西洋と東洋の狭間

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ポール・ニューマン

2007-05-27 07:44:30 | 映画
アメリカの顔、反逆児ポール・ニューマン引退
                              
米俳優ポール・ニューマンさん(82)が24日、現役を引退することを、出演したABCテレビの番組で表明した。
この中で、ニューマンさんは「自分が求めるレベルの演技ができなくなった」「記憶力も自信も創造力も失い始めた」と引退理由を語った。
今後はレストラン経営などに専念するという。
アニメ「カーズ」(2006年)での声優出演が映画界での最後の仕事となる。インタビューでは「この仕事を50年も続けており、もう十分だ」と語った。 (共同)

私には、若い頃のニューマンは、アイビー・ルックの似合う、代表的アメリカ青年の風貌があり、年齢を重ねる中でも、ヤンチャな面影が残る、洒落たアメリカ人を演じた名優であった。私生活ではジョアン・ウッドワードへの愛妻家でも有名で、六本の共演と彼女主演の二本の演出もし、また、スクリーン等のグラビアにも夫婦揃って仲睦まじく載っていた事が、つい昨日の様に思い出され、ご健在ではありますが、スクリーン上でお眼にかかれないのは、実に寂しい限りです。
本名:ポール・レオナルド・ニューマン
職業:製作者、俳優、監督、脚本家、(レーサー)
生年:1925年1月26日出身国:アメリカ
出身地:オハイオ州 クリーブランドハイツ
妻  ジョアン・ウッドワード
息子 スコットスコット・ニューマン
娘  スーザン・ケンダル・ニューマン
前妻と合わせて6人のこどもがいる。
オハイオ州クリーブランドで父親が町一番のスポーツ用品店を営む裕福な家庭に生まれ、子供の頃は意外にも体が弱かった。演劇好きの母親の勧めで児童演劇団に入団。7歳の時に学校劇『ロビン・フッド』の道化師役で舞台デビューを果たしたが、この頃は演じることが好きではなかった。12歳でクリーブランド・プレイハウスの児童部に入り、以後、スポーツにも励んでフットボールの選手として活躍。
やがて、高校を卒業すると、定職に就かず百科事典の訪問セールスなどをしていたが、第二次世界大戦が激化すると海軍予備将校訓練隊に入隊。三年間、軍隊に身を置く色盲のためパイロットになることができずに爆撃機の通信兵として太平洋戦争に従軍するが、実際の戦闘は体験せずに除隊した。除隊後は家業を継ぐことを嫌って46年、ケニヨン・カレッジに入学。大学ではフットボールに打ち込んでいたが、喧嘩が原因でチームを除名されてしまい、子供の頃にかじった演技に打ち込むようになる。卒業後は地方劇団を転々としながら幾つもの舞台に出演して演技修行に励み、49年には劇団で知り合ったジャッキー・ウィットと結婚。
50年に父親が他界すると家業を継いだが、店を弟にゆずって、演劇講師になるため同年イェール大学に進学、演劇科を専攻。学生演劇での演技がエージェントの目に留まってニューヨークに招かれると、テレビドラマや舞台の端役で生活費を稼ぎながら修行を積み、 52年にはその演技力が認められてアクターズ・スタジオに入学(同期にはジェームズ・ディーン、マーロン・ブランド)。ここで彼の演技に大きな影響を与えるメソッド演技を習得した。ブロードウェイの舞台『ピクニック』では初の大役を獲得。
その演技は高く評価されただけでなく、彼の才能に目をつけたワーナー・ブラザーズ社と5年間の専属契約を交わすが、『エデンの東』(54)の主役を逃し、映画デビュー作となった史劇『銀の盃』(54)は批評家に酷評され失敗作の烙印を押されてしまう。満足できる映画に出演させてもらえない上に、「第二のマーロン・ブランド」の触れ込みで売り出すスタジオや批評家のやりかたに失望したニューマンは、古巣のブロードウェイに戻って舞台『必死の逃亡者』やテレビドラマ『わが町』などに主演し、反逆児の異名を取り、その演技は絶賛を博する事となる。
