(字数制限があるのを知らず、だらだら書きつずっていたようです。その2として、又、だらだら、書き続けたいと、思います。苦笑)
ヒット曲メドレーは【積木の部屋】【恋】【カルチエラタン】と続き、【落ち葉が雪に】が出ました。この楽曲は、布施さんの作詞作曲で、ヒットした人気のある曲でした。この楽曲はサントリーのウイスキーだったか?の、コマーシャルソングにも、使われた記憶があります。大ヒットと言ってもいい歌でした。これは、【シクラメン】の大ヒットの副産物で、しかも、布施さんの自作自演だったから、売れたのでしょう。ヒット作品なんて、こんなものなんですよ、ね。なんて、当時、聞いていた想い出があります。布施明のイメージ作りには大いに役立った作品ですね。そして、【恋サバ】この曲を知ってる人は乗って、手を打って、拍子を取って、楽しそうでしたが、、。名古屋のお客さんは知らない人も目に付きました。続いて、【夢でもいいから】【そっとおやすみ】と、布施さんの優しさを全面に伝える歌が続きました。こういう路線の癒やし系の歌は布施明によくお似合いですね。やっぱり、人柄が、優しいのでしょう。そうして最後、【シクラメン】この日の【シクラメン】はとびっきりいい出来だったと、思います。ご一緒した彼女はおとなしい人なので、批評めいたことを口にすることは滅多にないのですが、帰り道、今日の【シクラメン】はとってもいい出来で、満足だったんじゃない?って、言ってくれました。ほんとに、そう思いました。若い時の【シクラメン】とは又、一寸異なり、深みが出てきており、変な癖もなく、一皮むけた【シクラメン】だったなあ~^!と感じてきました。【シクラメン】が大好きだった母の25回忌をこの2月1日に迎えます。この日の【シクラメン】を聞いたら、布施君も腕(?)をあげたわねえ~~!と、言ってくれただろうなと、思って嬉しかったです。
そうして、お召し替え。その間、【天国への階段】を小堀さんのギターを中心に演奏。これが又凄い熱演。中野の時、布施さんの歌も、次回には加わるとか、嘘っぽく話していましたが、やっぱり、嘘でした。この曲にヴォーカルは不必要じゃないでしょうか、って、素人の私にさえ感ぜられます。この題名というか、選曲は昨年の夏の暑さから選ばれたというニュアンスで,再登場したf布施さんが冗談ぽく話していた記憶があります。ほんとに、素敵な曲。布施さんのバックを勤める人達の実力はもっと、評価されてもいいと思うのですが、(私が知らないだけかも知れませんが、、、)音楽をやる人口も、多いのだろうな、と想像できます。聴衆も、大いに盛り上がり、惜しみない拍手を送っていました。結構、名古屋人の【耳】は高い物があると、密かに思って居る私ですけれど、、。【小堀先生】と、持ち上げて、布施さんの小堀さんの紹介。確かに、小堀先生と言うだけの実力者ですね。それに、お若い時から、甘いマスク、立ち姿の素敵さで、熱烈なファンも多いようです。どの世界でも、やっぱり、【見てくれ】って大切ですものね。いつも、もう少し、姿、形が、良かったら、楽しい人生だったかも、と思うこと、多い私ですが。が。。只、そうすると、又誘惑も多く、大変だから、天から与えられた物で、満足して、それなりに見苦しくないように、努力をせねば、と、思います。が、年と、共に、鏡さえ見るのも、嫌!、怖い!、この頃の日々です。!心の醜さだけは顔に出ないようにせねば、って思っています。なんか話が逸れてしまいました。アルバム【walk】に納められている、【ひまわり】を小堀さんのギターだけで歌ってくれました。大昔、ソフィアローレンの一面ひまわり畑が印象的な映画を見た記憶があるのですが、それが浮かんでくる楽曲です。只、私は【ひまわり】というと、何処までも明るい夏のイメージの方が強く、この楽曲の寂しげな感じには、一寸、ついて行けません。と言うのが、率直な感想なのですが、、。布施さん、小堀さんの実力を、余すことなく表現している作品であることには違いありません。そして、【dio,come ti amo(愛は限りなく)】この曲も、布施さん、若い頃、ほんとによく歌ってくれていました。私の大好きな歌です。今から思うと、当時、イタリアブームだったのでしょう。カンツオーネでデビューした布施さんは、やっぱり、カンツオーネがよく似合うと、思って聞いていました。【愛は喜び、愛は悲しみ】って言うところが、この歌、深いなあ~~!っていつも、思います。今回、この歌に出会えて、本当に嬉しかった。感激でした。
