〔6月の運気〕
6月の月盤には年盤と同じ四緑木星が中央に入ります。従って四緑木星のエネルギーが強化され、国民が情報に左右されやすい月になります。さらに坎宮に同会する九紫火星には破という障害をもたらすエネルギーが入り、表には出ませんが政治において道義に悖る意思決定がなされる懸念があります。九紫は官僚を意味し国家の規律を表すため、政府の決定事項に関して国民の厳しいチェックが必要になります。一方五黄土星は年月ともに天道によってエネルギーが活性化し、国家、政府、企業ともに難問に直面する中、新たな方向へ鍵を切ったものはまたとないチャンスを得て道を切り開きます。五黄土星の働きは先延ばししてきた問題を浮上させ決着させること。未成就のエネルギーを形にすることです。今までと同じ情報源で世の中の動きを把握し現状維持を貫こうとする国家、政府、企業は、今月から来月にかけて大きな岐路に立たされます。
〔2023年の運気の特徴を知る〕
今年の暦の年盤の中央には四緑木星が入っています。四緑木星は情報、交易など遠方に拡散していく動きが特徴となります。メディア、グローバル企業もその一つです。今年は既存メディアとグローバル企業の問題点が浮上し、破綻すべきものが破綻し、浮上すべきものが浮上するという動きが出てきます。これが2023年の天の運です。
一方今年は卯歳で東の気が強くなり、その反作用によって西の酉に歳破という障害をもたらす気が入っています。今年は東西のエネルギーバランスが崩れているため、長期に及ぶ東西との新規取引は難航し目的の成就は見込めません。また北西には五黄土星(五黄殺)が入り、反対の東南には三碧木星(暗剣殺)が入っています。従って北西東南に向けての新規取引も想像以上に難航します。これが地の運です。
但し今年の五黄土星及び三碧木星はそれぞれ天道という活性化をもたらすエネルギーが入っているため、逆凶の中に大きなチャンスがあるということも言えます。これが人の運です。こうした暦の読み取りにより、組織のトップは災いを事前に察知し、混乱を切り抜ける道筋を掴んでおく必要があります。
〔暦は運気のガイド書〕
このように暦を見ると良縁に恵まれる方位、障害のある方位など、様々な情報を読み取ることが出来ます。暦は地球の運行表であり、最も精密で実用的な運気のガイド書です。我々は何か目的をもってどこかに行く時、 初めて足を踏み入れる土地であれば必ず事前にそこはどういうところか、何に気を付けなければならないか下調べします。けれども運気に関して確認する人は非常に少ないのが現状です。これは自分の人生全般の方向性において、地図も確認せず、交通手段も確認せず、見知らぬところへ向かっているようなものです。運気を観るということは道に迷わない、本来の道筋を見失わないという意味があります。暦は自分の現状と今後の道筋を大まかに確認することができるため、暦とともに歩むと人生に安定感が増してきます。
〔暦に従うとは謙虚になること〕
暦に従うということは宇宙に対して謙虚になるということです。自分の運気は自分でコントロールするものですが、その自分の運気は天地人の相互的な関係において成り立つものです。自分だけの力で進んでいるようで、天と地の法則に準じて動き、人の縁に助けられながら歩んでいるのです。
天は謙虚な人に力を貸し鬼神は傲慢な人を損ねると易経に書いています。よき経営者とは天地人に対して謙虚な人です。「天」は時の運。運気の流れを見て事のタイミングを図ること。「地」は空間の法則。地球が持つエネルギーの特性を知ること。即ち方位の吉凶を知ることです。「人」は縁と心がけです。
謙虚とは天の時を知り、地の法則を知り、人の話に真摯に耳を傾け、分からないこと、知らないことにきちんと向き合うことです。昔の人はよく暦を活用して日常生活を営んでいました。暦を活用するとは天地人に対して謙虚になることを意味するのです。
〔人が運気の流れを変える〕
私が会社に勤めていた時の経験で、この人を採用してから人の入れ替わりが少なくなったという記憶があります。それまでは人の入れ替わりが激しく、店の運営がいつまでたっても落ち着かないということがありました。もちろん一定の期間を経ると開店した店は落ち着くものですが、それでもある人の採用によって入れ替わりがほぼ止まり安定軌道に入ったということがあります。
野球で言えば、ある選手が1軍の試合に出るようになってから俄然チームの勢いが出てきたということがあります。それ故その選手を控えに回した途端、なぜか同じレベルの選手を揃えているのに大量失点を期してしまうという試合を見ることがあります。この因果に気付く人はすぐに気付くことでしょう。一方気付かない人は人に指摘されてもその言説を信じないかもしれません。なぜなら経験からくる知識と固定観念が邪魔をするからです。勘の鋭い人はある選手の運気がそのチームの流れを変え、チーム全体の運気を上昇させているということに気付くのです。
