一期一会

ひとりごと

AKIRA FUSE LIVE 2018-2019 “WALK”~平成からの手紙(2018/10/20)in 中野サンプラザ

2018-10-21 14:46:29 | Weblog

10月20日(土)布施さんのライヴ【walk】。私としては、今年、2回目の参戦をして参りました。

今回も、余り弾まない気持ちの中での出立でした、が、原因を考えると、愚息宅に寄れない事が原因だろうな、って思っていました。上の男の子の孫が、高校2年生。しかも、中間テストの真っ最中。そう聞いたら、やはり遠慮せざるを得なかったのです。でも、誰にも会わずに、布施さんのコンサートだけでは、やっぱり、詰まりません。そこで、札幌の単身赴任から、東京へ転勤になった愚息の顔でも見てこよう、と、思い立って、サンプラザのチエックインの時間まで、遊んでくれない?と彼に話を持ちかけると、僕でよけりゃ、荷物持ちをいたしますよと結構、話がスムーズに進んだのでした。いつも、お嫁さんと孫娘とで、待ち合わせる場所で、いつもの時刻にしましたが、その場所は化粧品売り場なので、愚息には気の毒に思い、【とらや】の売り場に変更をしたのでした。

大丸百貨店の開店時刻に合わせて、名古屋から【のぞみ】の指定をいつものように、EXエクスプレスで予約が入れてあったので、それに従って、ほんとに楽に出かけられました。只、朝晩が冷え込む時期なので、何を着ていこうか、迷いに迷ったあげく、薄い、間のコートを羽織っていくことに、前の晩に決めていました。この段階で凄く疲れてしまった気持ちでした。

何はともあれ、いつものように、名古屋駅へ向かいました。山陽新幹線が前日、トラブっていたようで、随分混み合っていると、情報を流していましたが、私の車両は満席というだけで、影響は有りませんでした。

いつものように、大丸へ行くと、開店1分前でした。私の姿を見つけた愚息が、よお!お久しぶり、お元気そうで、、、と、直ぐに現れたのでした。、悪いわねえ、折角のお休みで、家庭サービスなどせねばならないのに、、と言いつつ、まずは何処で、時間をつぶそうか、と言う話になりました。君の初上京は、中1の時で、ステーションホテルだったから、中は随分リニューアルしたらしいけれど、11時半まで、そこで、お茶でもしようかと言うことになって、出かけたのです。が、メインのテイールームはもう満席で、待っている人も沢山居ました。少し歩いて、行くと、【とらや】テイールームがあったので、そこへ、入ることにしました。ここは、お高いのか、随分空いていました。お抹茶でも、と言うと、いえ、いえ、お抹茶は母さんのが一番でございますから、アイスコーヒーで結構です、と、茶化しました。私は、、餡仕立てのコーヒーというのが面白そうなので、頼んだのですが、お砂糖の代わりに、あんこが入っているもので、どうって言うようなものではありませんでしたが、空いている喫茶ルームだったので、落ち着けたのはよかったかなと思いました。ま、元気でやっているようなので、安心しました。老けたねえ、と言うと、もう50ですので、と言って笑って居ました。亡き主人は48歳の時、心筋梗塞をやって、大騒動をしたので、君も、自分の体をよ~く観察をして、早めに、早めに、対処しないと、いけないよ、と言ってやりました。話はジュリーのドタキャンのことで、大盛り上がりして、なんか、小学生の時に僕は凄く心惹かれてたけれど、気持ち悪い体つきや精神構造になったあの人を見るのは、嫌だね、と言ったので、二人で、ジュリーの悪口で大盛り上がりしました。