そうして、インフルエンザについてのtalk。【お染風邪】という話がとても、面白かった。言われてみて、みんな、笑って居たけれど、一寸前までは、流感。流行性感冒って言ってたよ、ねえ~~!そして続いて披露してくれた話。【お染久松】の心中物の話は有名だけれど、今の若い人達はご存知ないかも知れないが、この悲恋物語のお染さんの名前を取って、悪いはやり風邪を【お染風邪】と言ったと言うのも、何か哀れ。年上女の恋を悪い風邪に見立てるなんて、お染さんに同情してしまう物があるが、その風邪の撃退法に【久松留守】という張り紙をしたと言うから、笑えちゃう。江戸の人達はいつも、こういう余裕があった所に、感心するばかり。平和な世の中だったのだろう。そうして、この話を披露してくれた布施さんも、結構、江戸の文化に深い知識をお持ちである。【友を選ばば書を読みて,六分の侠気、四分の熱】と、与謝野鉄幹も謳っているけれど、読書家の布施さんは結構深くて楽しい話をしてくれる。
そうして、平常運転で最終コースの熱唱曲群に突入していきました。【walk】は確かに、いい曲、しかも、布施さんの現心境だろうから、胸を打つ物があります。文句なしに聞き惚れてきました。【we will meet again】西条秀樹ファンが、秀樹に捧げた歌だと、随分よろこんでいるコメントをtwitter等で、見つけたけれど、そんなに狭く限定してはつまらない、と、思うのだけれど。この楽曲はアルバム【walk】のエピローグとして入ってる物。作詞:布施明 作曲・編曲が井川雅幸。この頃、このコンビの楽曲が、ほんとに素敵に、私の体に入ってくる感じを受ける。布施さんの外国曲のcoverが著作権の問題で、使えなくった状態が厳しくなったとき、どうするのだろうと、私は密かに、気をもんでいたが、今や、堂々と、自作をここへ持ってきても、遜色ないのだから、大したもんだわ、って思って聞いてきました。作品は発表までは、作者の物だけれど、発表後はこの楽曲を聴いた人達が好きに受け取ればいいと思います。亡くなっていった、多くの人々に捧げる歌であるのでしょう。私も、多くの親しい人を、あの世に見送りましたから、この歌は心に響きました。いい歌だなあと素直に、思えて聞いてきました。今、しばらくは、この世に生かされて、がんばって見るからね、そうして【we will meet again】だよ、と、聞いているうちに、胸が熱くなっていました。私事で恐縮ですが、母のなくなる3日前、母が、あの世に行ったら、みんなに会えるよね、と言いました。その時、何言ってるのよ、【死】は【無】なのよ!と私は言っていたのでした。普通なら、強く反発してくる、気の強い母が、そうなのね、と、力なく笑っていたのです。その3日後、お風呂でなくなったのです。主人にその話をしたら、やっぱり、おまえは殺し屋だわ!と、苦笑されました。しばらくは、この胸のつかえが取れませんでした。この2/1,25回忌と言うことで、分骨してある知恩院さんにお参りをして、朝の勤行にも出させて頂きお話を聞いてきました。その時、信じる者には、極楽浄土が待って居ると言う言葉に出会いました。そうなんですね、信じなきゃ、いけないのですね。この歌は、あの世に旅立つ人に捧げた歌ではないと、思います。【別れ行く者】へ【we will meet agein】と言ってるのだと感じています。【さようなら】と言うのを、【see you again】というと、習ったとき、痛く感動した幼い日のことを思い出していました。
【平成からの手紙】もテーマは【we will meet agein】と同じテーマのような気がする。しかし、このコンサートの副題になっている同名の歌だけに、熱唱が印象的だが、CD化されて居ないので、後に残ると言う点では弱い。「愛はいつも心隠して無情の果てへ消えてゆくのか】の所が、印象的。この歌はもう聞く事はないのだろうか。何か、惜しい気がする。この歌もおそらく布施さん自前の作品であろう。そういう作品でendingを飾れると言うことは、ほんとに素晴らしく、実力を付けた物だと、感動でした。
