マーシア伯レオフリック( -1057年)の妻。
名前の綴りは一定してしない。
アングロサクソン名は Godgifu または Godgyfu であり、これはgood giftを意味する[18]。
Godiva はラテン語風の綴りである。
イーリー大聖堂年代記 Liber Eliensis (12世紀末) によれば、ゴダイヴァという名の伯爵未亡人が1028-9年頃、死期を悟り同寺院に土地を寄贈したとあるが、もしこれと同一人物であるとすれば、その彼女が病状から回復して、そののちにレオフリックと再婚したことになる[19]。
レオフリックもゴダイヴァも共に信仰活動に熱心であった。
ロジャー・オブ・ウェンドーヴァーによれば、レオフリック伯が1057年に死去したとき、みずから建立したコヴェントリーの修道院に埋葬されたが、この建立は妻であるゴダイヴァ伯爵夫人の助言によるものであったという[20]。
このベネディクト会修道院、聖メアリーの小修道院(英語版)は、1043年に設立されたが[21][22]、修道院解散令に廃院となった 。
下って1050年代には、ウスター市の聖メアリー修道院 (St Mary's Priory) への土地の寄進状において、またリンカンシャー州のストウ村の聖メアリー教会(英語版)(Minster Church of St Mary, Stow in Lindsey)の建立勅令にも、ゴダイヴァ(Godgife)の名がレオフリックの名と連記されている[23][24] 。
さらに夫妻の名前はレオミンスター、チェスター、マッチウェンロック、エヴェシャムの教会堂の後援者として記録されている[25]。
1057年にレオフリックと死別した後、未亡人としてノルマン・コンクエスト後まで生き延びた。
ウィリアム1世による検地台帳「ドゥームズデイ・ブック」には、ノルマン人によるイングランド征服後もわずかながら残ったアングロサクソン人領主の一人として、また唯一の女性領主として記されている。
ただし土地調査が行われた1086年には既にゴダイヴァは死去していたとする説もあり[26]、1066年から1086年の間に死去したとする説、1067年9月10日をゴダイヴァの命日とする説など諸説ある[27]。
また、ゴダイヴァの墓所についても、夫の隣に埋葬されたとする説、すでに現存しないエヴェシャムの教会に埋葬されたとする説など諸説ある。
これらの史実から、コヴェントリーの街を裸で馬に乗って行進したという有名な伝説は事実ではないというのが歴史家の見解である[28][29][30]。
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