11時になったので、このステーションホテルは混んでるので、丸の内ホテルで昼食を取ることにしました。このホテルもリニューアル前は、台風で家に帰れない職場の人達がここに泊まった,ビジネスホテルそのものだったんだよ、と、彼は笑って居ました。が、メインの食堂へ行くと、もう、全席予約が入っていて、無理だと、言うのです。そんなあ~~、今迄、そんなこと無かったわよお~~!と、不満顔をすると、奥まった所に、席を作ってくれることになりました。少し、行ってないうちに、色々、変わってしまって、、、。前など、窓際を、何も言わずと用意してくれたのに、年寄りと普段着の中年男とのお客を差別したなと、私が彼に毒づくと、そんなこと無いでしょう、母さん,ひがみっぽくなったねえ~~と、笑いました。コースを頼み、お昼から、ビールを飲んで、いい気持ちになり、もう、種々雑多の話をして、1時になったので、中野へ向かうことにしました。送って行こうかと、言いましたが、もう大丈夫、朝早かったから、お部屋で、少し休んでから、コンサートに出かけることにするわ、と、言って別れました。あなたは人生の一番の働き時だから、家族のために、頑張るのよ、と言うと、解ってますよ、と笑って居ました。やっぱり、彼の家族と一緒に会いたかったなあ~^!と、思いながら別れたのでした。

5時一寸前に、東京の布施友さんがメールで連絡をして、部屋へ、来てくれました。話をしながら、会場に行くときに、オーチャードの予約の話になり、もう、ファンクラブの申し込みが終わったことを教えてくれました。私としたことが、愚息が東京に戻ってきてるし、春休みなので、孫達とも、会えるので、出かけようと、思って居たのに、すっかり忘れちゃっていたことに気がつき、もう残念で仕方有りませんでした。未だ一般の申し込みは出来るはず。でも、いつも、オーチャードはお席が悪くて、がっかりして帰ってきた事を思い出して、もう、今年は諦めようと、思い直しました。昔、当日券が買えるかどうか、解らない時でも、出かけて行った会場もあったのに、、、、と、苦笑しながら、色々、思い出していました。

東京の布施友さんが私の部屋へやってきたときに、富士宮からの布施さんのファンの人がご主人と、前の広場で待っていた姿を見たと言いました。お席の番号を知らせてくれていたので、そこで、見つけようと言うことになりました。会場に着くと、入り口には凄く多くのお花が贈られて並べられていました。記憶がおぼろですが、服部セイコーの社長さん、この方はお若いとき、布施さんのファンだったとかで、【砂浜の恋】がお気に入りだったとか、聴いたことがあります。渡辺美佐さん、うたコン、これは、先日のことがあってかな?小林幸子さん、又、共演があるのかな?人生歌があるの関係者、松井五郎さん、等、等、いつもより余りに多かったので、びっくりしました。家へ帰ってきて、twitterを見てたら、阿川佐和子さんからも、皆さんとは違ったスタイルの花籠が出ていたようでした。多くの著名人が応援してくれているのだわ!って思ったら、私まで、心が温まる感じを持ちました。

遅れて入って来られた方が少し、ぬれておられるようなので、降ってきましたかと言うと、ぽつぽつ落ちてきましたと言っておられました。

そうして、【a starry night】から始まりました。「ほら 聞こえてくるよ 船出の喝采の声が」の所に、歓声のざわめきのような音声が入っていたのに気付きました。CDアルバムに、入っていたかなあ~~?、帰ってから、調べようと思って聴いていました。今回、2曲目と、アンコール前の最終曲の熱唱が、私の胸に飛び込んできて、印象的でした。先日のシビックと、曲目が変えられたのかしらって、思う程でした。が、帰って調べた限り、セットリスト通りのようでした。年寄りの記憶ですから、はっきりしませんが、、。この2曲は、先日、買い求めたプログラムに歌詞が載っています。だから、布施さんの作詞・作曲で、井川さんの編曲だろうな、と思って聴いてきました。

あ、そうそう、井川さんが復活されました。ほんとによかったです。ピアニストが変わられても、そんなに、遜色無いと、思って、シヴィックでは聴いてきましたが、今回、改めて、井川さんの実力は違うわ!と、偉大さを感じて来ました。布施さんと同じ年とかと聞いたことがありますが、どうぞ、ご無理なさらないで、一日も長く、演奏してくださいますよう、お祈りしながら、拝聴してきました。

