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ノアの方舟・・ロマン1

2006-04-10 | 大事なお知らせU+203CU+FE0E
タイタニック号を発見したことで有名な探検家ロバート・バラード氏がこのたび、本格的に「ノアの箱舟」の調査に乗り出す予定であるという。バラード氏はタイタニック号の発見は言うまでもなく、沈没船探索のエキスパートとして、地中海中に沈んでいた古代の貿易船、イスラエルを出航して深海に沈没した古代フェニキアの船2艘を発見といった輝かしい功績を持でその名を知られる水中考古学者である。氏の今回の探索は『聖書』を主な資料とするという。探査計画の詳細はまだ明らかにされていないが、おそらくはトルコ、イラン、アルメニアの間に位置する、アララト山(標高5615㍍)にて行われる予定である。キリスト誕生以前から、アルメニアにはアララト山の山頂に箱船が存在するという伝説が残っている。古代、そして中世の人々はノアの箱舟がそこに漂着した状態で存在していることを当然のように考えていたのである。

例えば1316年、フランス人の僧侶オデリアはローマ教皇に宛てた手紙の中で、次のように記している。


”そこに暮らす人々は決してアララト山に登ろうとしません。なぜなら神がそれを好かないと考えているからなのです”

この言い伝えは19世紀まで信じられていたため、ノアの箱舟に関して本格的な調査はほとんど行われてこなかった。しかし1829年、初めてアララト山に挑戦したのはドイツの探検家パロット博士である。彼の試みは失敗に終わったが、ガイドを務めた現地人はノアの箱舟が山頂にある、しかし、誰もそこには到達できないだろうと語ったという。

そして1893年になると、当時の副司教を務めていたナリー氏によって、ある公式声明が発表された。声明によれば、彼は確かにその目でノアの箱舟を目撃したというのである。巨大な船が山頂の凍った湖に横たわっており、夏の強い日差しによって、その一部が溶け出し、船体の一部が山肌に露出していたという。19世紀の他の研究家達によれば、船体は氷とともに徐々に滑り出し、粉砕されて氷河の一部に成り果てのではないかと推測している。

また1916年夏、空軍偵察機に搭乗したリアテナント・ロスコフツキーとその乗員は山頂上空を滑空中、氷河の割れ目の中に巨大な船の一部分を目撃した。更に同じ年、およそ150人から編成されたロシアの調査団がアララト山の違う側面から山頂を目指し、船を発見したという記録もある。調査員は船の内部にまで入り船の樹脂や木の一部を採集し、写真を撮ることにも成功したが、その直後に第二次ロシア革命が勃発し、そうした貴重な発見の成果は革命の混乱の内に全て失われてしまったという。

しかし1949年、今度はアメリカの航空写真専門家が上空から山の斜面上に横たわる船の一部分らしき物体を撮影すると、1987年にはやはりトルコ空軍が再び同じものが撮影した。その後も、同付近にて同じような船体の一部と思しき物体の写真が数多く撮影されたのである。さらに1960年には、再びノアの箱舟目撃談が相次ぎ、ついに『聖書』に描かれたものと同一の箱舟らしきものさえ発見されたが、真相は未だ明らかではない。


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