〔相性は運気を変える〕
人の持つ気はチームの雰囲気をがらりと変えることがあります。気学的な理由はいくつかありますが、その中の一つに相性の効果があります。例えば十二支でいえば三合という最も相性の良い組み合わせがあります。三合は十二支の波長が最も強く連結する組み合わせです。例えば寅と午と戌を持つ選手が揃うと、何かに挑戦する時、その意欲にふさわしいポジションが与えられ、結果を得て地位を築きます。この組み合わせは四パターンあり、上記の他に申子辰、巳酉丑、亥卯未があります。この三合の十二支を持つ人がチームの中にいると強力な結束力が生まれ、三つの十二支の特徴を引き出しながら確実に成果を生み出すのです。
一方互いのエネルギーを削いでしまう十二支の組み合わせもあります。従ってある人が加わるとがらりとチームの雰囲気がよくなり、またある人が加わるとチームの勢いがなくなってしまうということがでてくるのです。こうした流れは相性の効果によって生まれています。このような人の運気の浮き沈みは十二支だけでなく九星の組み合わせでも生まれます。同じチームの中でもこの人の十二支が入るとチームの流れが良くなる。またこの人の九星が入るとチームの勢いが増すという九星があるのです。
〔運気の推移を知るリーダーとは〕
こうした人の持つ運気を知らずとも組織は動いていきます。但し運気の推移を知っているリーダーと知らないリーダーとの違いは長期的には明らかな差が出ます。“この選手を使うと今年はなぜかチームの勢いが出てくるぞ”と気付けばよいのです。この気付きを無視し、データで型にはめた采配をしたり、あるいはこうあるべきという強い思いが柔軟性を欠いたりすると、折角の運気の流れを逃してしまうことになるのです。以下の言葉は三国志の諸葛亮孔明が“草船借箭の計”(相手の陣から船に向かって放つ矢10万本を奪い獲った話)で魯粛に講じた言葉です。
「将たる身で、天文に通じず、地の利を識らず、奇門を知らず、陰陽を暁らず、陣の構えを見抜けず、兵の備えに明るくなければ凡才です。」
ここでいう「天文」は時の運気を知ること、すなわち暦を読み取ること。「奇門」は方位の吉凶を知ること。「陰陽」とは運気の浮き沈み、その機微を知ることです。将たる身でリーダーたるもの、運気の流れを敏感に捉えることが出来なければ勝てる戦にも勝てないということです。
(浅沼気学岡山鑑定所)
6月の月盤には年盤と同じ四緑木星が中央に入ります。従って四緑木星のエネルギーが強化され、国民が情報に左右されやすい月になります。さらに坎宮に同会する九紫火星には破という障害をもたらすエネルギーが入り、表には出ませんが政治において道義に悖る意思決定がなされる懸念があります。九紫は官僚を意味し国家の規律を表すため、政府の決定事項に関して国民の厳しいチェックが必要になります。一方五黄土星は年月ともに天道によってエネルギーが活性化し、国家、政府、企業ともに難問に直面する中、新たな方向へ鍵を切ったものはまたとないチャンスを得て道を切り開きます。五黄土星の働きは先延ばししてきた問題を浮上させ決着させること。未成就のエネルギーを形にすることです。今までと同じ情報源で世の中の動きを把握し現状維持を貫こうとする国家、政府、企業は、今月から来月にかけて大きな岐路に立たされます。
〔2023年の運気の特徴を知る〕
今年の暦の年盤の中央には四緑木星が入っています。四緑木星は情報、交易など遠方に拡散していく動きが特徴となります。メディア、グローバル企業もその一つです。今年は既存メディアとグローバル企業の問題点が浮上し、破綻すべきものが破綻し、浮上すべきものが浮上するという動きが出てきます。これが2023年の天の運です。
一方今年は卯歳で東の気が強くなり、その反作用によって西の酉に歳破という障害をもたらす気が入っています。今年は東西のエネルギーバランスが崩れているため、長期に及ぶ東西との新規取引は難航し目的の成就は見込めません。また北西には五黄土星(五黄殺)が入り、反対の東南には三碧木星(暗剣殺)が入っています。従って北西東南に向けての新規取引も想像以上に難航します。これが地の運です。
但し今年の五黄土星及び三碧木星はそれぞれ天道という活性化をもたらすエネルギーが入っているため、逆凶の中に大きなチャンスがあるということも言えます。これが人の運です。こうした暦の読み取りにより、組織のトップは災いを事前に察知し、混乱を切り抜ける道筋を掴んでおく必要があります。
〔暦は運気のガイド書〕