帰ってきて、調べたのですが、2曲目は【ともかくも】という題が付いていました。「君との誓い 守るため」「あの地平線を越えた 君の場所で」の歌詞が印象的で、私に迫ってきたのでした。やはり、ご自分の作のものは、歌唱も熱が入りますね。そんな感想をもって、聴いてきました。

【聞かせてよ愛の言葉を】の一部をフランス語?で歌ってくれました、が、これが、ピエロ】に続くのはシヴィックでは一寸、不思議に思えていましたが、今回は、何か、納得でした。自分の心を隠しきって、相手の心に寄り添うというのは、究極の愛の言葉なのでしょうね。深いなあ~~と、感じ入ってきました。、布施さんの曲群の中に、道化師シリーズのようなものがあるように思うのですが、「Mr.ボージャングル」「道化師のように」「無言劇パントマイム」「ピエロ」というような曲群の中では「ピエロ」が私は一番好きです。作詞が布施さんで、作・編曲が井川さんなのです。久々に、この曲に出会えて、嬉しかったです。2002年のアルバム「do my best」の中に収められています。

布施さんの尊敬するアズナブールが先日亡くなられた事にも触れていましたが、今回、【she】を歌ってくれています。この元歌はアズナブールが歌っている「忘れじの面影」と言うのだそうです。アズナブールのことに触れて、「さよなら、アズナブール」と締めくくった時、なんか笑えてきました。アズナブールの年までは、頑張って、現役を貫いてください。私は、もうそんなに、生きれないし、生きたくもありません。布施さんより、7つも、年上ですから、布施さんのその年の活躍が見られないのは、本当に、残念です。そんなことを、ふと、思って、アズナブールについてのtalkを聴いてきました。

愛の終りに】を最初に聴いたとき、私は体が震えるくらいに感動したことを思い出していました。私はこういう経験のない、実に淡々とした人生だったけれど、当時、私は、布施さんの苦悩を、この曲から、勝手に想像して聴いていました。今回はさらっと、歌っていた感じを受けました。さらっと、と言えば、【霧の摩周湖】も女声コーラスが無いと、淡泊に聞こえました。富士宮のファンの方のご主人がこの歌がお気に入りだそうです。江南で歌ってくれなかったので、とても、残念がって、おいででした。今日は歌ってくれるからね~~と、始まる前に言っておいたのですが、、、。この歌はどんどん、進化していった歌でしたが、一寸、布施さん、この頃、飽きたかな?でも、この歌のファンは多いので、大切に、歌ってくださいね。

シクラメンはとても良かったです。変な癖も抜けたし、かといって、曲想の解釈も伝わってきましたし、ね。メドレーの締めくくりにふさわしく佳かったです。照明もとても綺麗でした。

【天国への階段】の時の小堀さんのギターはもとより、井川さんのピアノ、素晴らしかったです。次回は布施さんの歌が加わると言うことですから、楽しみですね。

talkで、バカラックの歌をレコーデイングに行ったときの話の中で、一人も、聴衆が居ないのに、フルートの名手が演奏をしていたと言うエピソードを披露していました。それに関連して、誰かさんのドタキャンを非難しないで、そこで留め置いた布施さんはやっぱり、人格者だわ!って私は思いましたが、はっきり言わないところが、人気が出ないのかもよ、と言う人も居たりして、難しいものですね。でも、布施さんは何事に対しても、誠実に対処しているのは私には感ぜられるのですが、、。

【Dio come ti amo】は素晴らしかったです。当時もほんとに、一生懸命に歌っていましたが、声質が今の方が素敵です。歌い終えて、きつい!と言うようなことを言っていましたが、本当に、素敵でした。

アンコール直前の最終の歌は【平成からの手紙】という題名の歌でした。これも、このライヴのための新作でしょう。「愛はいつも 心隠して 無情の果てへ消えてゆくのか」この詞が秀逸です。この作曲も、最終の歌にふさわしくダイナミックでした。布施さん、作曲も、腕をあげましたね。そんな感想を持ちました。

そういえば、、「ピエロ」のところで、マジックを披露して、お花をまいていました。夏木さんの番組で、歌だけでは駄目なんですよ!と言っていましたが、、、それを思い出していました。

