時は正徳4年(1714)1月の12日、第7代将軍徳川家継の母君月光院に仕えた筆頭奥女中「江島」は、月光院の名代として上野寛永寺・芝の増上寺に代理参詣。
これをチャンスとばかり、参詣もそこそこにかねて憧れの今を時めく色男・歌舞伎役者生島新五郎との「あいびき?」に大方の時間を費やした。別れを惜しみつつ帰城してみればもはや大奥門限はとうに過ぎて入城まかりならんという。この規律違反がついに江戸城を揺るがす大事件となって処刑された関係者50人に及ぶ大スキャンダルに発展した。世に言う「江島生島事件」である。
この事件の背景には、将軍母堂となった先の将軍の側室月光院と、これに嫉妬を隠さない6代将軍家宣の正室天英院との間にわだかまる女の争いが有ったがためであるが、もっと深層には江戸幕府の緊張感を亡くした政治的堕落が原因だったのである。
権力は、玄関を入ってすぐ裏口に出てしまうような貧乏家の作りとは違って、奥の院までの距離は遠い。その奥座敷は、公文書秘匿、かん口令等々によって隠微に隠されているので容易にその欠格を把握するのは難しい。しかし、そこはそれ上手の手から水が漏れるようにモラルの腐敗はひょんなところから発覚する。まして、ごく近い身内の中に反旗をかかげる人物が居れば腐臭はその割れ目から容易に外に漏れてくる。江島生島事件から300年、舞台は大江戸永田町1丁目6番1号内閣府庁舎。ここで、起こっているスキャンダル
「7日の衆院予算委では、和泉洋人首相補佐官が昨年8月の出張時、厚生労働省の大坪寛子官房審議官と共に私的に京都市内を観光したとされる問題に関連し、和泉氏と大坪氏が2018年9月のインド出張で、内部でつながった『コネクティングルーム』に宿泊したという『週刊文春2月13日号』の報道について野党側から質問が出た。和泉氏は姿を現さず、大坪氏は『和泉氏は当時、体調を崩してまもなく、医師でもある私が適任とされた』などと釈明した」(2020/02/07毎日新聞)。
「コネクティングルーム」なるものがどうなっているのか知らないが、こういう「閨房」情報は、ごく密着した内部からしか出て来ようがないことを思えば、政権内部に「月光院派」と「天英院派」という2派閥が争っている証拠なのだろう。官邸内部のモラルハザードが相当に侵攻している証左、政権の腐敗が最早ここまで進んでいるという氷山の一角なのではないだろうか???
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