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くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

中国 水郷3都市めぐり 無錫。

2018-09-13 | 旅行

成田を19時10分に発ったJL879便は 3時間20分後 上海浦東国際空港へ到着しました。
日本との時差は1時間です。
 

空港到着後まず驚いたことは 外国人の入国審査です。両手の親指で1枚 右手・左手
の全部の指紋 顔写真まで撮られたことは 過去の海外旅行でも初めての経験です。

迎えのバスに乗り ホテルに着いてまたも驚きです。今度はパスポート提出でフロント
職員がコピーをしました。どのホテルでも同じく パスポートのコピーです。

最初の中国は18年前 北京⇒桂林⇒上海と1週間かけ旅しました。次は10年前 2泊で
上海ガニを食べにいくツアーでした。過去のどちらも 入国や宿泊にこれほども難しい
関所はありませんでした。いつからこうなったのでしょう。

今回のお安いツアーは 無錫・蘇州・上海の水郷3都市をめぐる旅です。以前生口島で
平山郁夫氏の 中国水郷地方の絵を見て以来 いつか行きたかった無錫と蘇州です。
  

広い敷地に寺院を持つ蘇州風建物の パンパシフィック・蘇州ホテルに2連泊しました。
 
 

朝一番の観光は日本と字も音も同じ 南禅寺です。お四国では細いロウソクですが
こちらのは 花火ほどの大きさです。
 
 
 

バスは走り 琵琶湖の3倍の広さの太湖へ着きました。涼しい風が湖を渡ります。
 
 

♬ 上海蘇州と汽車に乗り 太湖のほとり 無錫の街へ~ ♬

ガイドのお姉さんが太湖のほとりで 尾形大作のヒット曲 無錫旅情を唄いました。
この歌には私たち高知県人なら 決して忘れることのできない 悲しい歴史があります。

 

1988年3月高知の私立進学校 高知学芸高1年が修学旅行中 上海郊外で列車事故に
あい生徒27名と引率教師1名の 28名もの若い命が亡くなりました。今年はちょうど
事故から30年経ち 高知新聞にも特集の記事が載りました。

今でこそ発展した中国ですが 30年前はまだまだ遅れており 救出にも時間がかかり
大惨事となりました。

27名の生徒の中には 私たち夫婦が知る方のお子様も含まれており 歳の違わぬ子を
持つ親として 友の胸中を思うと やり切れぬ思いが今でもします。

高知学芸高の正門前には慰霊碑が建ち 毎年3月には慰霊祭を行っており ご遺族や
もう46歳になった同級生が 参列すると聞きました。

3月になり 大陸から黄砂が飛んできたら 生きて帰りたかったろうと 同級生の顔が
浮かび涙が出る と無事に帰国した かつての同級生が言っていました。

無錫も蘇州もビルが建ち並び 30年前の景色は 今ではどこにも見られないでしょう。

太湖にむかい手を合わせて 次の蘇州へとバスに乗りました。

 

 

 

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22 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
くりまんじゅうさんへ (はる)
2018-09-13 00:50:58
おかえりなさい😌🎶🏠
中国にお出かけだったんですね。
楽しい旅行になったでしょうね。
私が8年位前に上海に行った時にも
指紋 顔写真ありびっくりしました。
ホテルのコピーはなかったような。。。
次からの旅行記楽しみにしていますね🎵
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学芸高校 (和三郎)
2018-09-13 05:21:38
私の弟は、学芸卒業なので
この事故は、よく覚えています
弟が、大学を卒業して、間もないころでした

上海蟹は、美味いけど、食べるところが味噌と卵くらいしかない
ものすごくコストパフォーマンスが悪い
ツガニのように潰して味噌汁にした方がと、思わずにいられない
ほんまもんの、越前蟹や松葉蟹を食べたら
中国人は、我々は、間違ったお金の使い方をしていたんじゃないかと思うんじゃないだろうか?
返信する
おかえりなさい (びこ)
2018-09-13 06:26:35
私は20年あまり前に全く同じコースを旅行しましたが、
そんな面倒な手続きなど一切ありませんでした。

太湖で淡水パールのネックレスを買って母へのお土産にしたので、それを母が亡くなった今年、返してもらおうと思ったのですが、ありませんでした。紫色のきれいな真珠でした。あの当時8000円でしたから、今ならだいぶんするでしょうね。なにしろ中国の物価が、文字通り、日本と桁違いに安かったころでしたから。

