ほんとうのことを本事に

真相は深層に、隠れているように見えて、そばにある

ホロコースト・123便事件の「民間防衛基礎捜査」

2014-09-24 22:17:04 | ロスチャイルドイルミナティを洗い出せ
戦争終焉のマニュアル
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基礎捜査わたしの方法
 「911ツインタワー崩落事件」をわたしはブッシュ大統領達による「ロスチャイルド・イルミナティ」の「自作自演」であることを「事実認定するもっともシンプルな方法」は、南北のツインタワー及び第七タワーの崩落時間を基準として考えている。
 それぞれの落下速度は「自然落下」を見せている事である。これだけで十分証明されているのである。各階を同時に爆破し、鉄骨を同時に切断破壊して内側に滑らし、コンクリートは超小型水爆の高熱により同時に粉状・砂状に粉砕しているのである。そうしなければ自然落下で崩落する事はないからである。これについて、詳しく説明してくれているサイトが次のものである。
( http://www5.pf-x.net/~gotama/911/gimon/wtc/wtc.html )
 これと同じで、「日航機123便事件」が「事故ではなくミサイルによる爆撃・ホロコースト事件である」事の証明も「シンプルな事実認定」の方法があると考えている。

立派な検証作業が行われていた
 あのような状態の中で「立派な検証作業が行われていた」事を知った。そのひとつが、「座席別遺体散乱状況図」としてまとめられている事である。
 日本は、死んだ人に対する身元確認を徹底して行うし、そうしなければ許されないという社会的規範がある。そして、そういう事情が検証作業に活かされたのであろう。
 「完全遺体」「離断遺体」「身元確認資料の採取」「採取対照資料」「確認理由」「受領対照資料」「遺体の搬送、検視、身元確認状況」「離断体分類事例図」「遺体状況分析図」そして、「座席別遺体散乱状況図」「遺体収容状況図」という大変な作業の中から貴重な資料が作られていったのである。
 こんな事が出来るのは世界中でおそらく日本だけなのだろう。この世界に冠たる仕事を無駄にしてはならないと通貫させられた。それだけに、これが活かされてこなかったことに対する怒りが湧いてくる。来年の8月12日には、これを活かした「シンプルな事実認定」を完成させ、より多くの人々の再認識の資料としたいものだ。

座席別遺体散乱状況図



 2014年3月以来、「日航機123便事件」に取り組む決意をした。「真相解明のマニュアル」のノウハウを適用する事になった。
 何故これに取り組む事になったのかについては、朝日新聞静岡支局におられた角南記者が「袴田事件」を取材されていた事、その一環としてと思うが袴田関係の取材旅行をするというのでご一緒した事があった。東京の日弁連・埼玉の高杉晋吾氏宅に行き・角南記者宅にも泊めてもらい、いまだによくわからない取材旅行をした。その間に話題になったのが、同支局の西村陽一記者がスクープを連発させていて、墜落当日に現地へ飛んでいた彼の凄腕の話である。今思えば、彼がどのような筋からの情報を入手していたのかにわたしの興味はある。西村陽一氏は、今、朝日新聞本社の取締役をしている。生存者4人救出現場の記事も西村陽一記者であった。
 そして、「朝日新聞の24時「日航ジャンボ機墜落」は、朝日の松本カメラマンがホバリングしている社のヘリコプターに「五本のネガカラーフィルム」を託しているのを見てAP・共同のカメラマン達は、一斉に山を下り始めた。ただ一社だけ、悠然と取材を続けている社に松本は気づいた。パラボラアンテナを持ち上げて、現場中継していたフジテレビの取材チームだった。そういえば、あちこちでフジの腕章をつけて、重い荷物を背負った若者達に出会ったな、と松本は思った。」という下りが書かれているのを見て、1975年は労働運動のターニングポイントで、太田薫の「春闘の終焉」が書かれたが、1985年は「新聞報道」のターニングポイントを示していたんだ。そして、取って代わった「テレビ報道」のターニングポイントとなったのが、2011・311であったのだろう。
 ただ、報道に籍を置く人たちには見えていないものがある。「声」や「活字」や「映像」というものがどのような使われ方をするかという事なのだと思うのである。視聴者・読者という対象で見る限りわからない。世界市民が賢くなるための道具としての媒体を提供するという視点に立てば全てが見えてくるだろう。
 つまり、「言語の壁を取っ払う時代」の環境づくりなのである。そして、その間に1995年1月17日に阪神淡路大震災というホロコースト事件があり、2001年9月11日ツインタワー爆破ホロコースト事件があった。
 さて、「座席別遺体散乱状況図」が示している「真実の状況」に出会うまで、わたしは「ボイスレコーダーの声を秒刻みで追っていた。」そして、「離陸から墜落までの航跡とその距離をボイスレコーダーの声と統一的に把握する事を試みた。」そうすると、「序」「破」「急」の分水嶺が見えた。
 「序」   
 「破」
 「急」
 これらから、横田基地や羽田飛行場に着陸する事を事実上拒否され、追い込まれたクルーの決断は、「ソフトランディング」によって「一人でも多くの生存者を出す事」の方法に絞られていったクルー達の苦悩を知った。
 ところが、「生存者を出させない」とする、「全員死亡の墜落事故」に固執した「巨大権力の意図」に従う傭兵の「執拗なミサイル攻撃」が最後の一分にも示されていた。それが、ボイスレコーダーの最後の一分から「座席別遺体散乱状況図」につながった。
左旋回急降下プルアップ・ソフトランディングでスゲノ沢に降ろした最後部席



 緑色の点が三つある。最後部席担当乗務員の二人と次後部席との間の三人のうちの一人の乗務員である。
 黒丸がほとんどであるが、最後部席の乗客144+4人中の142人と見られる。
 その中に橙色4っつが生存者である。
この黒丸集団部分を拡大して、よくみると、半黒丸が七つ見える。これは、次後部席の乗客が、図の赤い矢印方向にミサイルが撃ち込まれ、飛ばされてきたものと思われる。
 さて、ここでの極めつけは「一つの黄色の点」である。黄色の点は、前部の座席で操縦席の後ろの二階の座席16人と一階の座席48人のうちの一人がここまで飛ばされた事になる。どのような力が働いたらこのような状況になるのであろうか。



 そして、半黒丸の「次後部席の乗客は89人」となっているが、そのうち7人は黒丸集団の全域に飛ばされていた。残りの82人が「スゲノ沢」から「北斜面」、「北西斜面手前」、「南斜面」、「第一ヘリポート近く」までの広域に飛ばされているのである。これを少し大きくした図が下のものである。
 このような状態を形成する力はどのようなものであるかを考えると、わたしはミサイルを撃ち込んだものと判断しているが、ここにおける一人ひとりの遺体の位置や損壊状況がそれを明瞭に裏付けることを示しているはずである、と考えるのである。たとえば、半黒丸が飛ばされている範囲は次後部席の最後部を頂点にして北西斜面へ110メートル、北斜面全域を通じ第一へリポート付近までの250メートルの三角域にわたって飛散しており、そのうち南斜面にまで飛ばされているのが半黒丸9点と黒丸二点がある。この黒丸二点が最後部席の144点のうちの二点である。理屈で考えるとわかることであるが、軽いものは遠くまで飛ばない、体のうち比較的重い部分で小さくまとまった部分が遠くまで飛ばされているものと考えられる。



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