この三人には、共通する、目力があります。
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彼等に魅了されて、あの日18の九州の田舎者は、いつか見た、夢やら幻を、思い出しては、瞬きしながら、今日もまだ、あの音を探しながら、彷徨っているわけです。
(^ν^)
転がる石⁇
キリスト教文化での、転がる石とは、どこまでも転がり続けることの、ズームで眺めた、人の人生を意味するのに対して、仏教文化での、転がる石とは…人生を、川を流れる小石に例え、年齢とともに、人は生きながらに、少しずつ角がとれ、やがて、丸くなっていく。
つまり、ロングから眺めた、人の人生を意味しています。
たかが、そんなことを確かめるのに、ずいぶんと遠回りをしました。
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コテコテの日本人の僕には、ズン 1 ズン 2 ズン3~が欧米ミュージックなら、1チョイな2チョイな3チョイな~が日本ミュージックなのでした。
だから、ロックンロールを納得するのにも、それはそれは、長い時間がかかりました。
やっとこの年齢となって、その違いを理解できるようになりました。
(^^;;
そして、僕は僕の人生を転がりながら、流れ流れて、そして辿り着いた、新宿の片隅で、ロックンロールを聴いています。
今を生きているわけです。
まだまだ、丸くなるのは顔だけで、まだまだ、遥かな道程が、必要なようです。
それも、今だから、わかる感覚です。
ある意味、人生そのものが、千日回峰行なのだと思いました。
千日回峰行と言う修行を選択したお坊さんは、ロックンロールしたくなったお坊さんなのでしょう。
そして、その動機は、ご本人にしか、わからないものでしょう。
ミックジャガーや、ボブディランを見てると、千日回峰行を終えたお坊さんのように、見えてしまうことがあります。
ジョンレノンは、千日回峰行の途中だったのでしょう。
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来週から、人生、最後の挑戦をスタートします(^ν^)
限りなく不細工に、どこまでも転がり続けること。
それが、どうやら、僕がやっと辿り着いた、僕のロックンロールへの結論だと思いました。