Since1994 "ROCK BAR" GLASSONION 高田馬場

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金曜日のコラム

2011-02-04 | 時代の光景U+203CU+FE0E
ものは言いようだ。

店の近所のExce・cafeは、空調も悪いこともあり、二階はタバコの煙りだらけで、阿片戦争前夜の香港みたいだった。

二階にきた健康カップルやエリート風ビジネスマン。
シーシェパードタイプな優生かぶれ外国人等は、呆れた顔して退散する。

それを見送る愛煙家等は、阿片に酔いしれた中毒者のごとく彼等を目線でじっと見送る。

タバコを卒業した僕はタバコの煙りも嫌いじゃない。
タバコを吸う女性には今昔色気を感じる。

だから全く気にならない。

つまり、中立な素敵なおじ様に成長したのだ。

エジプトのモバラク退陣を求めて民衆が綱引きをしているらしい。

馬場にも、モバラク大統領にそっくりのホームレスのおじ様がいる。

早稲田松竹となりのコンビニによく百円ショッピングにやってくる。
口癖が”オネェチャン頼むよ”である。
かつて、大山商店街ハッピーロードには、エリツィン元大統領そっくりのおじ様がいて、自転車で街を往来していた。

どっちが似てるかなぁと悩んだりする。

だから今問題視すべきは、bookfaceやTwitterが民衆運動に貢献したとか、新しいコミュニティーの形だとか‥公共の電波が当然のごとく報道していることにある。

公共性とは何‥!?

モバラク退陣が、もしもアメリカの意向だったらと考える人はおらんのか‥!?

イランのパーレビ退陣はどうだった‥!?
イラクは‥!?
ベトナムは‥!?
アメリカがモバラクを必要としなくなっただけじゃないのか。

アメリカの広報をやってるだけかもと‥まず疑うことじゃないのか。

そもそも民衆に力などあるはずがない。

民衆とは動かされ動くもの。
火砕流みたいなものだ。
火砕流となり初めて力となる。

火砕流は途中冷やされながら、ただの石になりながら、下流へとたどり着く。

毎度のことながら、火砕流のごとく勢いづいた民衆も、その多くが途中で冷やされては冷たい石になる。

そこが問題なのだ。
市民は適当なフットワークでいることだ。

民衆合戦の武勇伝が勝手に創作されて、やがてハリウッド映画となりビジネスとなる。

多くの犠牲者から一人の英雄を祭り上げ、ハリウッドスターが破格のギャラで主演し、社会派の真実の映画となりアカデミー賞候補となる。

そして、西洋から遠く離れたアジアの観客までが、映画に号泣し、やっぱりジョンだと平和を賛美しイマジンを唱う。

いつもその繰り返しだ。

アジアの反日家等も、その渡辺謙的なアホさを怒っているのかもしれないと思うことがある。

ジョンもここにいつも、諦めと無力と怒りと悲しみと孤独を誰よりも感じながらの葛藤の殉教者だった。

それを継承したのが、U2のボノである。

ボノは踊ってる自分、踊らされてる自分を知りながら踊ってみせる。
誰かが踊らなきゃいけないことを、誰よりも知っているから。

そして、踊れるのが自分しかいないことも誰よりも知っているからだ。

日本でそれをわかっていたのが”忌野清志郎”った。

それを継承してるのが”泉谷しげる”である。

自分も含めほとんどが、ただの憧れだけで生涯を終えるのだろうが、せめて、かっこいい男の形だけは確認しておきたいものだ。

わかるおじ様になろう。