お友達のお姉さんの所で 新米を分けていただきました 高梁市松原の山間の 綺麗な湧き水で育った コシヒカリ 今年の猛暑で 柿の実は少なく 栗も 生育が悪いそうです 彼岸花も遅くて まだ咲き始めでした (24日) エンゼルトランペットが咲いていました 久し振りのポテト 使わなくなった歯ブラシを渡すと 両手に挟んでカミカミ 肌寒くなって お日様の当たる場所が お気に入り |
次男の居る福山市沼隈から 鞆の浦へ向かう 山道から 燧灘を眺望 狭い鞆の町は観光客と 車で一杯 やっと鞆港へ・・・ 駐車場は何処も満杯 観光どころではなく 早々に退散 車がやっと行き交う道に 時間がかかる 能登原地区の敬老会に 保育園の孫が出演 公民館の前の海を望むと右手に 内海大橋が見える 阿伏兎(あぶと)の瀬戸 前の波止場で釣り 何が釣れるのかな~ |
9月になっても真夏日が続いた日々 庭に咲いた花々 中旬になってやっと 朝夕は凌ぎやすいが 日中は真夏日 お彼岸の中日からは ぐっと気温が下がりそうですが・・・ |
”男木島(おぎじま)” 女木島から15分 男木島の魂(Ogijima’s Soul) この島を訪れた人を暖かく迎え入れる 半透明の空間を創設 屋根には日本語や アラビア語 ヘブライ語 中国語などの さまざまな文字が並び 日中はその影が地面に映る そして夜は空に向かって投射する光景が広がる(ネットより) フェリーから見た時 ”え~っ なんだろう 何か書いてあるけど” 建物の中はクーラーが効いて 涼しかったです 島の坂道 灯台への道から 映画『喜びも悲しみも幾年月』のロケ地になった 男木島灯台 港から徒歩で 30分 男木島北端トウガ鼻に立つ石造の灯台 日清戦争後に瀬戸内海海上交通が増加したことに対応し 「灯台の父」と呼ばれるブラントン離日後の1895年 日本人独力で備讃瀬戸東航路の東端にあたる位置に建設されたもので 灯塔は総御影石造り 日本に二つしかない塗装を施していない灯台の一つ 明石海峡に次いで 全国第2位の交通量の船舶を望める 霞んでいますが 瀬戸大橋が見えます |
長男達が境港へ行く時使った青春切符が 2枚未使用 10日が期限 丁度 瀬戸内国際芸術祭2010の最中 女木島(めぎじま)と ”喜びも悲しみも幾年月”のロケ地 男木島(おぎじま)へ go! フェリー めおん2号に乗船 若い人が多く大勢の乗客 女木島は一名 鬼が島 鬼の見張り番が防波堤で見張っている 高松港から20分で到着 モアイ像が船着場横に立っています イースター島にあるモアイ像を修復する際 (株)タダノが 倒されたモアイ像を起こすテストのために 作られた 鬼の館前よりバスで10分 鬼が島大洞窟へ 運転手さんによると 普段は閑古鳥が鳴いている 島だが 芸術祭のお陰で 賑わっているという 桃太郎伝説がつたわる鷲ヶ峰の中腹にあり 鬼が棲んでいたとされる大洞窟 奥行き400m 洞内は年中15℃ 真鍮(しんちゅう)ワイヤー製の彫刻を展示 鬼にとらえられた人たちの魂と その献身さを表現 洞窟を出ると 柱状節理 展望台への道から見る 大島 展望台から瀬戸の島々を眺望 モアイ像の横に帆船 "20世紀的回想(20th Century Recall)" その向こうの石垣は「オーテ」と呼ばれ 瀬戸内海の 冬の潮風から 家々を守るために 築かれたもの 此方から見ると なんとピアノ めおん号で男木島へ向かう フェリーからの女木島 |
25日 AIOI さんに友愛の森まで 送っていただいて 9:00発の周遊バス”キュービー号”で 南ヶ丘牧場へ 家族連れで朝から大賑わい ここは入場料は無料です 引き馬もあります チョウザメがいました この位だと もうキャビアが採れるでしょうね 虹鱒は釣って 塩焼きで召し上がっていらっしゃいました 木陰で美味しいソフトクリームを食べながら 一休み キュービー号で 次はステンドグラス美術館へ 以前 伊豆高原で訪れた伊豆高原ステンドグラス美術館の姉妹館で 那須の方が見所が多い 豪華なステンドグラスの教会で パイプオルガンの演奏を聴く 4枚クリックしてね
バスの車窓からではありますが サファリパーク・りんどう湖ファミリー牧場 トリックアートの館・お菓子の城など 那須高原の観光施設を グルッと 周遊できました 友愛の森で下車 昼食後 有名なラスク屋さんで お友達が買い求めている最中 物凄い雷雨 バスの時間が迫るなか お店で雨宿りをさせていただく 雨が弱まり 少し遅れたバスに乗車して 那須塩原駅から 帰途に着く 拙い夏旅に 永らく お付き合いいただきまして ありがとうございました |
