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悲惨だった朝鮮半島#戦後79年#南北で分けた終戦直後の在朝鮮日本人たち#2024年8月15日#吉永ケンジ

2024-08-15 16:04:46 | 連絡
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吉永ケンジ (よしなが・けんじ)
 ジャーナリスト、セキュリティコンサルタント
防衛省などで30年以上にわたり、対スパイ活動や海外情報収集などHUMIT(人的情報活動)の最前線に従事した元インテリジェンスオフィサー。
現在は、安全保障ジャーナリストとして活動しつつ、経済安全保障に関する脅威分析や産業スパイ、営業秘密漏洩、盗聴・盗撮などセキュリティインシデントに関して、企業へのコンサルティングや講演を行う。
また、修士(国際情報)、日本国際情報学会に所属し、主に韓国の政軍関係、情報機関、防衛産業をフィールドに学術研究する。
著書に監修
『わたしたちもみんな子どもだった 戦争が日常だった私たちの体験記』(ハガツサブックス)、
『1945年、26日間の独立 韓国建国に隠された左右対立悲史』(ハガツサブックス、翻訳)がある。
X(旧Twitter):@yk_seculligence
 
 
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・・・略・・・
■なぜ、南北で状況は異なったのか
終戦直後、朝鮮半島に残された日本人の運命が38度線という見えない境界線によって隔てられたことがわかっただろう。
だが、境界線の南北で何が異なり、運命に影響を与えたのだろうか。
 一つは、統治機関、特に軍隊の存在だ。
南朝鮮地域では、数日間の混乱は見られたが、日本軍が治安を維持したため、日本人の虐殺など悲惨な報復はほとんど起こらなかった。
また、米軍進駐後は、米軍政庁が軍政を敷き、日本人の早急な帰国を命じて、それを実現した。
 一方の北朝鮮地域では、ソ連軍に武装解除された日本軍がシベリアに送られたため、民間人は軍隊による庇護を受けることができなかった。
もう一つは、共産主義者による支配だ。
南朝鮮地域では、左右が集まった朝鮮建国準備委員会を共産主義者が乗っ取り、一時は朝鮮人民共和国の建国を宣言したが、米軍はこれを認めず、共産党を非合法化した。
 一方の北朝鮮地域では、ソ連と朝鮮人の人民委員会が支配権を持ったので、日本人への虐待が階級闘争として正当化され、被害を大きくした。
しかし、筆者は、朝鮮半島のみならず、外地での日本人の惨状に目を向けるとき、なぜそこに日本人が存在していたのかという点を深く自省しなければならないと考える。
現在の価値観で過去を裁くことは愚かだが、他国を侵略した国家と国民が恨みを買うという単純な事実は、現在のロシアを見ても明らかだろう。
 最後に、日本人の韓国と北朝鮮に対する感情が大きく異なるのは、本稿で記した終戦直後の日本人に対する取り扱いが大きく影響しているのではないかと指摘したい。
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