このように暦を見ると良縁に恵まれる方位、障害のある方位など、様々な情報を読み取ることが出来ます。暦は地球の運行表であり、最も精密で実用的な運気のガイド書です。我々は何か目的をもってどこかに行く時、 初めて足を踏み入れる土地であれば必ず事前にそこはどういうところか、何に気を付けなければならないか下調べします。けれども運気に関して確認する人は非常に少ないのが現状です。これは自分の人生全般の方向性において、地図も確認せず、交通手段も確認せず、見知らぬところへ向かっているようなものです。運気を観るということは道に迷わない、本来の道筋を見失わないという意味があります。暦は自分の現状と今後の道筋を大まかに確認することができるため、暦とともに歩むと人生に安定感が増してきます。
〔暦に従うとは謙虚になること〕
暦に従うということは宇宙に対して謙虚になるということです。自分の運気は自分でコントロールするものですが、その自分の運気は天地人の相互的な関係において成り立つものです。自分だけの力で進んでいるようで、天と地の法則に準じて動き、人の縁に助けられながら歩んでいるのです。
天は謙虚な人に力を貸し鬼神は傲慢な人を損ねると易経に書いています。よき経営者とは天地人に対して謙虚な人です。「天」は時の運。運気の流れを見て事のタイミングを図ること。「地」は空間の法則。地球が持つエネルギーの特性を知ること。即ち方位の吉凶を知ることです。「人」は縁と心がけです。
謙虚とは天の時を知り、地の法則を知り、人の話に真摯に耳を傾け、分からないこと、知らないことにきちんと向き合うことです。昔の人はよく暦を活用して日常生活を営んでいました。暦を活用するとは天地人に対して謙虚になることを意味するのです。
〔人が運気の流れを変える〕
私が会社に勤めていた時の経験で、この人を採用してから人の入れ替わりが少なくなったという記憶があります。それまでは人の入れ替わりが激しく、店の運営がいつまでたっても落ち着かないということがありました。もちろん一定の期間を経ると開店した店は落ち着くものですが、それでもある人の採用によって入れ替わりがほぼ止まり安定軌道に入ったということがあります。
野球で言えば、ある選手が1軍の試合に出るようになってから俄然チームの勢いが出てきたということがあります。それ故その選手を控えに回した途端、なぜか同じレベルの選手を揃えているのに大量失点を期してしまうという試合を見ることがあります。この因果に気付く人はすぐに気付くことでしょう。一方気付かない人は人に指摘されてもその言説を信じないかもしれません。なぜなら経験からくる知識と固定観念が邪魔をするからです。勘の鋭い人はある選手の運気がそのチームの流れを変え、チーム全体の運気を上昇させているということに気付くのです。
〔相性は運気を変える〕
人の持つ気はチームの雰囲気をがらりと変えることがあります。気学的な理由はいくつかありますが、その中の一つに相性の効果があります。例えば十二支でいえば三合という最も相性の良い組み合わせがあります。三合は十二支の波長が最も強く連結する組み合わせです。例えば寅と午と戌を持つ選手が揃うと、何かに挑戦する時、その意欲にふさわしいポジションが与えられ、結果を得て地位を築きます。この組み合わせは四パターンあり、上記の他に申子辰、巳酉丑、亥卯未があります。この三合の十二支を持つ人がチームの中にいると強力な結束力が生まれ、三つの十二支の特徴を引き出しながら確実に成果を生み出すのです。
一方互いのエネルギーを削いでしまう十二支の組み合わせもあります。従ってある人が加わるとがらりとチームの雰囲気がよくなり、またある人が加わるとチームの勢いがなくなってしまうということがでてくるのです。こうした流れは相性の効果によって生まれています。このような人の運気の浮き沈みは十二支だけでなく九星の組み合わせでも生まれます。同じチームの中でもこの人の十二支が入るとチームの流れが良くなる。またこの人の九星が入るとチームの勢いが増すという九星があるのです。
〔運気の推移を知るリーダーとは〕
こうした人の持つ運気を知らずとも組織は動いていきます。但し運気の推移を知っているリーダーと知らないリーダーとの違いは長期的には明らかな差が出ます。“この選手を使うと今年はなぜかチームの勢いが出てくるぞ”と気付けばよいのです。この気付きを無視し、データで型にはめた采配をしたり、あるいはこうあるべきという強い思いが柔軟性を欠いたりすると、折角の運気の流れを逃してしまうことになるのです。以下の言葉は三国志の諸葛亮孔明が“草船借箭の計”(相手の陣から船に向かって放つ矢10万本を奪い獲った話)で魯粛に講じた言葉です。
「将たる身で、天文に通じず、地の利を識らず、奇門を知らず、陰陽を暁らず、陣の構えを見抜けず、兵の備えに明るくなければ凡才です。」
ここでいう「天文」は時の運気を知ること、すなわち暦を読み取ること。「奇門」は方位の吉凶を知ること。「陰陽」とは運気の浮き沈み、その機微を知ることです。将たる身でリーダーたるもの、運気の流れを敏感に捉えることが出来なければ勝てる戦にも勝てないということです。
(浅沼気学岡山鑑定所)