おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん ごめんね

2011年12月21日 06時02分39秒 | 母の事(肺がん) そして絆
20日朝9時。お寺さんが来てくれた。
お経の後、少し話を聞いた。お母ちゃんの戒名の意味。
覚りを開き沢山の人を照らし知恵を与える。と言われた。
又涙が出ました。おかあちゃんらしい戒名だね。
人を愛し、誰もに優しかった。
おかあちゃん、いつになってもこの悲しみはなくならないね。

おかあちゃん、覚えていますか。
私が小さい時に、子供の小さいうちは家にいてやらないとと考えたおかあちゃんは
家でお仕事していました。そして期限に仕上げないといけないお仕事の時は私一人で
寝ていました。
「おかあちゃんは、もう少しお仕事あるから」と寝かしてから又お仕事をしていました。
それなのに、私はわがまま言ってしまいました。
「お人形の服をつくってほしい。今すぐほしい。」と泣いてダダをこねました。
いつもお仕事が終わってお金が入ってくるとおかあちゃんはお人形の新しい洋服を買ってくれました。
でも、その日は近所のお友達がおかあさんの作ってくれた洋服を持っていました。
私は、おかあちゃんの作った洋服がほしかったのです。
「お仕事が終わったらこしらえよな。」そう言ったおかあちゃんにダダをこね続けた。
私が夜中に目を覚ました。そして見たんだ。おかあちゃんはお人形の服を作っていた。
私、起きる事出来なかった。子供心に、「ごめんなさい。ごめんなさい。おかあちゃん。お仕事で
疲れているのに。もういい。おかあちゃん。もういいよ。」って泣いていた。
それでも、子供だね。すぐに寝入った。
朝、起きると枕元にお人形が着物を着ていた。そしてもう1つ毛糸で編んだワンピースが置いてあった。
それから、私はみんなにおかあちゃんが作ってくれたと喜んで言った。
この事を、亡くなる前におかあちゃんに「謝らないといけない事があるんや。」と言って
「私は、夜中に寝ずにお人形の服を作ってくれた事知ってたよ。でも、起きられなかった。
ごめんね。私、泣いてたよ。ごめんね。」
おかあちゃんは、きょっととしてた。そして「忘れた。」と言った。
けど、私は許してくれたんだと思った。それより怒ってなんかいなかったんだ。
私の喜ぶ顔をみておかあちゃんも嬉しかったんだね。
なんで今頃そんな事言うの。私はあんたの嬉しそうな顔が見れて良かった。
そんな気持ちだったんだね。涙を流す私の手を握ってくれた。
おかあちゃん、もっとたくさんのごめんがあります。
また聞いてね。
コメント (2)
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