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ノアロマン・・・・2

2006-04-10 | 大事なお知らせU+203CU+FE0E

 ノアの箱舟の漂着地とされるアララテ山は、標高五六一五メートル。日本の富士山より、さらに二〇〇〇メートル近くも高い山です。頂上付近は、夏でも溶けない万年雪と、氷河におおわれています。気軽に登れるような山ではありません。
 アララテ山は、大小二峰に分かれ、トルコ、イラン、ロシア三国にまたがるアルメニア高原随一の火山性高山です。この周辺には、箱舟にちなんだ地名が多くあります。南東の都市ナキチュパンは"ノアの着いた場所"の意味ですし、斜面や裾野には"マーセル=破滅の日"とか、"アホーラ=(ノアの)ブドウ園"があります。イラン側には"テマニン=(箱舟の)八人"や"エチマアジン=降り立った人々""エレバン=最初の出現地"などの由緒正しい都市があります。地元のアルメニア人も、昔からこの山を?マシス=世界の母?という意味深い名で呼んできました。


■アララテ山の上に箱舟がある!

 この聖なる山の上には本物の箱舟が放置されたままだと、古くから人々の間で信じられてきました。よく晴れた日なら遠方から望み見ることもできる、とされました。遠く紀元前三世紀に、バビロニアの歴史家ベロッソスは、当時すでに伝説化していたノアの箱舟について、こう書き記しました。
 「地元の住民は、この箱舟からマツヤニを削り取り、魔除けのお守りにしている・・・・」。
 それから時は移って、一三世紀イタリアの著名な旅行家マルコ・ポーロも、『東方見聞録』の中で、「箱舟は、山の頂上で万年雪に埋もれている」と記しています。箱舟に対する信仰は、とくに中世のあいだは絶対的で、その実在は疑われることがありませんでした。そして、登山して近づくことすらタブー視される時代が、一九世紀まで続きました。しかし、近代合理主義時代に入って一八九二年に、帝政ロシアのドロパト大学自然哲学教授フリードリッヒ・パロット博士が、アララテ山に対する史上初の公式登山を果たしました。彼はその際、アララテ山北東斜面のアホーラ村にある聖ヤコブ修道院で、箱舟から取った木材で作ったという聖像(イコン)を見せられています。
 ただ残念ながら、この修道院は、一八四〇年に起こったアララテ山の最後の噴火で、村もろとも壊滅してしまいました。そして聖像も、箱舟にまつわる数々の貴重な記録文献も、ことごとく失われてしまったのです。しかし、一八八三年の夏、全山を揺るがす火山性地震が発生したときのことでした。山の一部が崩壊して、箱舟らしき巨大な木造の船体が露出しているのが、地震の被害状況を視察にきたトルコ政府の委員たちの目にとまりました。船体は茶褐色に塗られた黒い木材で造られ、一部は折れていました。氷河の下から突き出していて、高さは数十メートル、長さは約一〇〇メートルと推定されました。委員会のメンバーは内部に入って、大きな区画を三つまで確認できましたが、その先は氷塊に埋まっていて踏み込めなかったとのことです。のしかかる氷河がいつ崩れ落ちてくるかも知れなかったので、委員たちはそれ以上の調査をあきらめて脱出しました。しかし、船体の様子からみて、船は山腹を氷河とともに滑べり落ちてきたらしい、というのが全員の見解でした。
      「"ノアの箱舟"ついに発見!」
 というニュースが、たちまちトルコから欧米にまで伝わりました。しかし、当時の新聞界や科学界の合理主義思想にはばまれ、そのニュースは頭から冷笑をあびせられました。こうして、結局は真偽を確かめるせっかくのチャンスも、失われてしまったのです。



■ジョージ・ハゴピアンの見た物体

 しかし、地元の住民の中には、アララテ山上の箱舟の実在を堅く信じ続ける人々が大勢いました。そのひとりが、ジョージ・ハゴピアンという、アルメニア生まれの元トルコ陸軍兵士です。彼は革命後のソ連に一時抑留され、その後アメリカに帰化して余生を送った人物です。
 ハゴピアンは一九七二年に他界しましたが、その二年前に、?箱舟調査財団?の専門研究者エリル・カミングズに対し、自宅で以下のような体験談を打ち明けました。ジョージ・ハゴピアンが初めて箱舟を見たのは、一九〇二年だといいます。当時まだ彼は一〇歳でした。その年は、雪の少ない年でした。二〇年に一度くらいそのような年があり、地元ではそれは"平穏な年"(スムース・イヤー)と呼ばれていました。
 その年のある日、叔父が、「お前をこれから箱舟のところに連れていってやる」と言い、ロバに食糧を積んで、ジョージを連れてアララテ山を登り始めました。中腹からは、険しさが増してロバが使えなくなったので、叔父は荷物を背負い、なおも登り続けました。八日後、立ちこめる霧の中に、とうとう巨大な岩のような塊が、たちはだかるように浮かびあがりました。まるで建物の壁のようでした。
      「これが聖なる箱舟だよ。さあ、手をかしてあげるから登ってごらん!」
 ジョージは、叔父の言うことが信じられませんでした。というのも、目の前の物体は、まるで船には見えなかったからです。
      「ほんとにこれが船なの、叔父さん?」
 それはまるで岩壁のように見えたのです。しかし叔父は、「まちがいなく船だよ。さあ、手をかせ。証明してやるから」と言って、叔父はジョージを肩車し、船の上に登らせました。そこから全体を見渡すと、それは確かに巨大な何かの物体でした。長方形の箱形で、普通の船とはまるで違い、むしろ平底のはしけ舟の形に似ていました。
      「船の中を見てみろ、穴を捜すんだ。そこからのぞいて、見えるものを言ってごらん」。
 叔父が下から叫びました。ジョージは、寒さと怖さにふるえながら、見回しました。確かに大きな穴がありました。そこは屋根みたいな感じで、その大穴の付近には、もっと小さい穴が五〇個くらいありました。平坦な屋根と見えるものには、船首から船尾にかけて幅の狭い突起部が走っており、そこに小穴がずらりとあいていたのです。小穴は、船の形にそって、一定間隔をおいて一列に並んでいました。
 ジョージはおそるおそる穴の奥をのぞき込みました。中は真っ暗で何も見えませんでした。彼は、ひざまずいてこの"聖なる船"にキスしました。そのとき、箱舟にはコケが生えていることに気づきました。緑色のコケが船全体を覆っていたのです。その上にうっすらと積もった雪をはらいのけ、コケの一部をはぎとると、下から現われたのは木目のある岩――いや、石化した木材の表面でした。
 そのコケのせいで、箱舟は柔らかくカビくさく感じられました。
     「あの小さな穴の列は何のため?」
 ジョージは叔父に聞いてみました。
     「空気穴だよ。ずっと昔、この船に乗っていた人間や
     動物に、どうしても必要だったんだ。
     特別の穴もある。ノアがハトを放った穴さ」。
     「みんなどこへ行っちゃったの?」
     「降りたのさ。みんな行っちまった。今ではすっかりからっぽなんだよ」。
 この箱舟が横たわっていた位置は、おそらくアララテ山のロシア側、北東斜面のアホーラ峡谷あたりで、標高五千メートルに近いあたりだったと思う、とジョージ・ハゴピアンは回想していました。

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