56年にはハリウッドに戻って実在の世界ミドル級チャンピオンでプロ・ボクサーのロッキー・グラジアーノ(イタリアの種馬・世界ヘビー級チャンピオン、ロッキー・マルシアノとは、別人)の伝記映画『傷だらけの栄光』に出演。原作はグラジアノ自身とロウランド・バーバーの合作によるベスト・セラー小説、脚色は「重役室」のアーネスト・リーマン、監督は「トロイのヘレン」のロバート・ワイズ、撮影は「白鳥(1956)」のジョセフ・ルッテンバーグ、音楽はブロニスロー・ケイパー。主題歌は作詞サミー・カーン、歌手はペリー・コモ。ボクシングの基本とボクサーの体型を身につけただけでなく、グラジアノに会って彼の話し方や癖を研究するなど役作りのため入念なリサーチを行った。その甲斐もあって、ニューマンの演技は映画と共に高く評価され一躍注目を浴びる存在となった。 56年にはウィットと離婚。
哀調のトーチ・ソングをもって往年ブロードウェイの女王といわれたへレン・モーガンの伝記映画『追憶』(57)の後、『ピクニック』の舞台で知り合ったジョアン・ウッドワードと恋に落ち、オーソン・ウェルズ等との『長く熱い夜』(58)で初共演を果たしたことが切っ掛けで58年に再婚。 58年のテネシー・ウィリアムズの戯曲の映画化『熱いトタン屋根の猫』では、エリザベス・テイラーと共演、アカデミー主演男優賞に初ノミネートされた。映画作りでのスタジオの方針に不満を募らせていたニューマンは、ワーナーに50万ドル支払って契約を解消。
フリーになった彼のもとには出演依頼が殺到し、イスラエル建国を描くスペクタクル映画『栄光への脱出』(60)、ウッドワードと共演した『孤独な関係』(60)や『パリの旅愁』(61) (ルイ・アームストロング、シドニー・ポワチエ出演のジャズメン達のドラマ)などに出演。 61年の『ハスラー』では徹底したリサーチでプロのビリヤード・テクニックを身につけ、ビリヤードに人生を賭けるハスラー、エディ・フェルスンを熱演。 63年の『ハッド』では身勝手で無情なタイトルロールのカウボーイを演じて、アンチ・ヒーローとしての魅力を存分に引き出し女性ファンを虜にした。同年、エルケ・ゾンマー共演の『逆転』でのポール・ニューマンは当時37歳。実際にひょうきん者らしく、デビュー当時似ていると言われたマーロン・ブランドを真似て、サインする時“マーロン・ブランド”と書いてしまうのだとか。
シャーリー・マクレーン、ロバート・ミッチャム、ディーン・マーティン、ジーン・ケリー等、少し以外な共演のコメディ映画『何という行き方!』(64)、ソフィア・ローレンとの共演『レディL』(65)、ロス・マクドナルド原作の『動く標的』(66)では私立探偵ルー・ハーパーを演じて好評を博し、67年の『暴力脱獄』では自由を求めて脱出を繰り返す囚人ルークを演じて絶賛を浴びた。出演作の中には、黒澤明監督の『羅生門』(50)を、舞台はメキシコ、西部劇に置き換え、ほとんど話題にならなかった作品、マーティン・リット監督、ポール・ニューマン主演『暴行』(64)や、アルフレッド・ヒッチコック監督と組んだスパイ・サスペンス『引き裂かれたカーテン』(ジュリー・アンドリュース共演)など失敗作も少なくなかったが、青い瞳と端正なルックスのセクシーな反逆児としてのイメージは男女問わずに受け入れられマネーメイキング・スターとして安定した人気を保った。 68年には、シルヴァ・コシナ共演の『脱走大作戦』そして、監督業に挑み、妻ウッドワードを主演に迎えて孤独な女性教師の自立を描いた『レーチェル・レーチェル』を演出、映画は絶賛され、ニューマンの幅広い才能の一端を見せつけ、ニューヨーク映画批評家協会の最優秀監督賞を獲得する。
また、人権擁護、非核武装運動家として公民権運動や反戦運動などの政治問題にも積極的に参加し、68年には民主党大会でコネチカット州代表に選ばれ、その活発な行動は第36代合衆国大統領リチャード・ニクソンの反感を買って、「現政府に好ましくない人物」とまで言われ、73年にホワイトハウスが発表した政敵リストにあげられた。それでも彼は、人種差別の反対に止まらず、慈善事業にも積極的に参加している。

