあなたは戻りたかったのか??!!」と思いながら
・・なぜか彼女がやっと成仏したような気がして‥嬉しかった!!
今マウイが悲惨なことになっている。
もしノッコが生きていたなら「いやだーーー・・大好きなところなのに・・パパと何度も行った想い出が無くなっちゃうウなんて・・やだーあああ。。。」
と、鎌倉スローライフのママさんのようなしぐさと
あのあどけない声がみずみずしく聞こえてきそうだ!!
ノッコ!!これからも・・あちらの世界で永遠の命を楽しんでね!!