23日 故郷の梅雨の合間 旧の節句に行われる風物詩 実家の掃除に帰るだけの年月 本当に何年ぶりになるかしら・・・ 同級生数人との再会 友から故郷の変遷を詳しく 教えて貰う 江戸時代は天領で 漁業が盛んで賑わったが 現在は笠岡湾干拓の完成以降 漁はなくなり 町は衰退の一途 友の案内で あるお宅の ウダツを見る 立派な 細工です 市指定 重要無形民俗文化財(ネットから抜粋) 金浦地区に源平の時代から伝わる行事で もとは旧暦5月5日の行事でしたが 現在ではそれに近い土曜の夜に「ひったか」を 翌日曜の昼に「おしぐらんご」を挙行しています 「ひったか」は「火を高く(掲げる)」ことから由来するとおり 吉田川を挟んで向かい合う行者山と妙見山をそれぞれ源氏と平家に見立て 提灯で絵模様を描き その優劣を競うものです 絵模様はその年の世相を映したもので 毎年宵闇に浮かび上がるまでは秘密とされています 夜店が立ち並び 物凄い人並み 24日 市指定 重要無形民俗文化財(ネットから抜粋) 「おしぐらんご」は2艘の和船で競漕する行事です 櫓を漕ぐことを櫓を「押す」と言い 「ぐらんご」はこの地方で走り競争のことを 「かけりぐらんこ」と言うことから おしぐらんごとは「船漕ぎ競争」という意味になります 当日は金浦地区を東西に分け それぞれの組の和船に6人ずつ乗りこみ 源氏方(白)・平家方(赤)にわかれて 金浦湾の沖合いから陸の方をめざして先を争います 保存会による白熱したレースのほか 地元の小中学生が乗船しての熱戦が繰り広げられます 龍宮さまで祝詞をあげ お払いを済ませ 船にお神酒を奉げる 中学生のレース 少子化で子どもが少なく 漕ぎ手が年々少なくなって いるそうです 保存会の方々のレース 昔は漁師が多くて 迫力満点の競漕でした |
孫達が 日曜参観で月曜日が休校 ママが仕事なので 午前中我が家へ 余り気が乗らない孫と ポテトの散歩 お向かいの次男坊が 酒津の 幼稚園に通っているので そこまで行く事に・・・ 私達の地区の講の菩提寺 済興寺の幼稚園です 門の上がり口にある手洗いで 清めているのね 夾竹桃 |
亡き叔父から譲り受けた白百合 もう何年になるかしら・・・ 何にも手入れをしないのに 毎年2輪咲き続ける ベルガモット 美女柳 酒津の貯水池 桜並木の木漏れ日のなかを ポテトと散歩 |
「岡山の路面電車」 明治45年(1912年)5月5日に 開業 今年100周年を迎えました 岡山電気軌道 9201号“MOMO” 近未来的な外観 車内には木をふんだんに使った 100%超低床式路面電車 8000型 南門前から 岡山城 後楽園 |
快晴の10日 岡山後楽園 お田植え祭り 園内の「井田」で行われ 昭和37年に始まった行事です 新見市から 哲西町はやし田植え保存会 神代郷土民謡保存会 昔ながらの手植えによる田植えと田植え踊り 「さげ」と呼ばれる男衆の太鼓と歌に合わせて 紺がすりに菅笠姿の早乙女が テンポ良く苗を植え 田植え体験の子供達も 一緒に楽しむ 哲西町はやし田植え保存会 神代郷土民謡保存会 温羅(うら)神楽 梅雨に似合う菖蒲が見頃 |
8日 いよいよ 入梅です 8:00頃小雨 短時間で止んだので 酒津公園へ GO! (前日ポテトと散歩に行くと 菖蒲が開花 カメラを背に 大急ぎで 公園へ・・・) |
久し振りにポテトと 酒津公園へ散歩 小学校1年生の子供達が 遊具や 噴水の水辺で 楽しそう 用水の北側は 散歩する方が多い ヤマボウシ この花を見ると チボリ公園を思い出す チボリにも 咲いていました |
4月の終り 一人暮らしの叔母が 圧迫骨折で入院 5日間隔で 叔母と母の所へ・・・ 市立美術館で 私としては初めての 写真クラブ ”くらしき小町”の写真展参加 陳列 当番 片付け 反省会 次男の孫達の運動会で沼隈へ と 超多忙の一月半に ヘトヘト・・・ 心に余裕のない日々 何気なくまわりを見つめると そっと咲く 花に癒される 昼咲月見草 アメリカのミズーリー州から南へテキサス州 それにメキシコが原産 今では わが国にも帰化し 乾燥したやせ地でもよく育ち 昼間に咲いて 2~3日は しぼまない カンパニュラ 何年前だったか長男からの母の日のプレゼント ”ミニバラ” 毎年 咲き続けています 紫陽花が咲き始めました 梅雨の季節がやって来ますね |