現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

福沢桃介と お房さんと マダム貞奴

2019-04-04 20:44:17 | 虚無僧日記

「福沢桃介」は、諭吉の次女「房」さんの夫です。

旧姓は「岩崎」。現在の埼玉県吉見町の貧しい農家の次男でしたが、
「神童」と言われるほど、頭が良く、旧知の人の世話で慶應義塾に
進学した。慶應の運動会で桃介の眉目秀麗ぶりが福澤諭吉の妻・錦の
目にとまり、次女の「房」引き合わされる。

1887年 福沢諭吉の援助でアメリカに留学、2年後に帰国して、
房と結婚し福沢姓に変わった。
福沢諭吉には、男子が4人もおり、養子をもらう必要も無かった。
しかし、諭吉は人一倍の子煩悩で、娘可愛さのあまり、「結婚したら
夫の姓を名乗らなければいけないというものではなかろう」と、
岩崎桃介を「福沢」姓に改姓させた。だから養子ではない。

桃助は、肺結核にかかったが、その療養の間、株を研究し、株で
大もうけをした。当時の金額で10万円(現在の20億円前後)という。

そして、株で得た金を元手に実業界に進出する。木曽川水系に
ダムを築き、水力発電所を設置して、電気を関西方面に売った。
名古屋でも電気の需要を起こすため、日清紡績や大同特殊鋼など
いくつもの会社を起こし、鉄道を敷いた。現在の中部電力や
大同グループ、名鉄グループの創業者であり、名古屋発展の
功労者であるが、なぜか、あまり知られていない。

な~ぜか?。それはどうも「諭吉」の娘「房」さんとの不和にあると
私は思っている。「桃介」には学生時代から想いを寄せる人が
いた。「川上音次郎」の妻「貞奴」だった。「貞奴」も「音次郎」
という夫がいながら、「桃介」のパートナーとなって事業を助けた。
世間から見れば「公然たる不倫」である。「桃介」は福沢諭吉からも
快く思われず、当然、経済界で活躍する慶応のOB達からも
疎外されることとなった。

当然「お房」さんは面白くない。東京渋谷区広尾の400坪もある
敷地に、「房」さんは母屋と別棟の二棟新築し、二人は敷地内で
別居することとなる。

「桃介」は「諭吉」とは真逆で「歌舞音曲」が大好きだった。
広尾の「桃介邸」には、劇場館まであり、役者を呼んでは
演劇鑑賞会なども行われた。

貞奴が日本初の「女優養成学校」を作るのにも惜しみなく
援助している。名古屋には「桃介と貞奴」が住んだ邸宅が
名古屋市に寄贈され、今「双葉館」として公開されている。
当初「貞奴邸」と呼ばれていたが「不倫相手の名を冠するのは
けしからん」との声もあって、以前あった場所の地名をとって
「双葉館」。




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1 コメント

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貞奴の事 (通りすがりの者)
2019-07-14 07:48:08
岩崎桃介を福沢姓に改姓させた理由、初めて知りました。
ただ、「貞奴」が「桃介」のパートナーとなったのは、夫「川上音二郎」の死後である為、今で言うW不倫とは違う気がします。むしろ生前はかなり破天荒だった「音二郎」に、よくついていったなぁと思います。
もちろん、「お房」さんや福沢家は面白くないでしょうが。
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