“秀吉はいつ知ったか” 山田風太郎 2008年 筑摩書房 作者は、2001年になくなっているが、それまでのエッセーを集成したものである。今まで、信長が光秀に本能寺で殺されたことは、TVでいくどもなく見てきた。昨年の大河ドラマ“江”においても、いまも、光秀役の誰であったか俳優は忘れたが、信長に足蹴にされ、苦渋と、怨念の光秀の顔を思い出す。ところが山田風太郎はこのエッセーで、信長殺しの陰には、秀吉であったのではないかと説をたてた。信長が殺されたのは、秀吉が、毛利征伐へ出陣中のできごとであり、秀吉が小城高松城に水攻めなどという悠長な作戦をとり、50日もかけていたことが不審に思われる。これは、信長の功にするため、高松城まで引き出すための作戦であった。そして、信長が殺されてから、籠城相手との終戦処理や、光秀を討伐するまでの足取りが考えられないほどの周到な事などからして、秀吉首謀説を書いた。ナルホドあり得ることだなと思いながら面白く読んだ。
文章修業 1997年 岩波書店 水上 勉と 瀬戸内寂聴の対談集である。
新茶とアカシア 2001年度版ベストエッセー集 日本文芸家協会編
男性自身 これで最後の巻 山口 瞳 2005年 河出書房社刊 週間新潮に男性自身として、登場してから、31年9ヶ月 1614回も続いた長期連載エッセーである。その中から後半の抜粋したものである。
“蛙の子は蛙の子” 阿川弘之と阿川佐和子の 父と娘の往復書簡 筑摩書房 1997年