学芸高校の修学旅行の悲劇は私の娘の一学年上の生徒さんたちに起こったことだったので、胸ふさがれるような思いでニュースを見たことを思い出します。娘は兵庫県の私立高校生でしたが、他人事ではありませんでした。あれから30年も経つのですね。
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くりまんじゅうさんへ (ミッキー)
2018-09-13 06:52:45
中国へ行っておられたのですね
おかえりなさい
私たちも18年ほど前に上海ガニを食べに行きましたよ。
懐かしいです
お土産に皇帝衣装を蘇州刺繍で刺した額
を買ってきました
細い細いシルク糸で刺したこの絵に心惹かれ今も我が家に掛けています

パスポートの件ね。~
そうそう最近変わってきているんですよね
一昨年スリランカに行き北京空港で乗り換え時の事でした
自動認証システムで、パスポートを機械で通そうとすると
途中からエラー 他の日本人お客さんも同じ
ところが外国人がやっていると
スムーズに通過
認証システムの前には現地の係官がいて機械へ案内されての事
参加者は、これは日本人に対するいやがらせだとみんながぼやいていました
何か引っかかるものが有りますね無事帰国できてよかったですね。



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おはようございます! (きみちゃん)
2018-09-13 07:33:11
私も20年前に中国に行きました。
気楽な旅行でした。
入国にそんなに面倒な事するんですね?
日本はどうなんでしょうか?
日本も厳しくしたら、、、犯罪者なんかも、、、再入国できないと、、、おもうんだけれど、、、。
高知学芸高校の列車事故!30ねんも、たったんですね?
高校野球の時でしたね?

私はもう、海外は行かないことにしました。
返信する
つつがないお帰り 良かったですね (デ某)
2018-09-13 08:57:59

父が 若い頃 満州(奉天=現「瀋陽」)にいました。
老いてから 「もう一度奉天に行ってみたい」 と言っていました。
「そのうち一緒に行こう」 と言いながら時が過ぎ やがて父は認知症に・・・。
一昨年秋 父は95歳で旅立ちました。
奉天への旅に連れて行けなかったことを悔いています。
無錫、蘇州・・・私にはいずれも歌謡曲の中の世界。
それでも 中国にはいつも親しみをおぼえています。

高知学芸高校の列車事故、大きく報道されましたね。
当時 愚息は小6、中学受験を目指していました。
進学校として知られていましたし、衝撃の事件でした。
もう30年も経ちましたか・・・。
亡くなられた生徒さん、生きていらっしゃれば四十代後半、
社会で中心的なご活躍をされているでしょうに・・・。
改めてご冥福をお祈り申し上げたいと存じます。
返信する
くりまんじゅうさんへ (まりも)
2018-09-13 12:04:42
お帰りなさい
いい旅が出来ましたか
修学旅行中の悲しい出来事 覚えていますよ
高知に住んでいた時 毎年TVでは 流れていましたね
そして その昔 北京に一人旅をした時
上海でトランジット 一度飛行機から降り
両端に銃剣を持った方が並んでいた時には
ビツクリ えらい所に来ちゃったなぁと思ったのを 今でも覚えています
旅の続き 楽しみにしています!
勿論 4人の楽しい道中のお話もね
返信する
楽しみです (ゆり)
2018-09-13 18:52:04
こんばんは。

中国はというより、私は海外が超少ないのでお話が楽しみです。
夫は2回行ってますが、私はこれからかな…旅行は(笑)
>外国人の入国審査です

初めて聞きました。旅行記楽しみです。

返信する
はるさんへ (くりまんじゅう)
2018-09-13 19:56:26
はるさんが8年前行ったときはもう入国時に 顔写真と
指紋認証があったのですね。ということは私が行った
10年前はなかったから その2年の間に始まったのね。
外国人が日本へ入国時にはどうしているのでしょう。
考えたこともなかったですが今回 日本は外国人に対して
どうしているのかな と思ったことでした。
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和三郎さまへ (くりまんじゅう)
2018-09-13 20:10:57
そうでしたか 弟さんが学芸出身でしたか。
寮へ入っておられたのですね。この事故は子どもさんが
亡くなった人と 別車両に乗っていて無傷で帰国した子どもの
親御さんと どちらも身近にいましたので亡くなった親御さんには
かける言葉もなくいっしょに泣いたことでした。

上海ガニは食べたことがなかったのでどんなものかと
ツアーで上海まで食べに行きましたが夫が言うには
ツガニがずっと美味しいし 食べる身が多いとのことでした。
ツガニは今が旬でしょうか 産直にも出ていますが
石臼と杵は母の施設へ寄付しましたのでもうないしね。。。
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