放射能除去と骨炭 一筋の光

私たちの想いを全国に

東日本大震災においての骨炭使用による放射能除染、塩害対策現地視察報告№2(10/2)

2011年11月16日 | Weblog

宮城県松島、石巻市、南三陸町

仙台からレンタカーにて松島を経て石巻から南三陸町の現在の様子をみてまいりました。松島は復興が進んでいるようで、観光客やボランテイアの人々で賑っていましたが、石巻に入る河川を渡ると息を呑みました。 

一面、泥の平野が続いていたのです。津波によって全て流された惨状でした。そこを過ぎると雑草が生い茂る平野が続き、農地で有たで有ろうと予測がつきました。そこは全て手付かずのまま残されており なんの処置も取られているようには、感じられません震災の爪痕を大きく残したままなのです。 農地であれば、塩害に効果のある骨炭を使っての農地としての再生も可能であるものなのに、なぜ政府は動かないのか?

石巻を過ぎると津波による被害が当時のまま、ほぼ手付かずの状態で一寸した重機で2.3人が作業している現場しかそれも数箇所しかみあたりません。

 

 

 

津波で全ての家屋が流され鉄道も寸断され全ての物を消し去ったその家屋の土台に、一輪の花が、お供えされており今の私には手を合わせてご冥福をお祈りし、涙する他ありませんでした。この一輪の花の思いを全国の方々に、特に政府関係者に 感じて頂きたい。

 

 

 

 

 

 

下記の画像は震災当時から、何も変わっていません。政府、政治家は、この土地に人々の生の声と震災で尊い命を奪われた方々の魂の声がきこえないのでしょうか?

同じ日本に生きる人としての「愛」ある行動を今すぐ行って頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人として、この惨状で、どれだけの方々が、お亡くなりに、なられたかと思うと  カメラを向けるに事には、心が非情に痛みました。

この痛みを心に刻み 骨炭製造に向け心血を注ぎ、一日でも早い復興に尽力する事を誓います。

 

 

 

 

 

 

 



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