ほんとうのことを本事に

真相は深層に、隠れているように見えて、そばにある

何故、「残骸の散乱状況図」だったのか

2014-10-18 13:27:50 | ロスチャイルドイルミナティを洗い出せ
戦争終焉のマニュアル
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二つ目の「長明効果」は隠滅工作としての
「残骸の散乱状況図」
 乗客・乗員の被害状況を特定するために、座席位置からどのように動いているのかという事が「座席別遺体散乱状況図」で整理されている。それと対になるものとして「123便の機体そのものの散乱状況図」を特定する事の意味は大きいはずである。それなのに、それを特定する事が許されないとでもいうかのごときネーミングではないか。「残骸の散乱状況図」という、「123便」を何故特定しないのか。そこに含意を感じたのである。
 しかも、杜撰である。「座席別遺体散乱状況図」を作成するよりもずっと簡単なのである。上空から、ヘリコブターで写真を撮りそれを「座席別遺体散乱状況図」に重ねられるように作成すればいいはずのものである。
 「座席別遺体散乱状況図」の存在は、素晴らしい検証作業の証明だと思った。
ところが、「残骸の散乱状況図」は、またしても隠蔽工作を露呈した。


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調査委員会報告書添付のもの
 上図とは、反対方向から見たものとなっている。


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「残骸」には、「123便の機体」以外のものが含まれているからであろう。
 「うそ」は書きたくなかったが、「本当のこと」も書けない。だから、「杜撰なもの」になったのであろう。
この「残骸の散乱状況図」でかかれているものは、機体の胴体部をA/B/C/D/Eの5個に分解されたとして、墜落位置から発見された位置へ移動したものとして、そしてその推論図として表示されている。
 しかし、どこの位置の写真はどれであるかという事もしていない。つまり、事実の証明で裏付ける事もしていない。ことさらに、左・右主翼の状態との関連をさける意図がありありとしている。「123便の機体がどのように墜落したのか」を知るための情報は、まさに機体の散乱状況の情報にあるのである。
 従って、この「図」は現場検証を行ったものの報告書ではなく、提出された「残骸の散乱状況図」そのものでもないとわたしは考えている。だいたい、事実をありのままに記するために「状況図」としてまとめたものを、わざわざ「推論図」にするものだろうか。おそらく提出された本当の「残骸の散乱状況図」が別にありそれを基に河村一男氏が誰かに書かせたものだろう。
 しかし、これを書いたものが不本意である事の「含意」をこの推論図に表した事も事実だ。本当の「残骸の散乱状況図」は確実に別にあるはずであり、ぜひ見てみたいものである。
 「座席別遺体散乱状況図」は、座席に固定されていた乗客の遺体の移動とその損壊状況から座席そのものの移動を類推する事が出来るはずである。そして、123便の機体がどのように散乱しているのかという事実を写真で特定することがより以上にはっきりさせることが出来るのであるからネット上にあるであろう様々な写真からそれをつむぎだしたい。
 
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現場遠望

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現場への接近 1

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現場への接近 2

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現場への接近 3 上空から

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現場への接近 4 ある部分?


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左主翼の一部とされているもの
 ずばっと切り込んでいるものは何だったのか。この「推論図」によると、墜落地点から A・B・C・D ・E が移動していくメカニズムは、「座席別遺体散乱状況図」の遺体の散乱メカニズムとの間に矛盾がありはしないだろうか。そして、左右の主翼が何故落下地点とされているところと、コックピットとの間にあるのだろうか不思議である。また、何故 D が一番遠くまで移動しているのか不思議である。総合して考えると一言「牽強付会」というだけである。「座席別遺体散乱状況図」にはその記載はなく、落下地点としている近くにそれらしい機体散乱物が見られる。



 
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場所不明 1
 北西斜面のいずれかと思われる。

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場所不特定・落下地点とされている周辺部 2
 墜落地点としている周辺ではないかと思われ、大きな散乱機体は左主翼ではないか。まだ煙が立ち上っており、そこが墜落地点とされているところと見られる。わたしは、そこに墜落したのは123便機ではなくて、戦闘機が二機F117ステルス機がコックピットめがけてミサイルを放った瞬間に自衛隊の護衛機がうたせまいとして体当たりしたので、上昇追突後そのまま墜落炎上したのではないかと見ている。その時の一部が、放たれたミサイルを受けた123便はコックピットから下方めがけて撃破その瞬間に左主翼が反動で飛ばされて落下したのでそれをめがけて前述の一部が落下し切り裂いたような傷を作ったのではないかと思われる。。

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場所不明 2

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上空からのもの
 これは同じものの二枚目である。これを拡大してみるとおもしろいものが見えてくる。「推論図」が落下地点としているところは、123便機が落下した位置ではない事が見えてくるという事である。言い方を変えると、「遺体捜索」作業の際に「絵」を描いた跡なのではないのかという事である。「絵」というのは、123便機のみが落下した跡として「既に描かれていた構図」なのではないかという事である。もっと云うと、「それは、日本の捜索隊がはいる前に既に描かれていた白い構図」だったのではないかという事である。そして、日本の捜索隊がその白い絵に色をぬっていったという事であろう。
ていくと「白い絵」が見えてくるのである。日本の捜索隊が「指揮」に従って大方は無意識に塗り籠めた色を洗浄していく事が出来るという事である。何故かというと、日本の捜索隊は「指揮者の指揮」で捜索するが、「遺体捜索」を誤摩化す事は社会規範上出来ないし、したくないからである。欧米人・中国人・韓国人などでは死んだら人体ももう物扱いの考え方で、そういう社会規範の常識が違うようである。


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上空からのもの 2
 これも同じものの二枚目である。上の写真と比較するとわかるはずであるが、木が燃えて黒くなっている事と、そこを123便機の機体がこすっていった部分がありこそすれ、その時に樹木が燃えてはいないのではないかと思うのである。上の写真は捜索後の写真であり、したの写真は捜索開始頃の写真であると考える。

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