“仏教離れ”とはいうものの、「浄土真宗」は信者数 1,200万人。
国内最大の宗派である。
吉川英治(1892-1962)も 浄土真宗の熱心な信徒で、最初に
書いた小説が『親鸞』だったとか。その吉川英治が、本願寺の
凋落を嘆いていた。
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「私は、何ということなく、親鸞が好きだ。蓮如が好きだ。
蓮如の好きな点は、仏法も世すごしも、軽々と言っている、あの
明るい無態度がいい。
蓮如の持っていたのは、わずかなる弟子と、裸馬と一足の草鞋だけ
だったが、庶民は、この人を光とした。
けれど、法然に起り、親鸞を祖とし、蓮如によって中興を見、
今日まで庶民に〝たのまれ〟て来た宗教としては、今は よほどな
考え時である。
本願寺が、四世紀もの長い間、今日までの栄誉と、荘厳と、安住と、
尊敬とを、世表のうえにうけてきたのは、ひとえに庶民の力によるもの
ではなかったろうか。信徒の親代々、家代々の浄財による支持、
素直な尊敬であった。
それなのに、今日の大伽藍の荘厳と、儀式と、むなしい法会修行。
群集を欲しがるような“形式”。それが 私には わからない。
今日の仏教全体の形なるものはすべて悉く古くさく、旧態旧臭で、
新しい世人の人々には何らの魅力にはならない。江戸時代から
明治以降の、長い沈滞期にそうなってしまったのである。
(折々の記)
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吉川英治が嘆いてから半世紀。本願寺としても、[親鸞」「蓮如」の
“み教え”を 積極的に説くようになってきたようだ。
先日も、ある寺の「永代供養」で「聞法(もんぽう)」を聴いて
きた。「法を聞く」のではなく「法に聞く」のです。自分の人生、
生き方、生き様を「仏法」に照らして、いかにあるべきかを
問い、身を正すのです、という言葉に、まず感得。
晩年になって親鸞が弟子に当てた最後の手紙、「必ず、必ず、
浄土で待っていますよ」。また妻「恵心」が娘に当てた手紙
「極楽でまた会いましょう」との言葉。
それを知識として知っただけでは“ここだけの話”です。
家に帰って、日常の生活の中で、親子、夫婦、嫁姑が、
“来世でも又一緒になりましょう”という愛和な関係を
築くことが、願いです。との話に感服。
愛知県は、浄土真宗の基盤の強い土地。東本願寺別院での
法会の時は、何千人もの人が集まる。ほんとに“素直な”門徒に
支えられている。私はその“素直な門徒”にも手を合わせたい。
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