途中のtalkで、にわか雨が激しく降ってきたようですと、実況よろしく言っていましたが、帰りは,皆さん、雨に濡れて、大変だったようですよ。

私と、東京の布施友さんとは、予約しておいた、最上階のレストランで、大反省会をして、雨の止んだ頃、お別れしました。

私は、部屋に戻っても、なかなか眠りにつくことが出来ませんでした。

布施さんと、彼のデビューの頃、出会って(一方的にファンになっただけですけれど)長い付き合いになりました。(一方的に、蔭ながら応援しているだけですけれど)

この頃、私は、ほんとに、不幸せな女だなあ、と、時々寂しくなります。私に比べたら、世の中の人はみんな、幸せだなあ~~!とつくづく思うこともあります。主人が生きていたら、後半の人生は、もっと、楽しかったろうと、思うこともあります。彼は楽しいことが大好きでした。遊びを私に教えてくれた人だったし、私の趣味、関心事に協力を惜しまなかったからです。しかし、今は一人で生きていかねばなりません。愚息が、名古屋に、通い詰めて、母さんを助けねばいけないのだけれど、と、言ってくれましたが、その言葉だけで、充分、嬉しいから、そう心配しなさんなと言ってやりました。ま、なるようになるわ!と、思い直しています。

布施さんは私的にも、お幸せですから、ますます、優しい愛の心でもって、布施さんの歌を愛してくれる人々に瞬時でも、幸福感、生きる力を与えてあげるよう、頑張ってください。それには、健康第一で、心を磨いてください。

今日のライヴは、いつも以上に、パワフルな布施さんでした。【ともかくも】walk】【平成からの手紙】の3曲の熱唱が熱く私に迫ってきました。

アンコールを1曲減らして、「morir de amor」をやめるとか、ファンクラブの会報に記載があったようでしたが、これも、2曲、【my way】とともに、歌ってくれたので、嬉しかったです。折角、クラッシックにも挑戦して、実力を付けたのですから、1曲はクラッシック曲をプログラムに、これからも、入れて欲しいと、思います。

体の悪い老人がお孫さんだろう人に支えられて、参加していらした人を多く見かけました。昔、そういう人を、結構、舞台の上からいじって、、笑いを取っていたことがありましたが、70を超える今はそんな気にはならないでしょう。年とともに、内面が充実してきた布施さんの姿を、垣間見るとき、私も、嬉しくなります。布施さんのコンサートに出かけられる人は、それなりに、幸せな人達だろうと、思います。

何時まで、応援出来るか解らない不安もありますが、蔭ながら、応援して行きたい気分になって、翌21日、帰名したのでした。

新幹線の車窓からの富士山を、品川を出たところから、もう、遠くに拝することが出来ました。近くになって、携帯で写真を撮ろうとしたら、電池切れで、残念でした。冠雪も厚くなって、雲一つ無い紺碧の空にそびえていました。

本当に、日本って素敵な国だと、思えた瞬間でした。

嫌なニュースが多い世の中ですが、一人一人の人間が幸福感を持って生きてさえ行けたら、もっと、もっと、素敵な日本の国になるだろうなんて、思いながら、名古屋に、降り立ったのでした。

 

(画像は頂き物もありまして、、、すみません)

【追記】

Ⅰ【愛の終わりに】は2つのヴァージョンがあります。①は1971年発表のものです。作詞:島津ゆうこ 作曲:クニ河内 編曲:宮川泰 ②は帰国後、セルフカヴァーで出されたものです。これは、ここ】で、聞けます。編曲:天野正道 です。みなさまはどちらがお好みですか。久しぶりに、聞き比べたら、帰国直後の方が、いいなあ、と思ったこともありましたが、やっぱり、初発の①の方が、今としては、いいなあと、思ったりしています。

布施さんのホームページ】の【fan club】から、特別、うれしい?お知らせが出ていますよ。お尋ねしてみてくださいね。私も、全く知りませんでした。twitterから、偶然解ったのですが、。(10/24)

 


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