ひっそりと、進められていた(?)楽屋見舞い、パソコンから、応募したのだけれど、発表の方法が解らず、早々に諦めてしまった。この会場は私より、6,7歳上の先輩の尊敬していた方が、日本舞踊の発表会を年1回なさっていた頃、楽屋に招待された仲間と出かけた想い出があったので、つい、応募したりしたのだけれど、結局、途中で有耶無耶になっちゃった。が、帰宅してチラシを見ると、終演後、発表、実行されたようですね。この話はどこからも、伝わってこない。羨まし過ぎるだろうからか。私も、この際、もう、ガラケイから、スマホに変えるべき時が来たなあ~~!と、思わせられた企画でした。平成の時代は終わり、時代はもっと、進んでいくのでしょう。時代に取り残されぬよう、頑張ってきたけれど、もう駄目、と思いながらも、新しい年を迎えて、未だ、ついて行けるかも、と思えるようになってきています。いつも、このように。布施さんには励まされてきました。(勝手に、私が感じているだけだけれど。)感謝あるのみです。【継続は力なり】と、中学の入学式に、校長先生の訓示が今も残っています。それまで、疎開生活から、父の勤めの関係で、三重県、岐阜県を通過して中1で名古屋に戻ってきた入学式だったから、印象に残っているのでしょうが、【続ける】事は難しいけれど、大きな力になる物ですね。濃淡はあった物の、布施明ファンを続けてきて、ほんとに佳かったと思った宵でした。
アンコール曲には【morir de amor】この楽曲は布施さんの、2012年に出されたアルバム【way of the maestro】に納められています。「愛に死す」と言う題名でも登場してきていました。プッチーニと言うか、【蝶々夫人】を感じさせる部分があるのですが、プッチーニの作品そのものではないみたいですね。布施さんによく合う楽曲だと、思います。そして、いよいよ、【My way】この歌を聴くと、ああ、終わってしまうのだと言う一抹の名残惜しさ、さみしさとともに、布施さんの一種の安堵の嬉しそうな表情を見て、こちらも、満足感を、大いに味わうことになります。今回も、年齢を感じさせない舞台でした。最後、【パン】と言う音がして終わりました。
今回のこのツアーは、回数も多くなく、それ故に、布施さんの声は潤っていました。公演の回数が増えれば、それなりに疲弊しますよ、ね。テレビのシリーズの番組の司会という大役も回ってきました。疲れないように、気持ちよく活動していただきたいと、願うばかりです。
私も、大いに布施さから元気をもらっているのだと、感謝の念を抱き、残りの、生かされている日々を充実して歩んでいきたいとの思いを胸に、帰宅いたしました。
【別件追記】
リニューアルのお知らせとして、【人生歌がある】のホームページに布施さんのメッセージが出ていますね。ご存知とは思いますが、、。それに五木、布施、郷の共演の番組が2/6に予定されてるみたいですけれど、、。布施さんサイドからは何も聞こえてきません。過去の映像を使った再放送なのかしら。いずれにしても、要チエックですね。(2/5 朝)トップの場面だけだったよ、ね。あとは気持ちよく眠ってしまったけれど。あの場面(3人で、【待っている女】)って、再放送?初めて?ああいう場面が多くあれば、リニューアルせずに行ったかもね、ってふと、思ったりして。。。(苦笑)録画を見直しました。【バラ色の月】がもう一曲ありました。これが、結構佳かったですね。発表当時とは異なって、【今】の布施さんの【バラ色の月】になってましたね。
布施さんのメッセージの中に、、【これまでの番組と五木さんの素晴らしい足跡を大切に、ショー・ホストとしてさらに明るい音楽番組にしていきたいと思います。】という言葉があり、殊に、【これまでの番組と五木さんの素晴らしい足跡を大切に、】と言う謙虚な言葉に、この姿勢なら、長続きするのでは?って、大いに期待出来ました。余り、気張らずに、肩の力を抜いて、頑張って欲しいと、蔭ながら、応援しています。
2/8(金)関西でのラジオ放送出演が怒濤のようにありますね。布施さんのホームページのinformationに出ています。知らずに、過ぎてしまうところでした。(苦笑)
このお知らせは布施さんサイドからきっと、あると思います。2/13(水)NHK出演 楽しみですね