おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん 前向きってなに

2012年03月11日 12時53分46秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、今日は震災から1年経った。
いろいろ聞いていると、すごく悲しい思いをされた方がいっぱい。
その中で、亡くなった人の為に生きなければと思った。と言われます。
でも、生き残った人は、罪の意識を持っている。
立場は違うけど、私は後者の方だ。
私は、なぜ自分が生きているのか罪に思う。
おかあちゃん、おかあちゃんは、自殺はいけない。と小さな頃から私に教えた。
なぜ悪いの。と問う私に「与えられた命、この命は奇跡なの。何に生れてくるかなんて
分からない、その中で人間に生れられた事は奇跡。大事にしないと。命が終わるまで全うしないといけないよ。」
そう言っていた。でも、私はこう思うの。自分の命。自分で終わらせてもいいのではないかと。
辛くて、もう駄目だと思って生きてはいけない。さよならを自分で決めてもいいじゃない。
その方が、幸せならいいじゃない。
私は、どうしようもない位辛い。悲しい。寂しい。
まず、私は何の為に生きるんだろう。おかあちゃんが居たから生きられた。
家族が無くなって一人の私は、何の為に生きるんだろう。
ただ、命を繋いでいるだけのような気がする。

食べるものだって、おかあちゃんはすごく気を使ってくれた。
肉屋・鳥屋・野菜なんでも、お店を決めていた。
市場の中の肉ならあそこだよ。とか。
スーパーで買う時も、鳥だって安いのは買わない。中国物はいけない。
なぜって聞く私に、「体が悪くなって医者にかかると治療費がかかるやろ。」
お米は新潟米。「お米がおいしいとお漬物だけでもいいから。」
私も、ズーとそうしてきた。お米は今も新潟米だよ。
だけど、今は食べる事自体どうでもいいや。と思う。
出来あいの物をほとんど買わなかった、おかあちゃん。出来あいは中国物で作ってたりするからと。
今の私は、作るより出来あいの物。
それでも、ご飯は炊くよ。おかあちゃんのお供えするために。
今日1日終える事で、私はおかあちゃんに近づく。
両手を広げて待っているおかあちゃんに飛び込んだ子供の頃を思い出す。
おかあちゃん、分かっているよ。「しっかりしいや。しっかりしいや。生きよ。」と言っていた
おかあちゃんの心を分かっているよ。生きてみるよ。
生きる意味や目標も探してみるよ。
ごめんね。おかあちゃんが望んでいた事と違っていて。心配しないでね。
何とかなるさ。おかあちゃんがよく言ってた。
何とかなるさ。何とか。

おかあちゃん。ありがとう。大大大大大好き。愛しているよ。
これからもズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。
コメント
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