24日 黒磯駅から那須山麓駅行きのバスで ロープウエイへ 鬼面山 ゴロゴロした岩肌の茶臼山山頂までは時間的に無理なので途中まで登る 山頂駅まで戻って来ると ”おや? ロープウエイが動いてない もしかして・・・ 昨夜 主人が皇太子御一家が来てるかも” 山岳救助隊の方々も居る やっぱりそうなんだわ 山頂駅で御休憩だそうである 「非公式なので撮影は御遠慮ください」との事 私達は次の行程があるので 兎に角早く下まで降りたいのに・・・ 20分ほど待ったがお出ましにならない (仕切られたカーテンの奥にいらしゃったようで、会えませんでした) やっと動き出して帰りのバスにセーフ 山麓駅のお客さんも 随分大勢が足止めされていました 道の駅”友愛の森”で下車 昼食に付いていた牛乳の美味しかったこと 明日は 那須観光周遊シャトルバス「キュービー号」で 半日巡るので 周遊券を購入する タクシーでエミールガレ美術館へ 食前酒のグラスを記念に 購入 外に出ると 夕立 小雨なので助かる 徒歩で10分 オルゴール美術館 良く実った稲穂を眺めながら ダイアナガーデンエンジェル美術館へ 季節柄バラはなく なんだか閑散としているので 入館はパス ”那須も 暑いな~”といいながらそぞろ歩き 幹線道路沿いのカフェで一服 此方は暑いといっても30℃位だそうで お店にクーラーがない 今夜宿泊するペンション AIOI に電話 迎えに来てくださる ペンションの隣に胡桃が生っていて 「運がよければリスに会うかも」 夕食までの間 近くを散策 もう彼岸花が咲いている 此方の新鮮な食材と オーナーが5年間レストランで修行されたとかで とても美味しいお料理でした ブルーベリーのアイスクリームも手作り 朝食の焼き立てパン・ オムレツ・ 手作りベーコンも goodでした 牛乳が美味しくて 三人とも お代わりしました 家庭的 アットホームな雰囲気でオーナー御夫妻の 誠実なあたたかさに 心和む思いでした 薪ストーブ |
今よりも平均気温が3度も低かった江戸時代 高冷地の遠野は しばしば凶作に見舞われ 宝暦5・6年(1755・6)天明2年(1782年) 大飢饉には多くの被害者を出しました 心を痛めた大慈寺の義山和尚は その供養のため明和2年から 数年をかけてこの五百羅漢像を彫り上げた コンセイサマとは、この地方の家族ごとに祀られた神様で 最も市民に親しまれ、子宝や腰痛治療、豊作をつかさどる神様 (ネットより) 常堅寺の山門を抜け境内に入ると 左手にあるのが「カッパ狛犬」 頭に皿のようなくぼみを持ち水がたまる全国的にも珍しい狛犬 寛保年間に寺が火災に遭った時 カッパが消火作業を手伝ったことから 当時の住職が狛犬を作り 寺の鎮守としたといわれます 福泉寺 大観音を安置 一木彫のもので、1200年の巨木を住職自ら苦心の力作 一週間の断食百回決行の上二十年の歳月を要して完成した 総丈五丈六尺(17m)日本最大である 4枚クリックしてね
高清水展望台から遠野を眺望 昔 遠野は湖だったそう 2基の風車が回っている 遠野風の丘 ソバの汁に 暮坪かぶを摺って入れると 美味しい とおの昔話村 柳田國男が宿泊した旧高善旅館を移築保存した「柳翁宿」や 酒蔵を利用し遠野の昔話を紹介している「物語蔵」がある 5枚クリックしてね
次は 那須へ 停まります |
22日夕方新花巻から 遠野へ移動 23日 朝食前に 付近を散策する 昔から馬と共に生活した名残でしょう 来内川に可愛い梅花裳が咲いています 澄んだ冷たい水 マウスオン クリックしてね < 予約の 観光タクシー4時間コースで 巡る 運転手さんは農家の長男で 昔ながらの 良き農村の慣わしが残る 遠野の様子を 聞きながら 案内していただきました 農家の長男の嫁不足の話 田んぼを減反政策で 休耕田にするのは御先祖さまに申し訳ない・・・ 此方は瀬戸内のように荒れた休耕田はありません 昔居た馬は 好きで飼っている人が1人だけで 今は酪農 夏の間は高清水高原の牧場で放牧 ”遠野物語”が世に出て 100周年 柳田国男が佐々木喜善から聞いた民話をまとめて刊行 曲がりや 裏 曲がりや 表 入口を入ってすぐ左に厩(うまや) 遠野物語 第69話 オシラサマ お土産に買った 繭玉のカッパ 5枚クリックしてね
佐々木喜善生家 この近くにデンデラノがある (でんでら野) 60歳になった老人を捨てた野で 老人たちは 日中は里に下りて農作業を手伝い わずかな食料を得て野の小屋に帰り 寄り添うように暮らしながら 生命の果てるのを静かに待ったと伝えられています。(ネットより) 旅館「平澤屋」さん 90年ほどの老舗 地元の食材を使った品数の多い美味しい料理でした 次回は遠野 partⅡ |