普段読書をしていても、一回読み終えたら本棚に直行という本が大半です。今回は珍しくいつまでも手元において反復、繰り返し繰り返し読んでいます。
人生は、幼少期、少年期、青年期、壮年期、中年期、老年期に分けられる。
幼少期:育ちの時期
少年期:学びの時期
青年期:巣立ちの時期
壮年期:働きの時期
中年期:熟成の時期
老年期:実りの時期。人生を集大成する時期。
私たちは限りある時間を生きることに価値を見出すべき。いつ死ぬのかを知っている人はいない。死は予告なく突然に訪れる。だからこそ、生きている時間を大切にしたいという願望が生まれる。もし永遠に生きることができるとしたら、果たして私たちは今ほど人生を大切にするものだろうか?きっと雑に過ごすことが多くなるだろう。(老いない体をつくる=湯浅景元著より引用)
私はまぎれもなく「老年期」にあります。悔いのない人生を送りたい、自分の人生を集大成するには今何をなすべきか?そんなことを考えることが多くなりました。
先月7月4日から8月4日までの一ケ月の間に、我が家から半径50メートルのなかで、3人の隣人が旅立ちました。しかも、私よりは若い方ばかり。うち、お二人とは何度もゴルフを楽しんだ仲。あとのお一人とはパソコン・サークルでいっしょ。昭和48年~49年の二年間は、ともに自治会の役員で、町に下水道を誘致し、それを苦労して実現した仲間。振り返って、あの二年間はほんとうに苦しかった。
そんなに急がないで欲しい。
人生は、幼少期、少年期、青年期、壮年期、中年期、老年期に分けられる。
幼少期:育ちの時期
少年期:学びの時期
青年期:巣立ちの時期
壮年期:働きの時期
中年期:熟成の時期
老年期:実りの時期。人生を集大成する時期。
私たちは限りある時間を生きることに価値を見出すべき。いつ死ぬのかを知っている人はいない。死は予告なく突然に訪れる。だからこそ、生きている時間を大切にしたいという願望が生まれる。もし永遠に生きることができるとしたら、果たして私たちは今ほど人生を大切にするものだろうか?きっと雑に過ごすことが多くなるだろう。(老いない体をつくる=湯浅景元著より引用)
私はまぎれもなく「老年期」にあります。悔いのない人生を送りたい、自分の人生を集大成するには今何をなすべきか?そんなことを考えることが多くなりました。
先月7月4日から8月4日までの一ケ月の間に、我が家から半径50メートルのなかで、3人の隣人が旅立ちました。しかも、私よりは若い方ばかり。うち、お二人とは何度もゴルフを楽しんだ仲。あとのお一人とはパソコン・サークルでいっしょ。昭和48年~49年の二年間は、ともに自治会の役員で、町に下水道を誘致し、それを苦労して実現した仲間。振り返って、あの二年間はほんとうに苦しかった。
そんなに急がないで欲しい。
何て悲しいことでしょう。
人は普段考えていなくても人の死に直面すると
あらためて人生を考えます。
人生がいかに大切かを知らされる思いで・・
それぞれの方がそれぞれの人生を
一生懸命生きたのでしょうね
その方達を思い出してあげることが
今できることなのですね
茂彦さん、悲しまないで・・
あらためて人生を考えます。
これは、ある程度、歳がいくと、高齢でなくとも考えますよね。
お仲間、というより、自分より少し年齢の下の方ですから、余計、考えてしまいますよね。
でも、「ブログ、命」です。(ブログだけではないですが)続けてくださいね。
コメント有難うございます。
平素、自堕落に暮らしている私に、友人たちが警鐘を鳴らしてくれているのかもしれません。「生命は有限なり」
今はどこでもそうなのでしょうが、通夜の席はなにかあわただしく、追い立てられるように事が運ばれます。もう少しゆっくり故人を偲ぶ時間があってもいいのでは、と思います。
まだまだ、これから人生に花を咲かせようという方たちが次々旅立たれ、なにか気持ちも滅入ります。
自分の身辺をいろいろ考える今日この頃であります。
お互い健康には留意しましょうね。
コメント有難うございました。
ぼちぼち更新になるかもですが宜しくお願いします。
短い期間に顔馴染みさんが3人も旅立たれたとの事。
少なからずショックですよね。
こんな時候のせいでしょうか、うちの町内でも不幸ごと、もしくは入院される方が多いです。
90歳になる義母からすると自分より若いものが旅立つのはかなり落ち込むのが見て取れます。
うちの祖母は5年前に95歳で亡くなりました。
その時のお坊さんの言葉を思い出しました。
「95歳の大往生と言いますが、それは死に方をいうのじゃありません、生き方を言ってるんです。それはよく生きたという事なのですよ。だからそれが高齢でも、そうじゃなくても立派に生きたのなら大往生なのです」
多少言葉が違ってますがが、こんな風な意味のことを話してくださいました。
お友達もよく生きられた事だと思います。
お辛いでしょうが茂彦さんもお友達のように、またそれ以上によく生きてください。
私もその努力をしたいと思います。
※母のきょうだいとそのツレアイが昨年3人も亡くなった
皆さんも書かれていますが、残された人間はその人たちの分まで生きなくてはなりません。
ある意味、辛く寂しい日々かも知れませんが、「集大成」に向かって一歩ずつ歩くしかないのでしょう。
その日々の積み重ねが、「人生の大切さ」を感じ、「大往生」への道のりなのかも知れません。
「熟成」には程遠い私が、またえらそうなことを書いてしまいました
ブログ復活よかったです。また、お邪魔させていただきます。
年長者から見て、自分より若い人が先立つのは、言葉には言い尽くせない、複雑な心境があると思いますね。
「大往生とは死に方ではなく、生き方を言っている。高齢でも、そうでなくても、立派に生きたら大往生」ですか。いいことを教えていただきました。
よく覚えておきたいと思います。
「残された人間は、先立った人の分まで生きる」、成程そうなのですね。いいこと教わりました。
「日々の積み重ね」→「人生の大切さを感じる」→「大往生への道」。この方程式、肝に銘じておきたいと思います。
ブログでコメントをいただくと勇気がでます。有難うございました。
そういう意味でも、「茂彦さん」の元気は溌剌な姿(ブログでの投稿の意味)を見せ続けて欲しいです。
人生の先輩として、充実した毎日を送っていただきたいです。
自分自身のためにも、あとの世代の人たちのためにも。
退職されるそうですが、まだ若すぎるような気もします。働き盛りの年齢ですよね。でもいろいろ考えての決断でしょうから、他人がとやかく言うことではないです。
これからの人生、まだまだ長いと思います。しっかりと目標を持って進まれるよう希望します。これからもよろしくお願いします。