69年のロバート・ワグナー共演の『レーサー』ではリサーチのためレーシング・スクールに参加し始め、70年には映画監督ばかりではなく、製作にも乗り出し、この頃は、熱烈なカー・マニアとしても知られ、レースにも毎年のように出場する。
反核運動などに力を入れる一方、レースの世界にのめり込んで44歳にしてカーレーサーとしてデビュー。次々と記録を更新して同僚のレーサーからも一目置かれる存在となっただけでなく、75年には業界一のスピード狂でもあるカール・ハースとともに自分のチーム、ニューマン・ハース・レーシングを結成、CARTに参戦し、77年のデイトナでは5位、79年には、あのル・マン24時間耐久レースにも出場し、2位という華やかな成績を残した。
反核運動などに力を入れる一方、業界一のスピード狂でもある。カール・ハースとともにニューマン・ハース・レーシングを結成し、CARTに参戦した。あのル・マン24時間耐久レースにも出場し、2位の成績をあげている。
日本では、日産自動車のスカイラインR30型(1981年-1985年)のTVCMに出演しており、スカイラインR30型は、彼がTVCMに出演していた事で「ニューマン・スカイライン」の名で現在も親しまれている。
以後、82年にはダットサン280ZXに乗ってストックカー・レースに出場し優勝する等、日産のスカイラインのコマーシャルにも出演している。
最近でも79歳のポール・ニューマンは、米国最大の自動車耐久レース「デイトナ24時間」へ向けた公式テスト走行中にスピン事故を起こし、エンジン再始動で炎上したが、彼は無事に脱出し、健在振りを発揮していた。

69年には後輩のロバート・レッドフォードと共にアメリカン・ニューシネマ・スタイルのウェスタンで、ニューシネマ時代の女優キャサリン・ロス等と『明日に向って撃て!』に出演。実在の銀行強盗ブッチ・キャシディをコミカルに演じて生涯最高のヒットを記録し、同年にはマネーメイキング・スター第一位にも選出された。また、製作の自由を求めてシドニー・ポワチエ、バーブラ・ストライサンドと共に独立プロダクション「ファースト・アーティスツ」をも設立する事となった。
71年にヘンリー・フォンダとの共演で、自身監督第二作『わが緑の大地』、72年、アンソニー・パーキンスとの『ロイ・ビーン』、73年、ドミニク・サンダ共演の『マッキントッシュの男』等に出演後、再び73年にはレッドフォードと再びコンビを組でギャングをカモるペテン師の活躍を描いた『スティング』に出演。この脚本を書いたのは当時弱冠27歳のデビッド・S・ワードです。最初は監督も兼ねることになっていたのが、出演依頼を受けたレッドフォードの難色で、ジョージ・ロイ・ヒルに変更されたのだとか。さらにポール・ニューマンがこれを聞きつけ、「僕の役はないのかい」と言い出したため、結局、「明日に向かって撃て!」のトリオ再現になったのだそうです。
最初の脚本では詐欺師ゴンドーフは粗野で屈強な男という設定でしたが、ニューマンの個性に合わせて腕力よりも知力の洒落た男に書き直したのだとか。映画は大ヒットしただけでなくアカデミー作品賞を獲得。

74年には、100万ドルのギャラで出演したオールスター・パニック映画『タワーリング・インフェルノ』も大きな成功を収めた。裏話として、本作品では当時2大俳優として肩を並べる、今は亡きスティーブ・マックィーンとポール・ニューマンの二人だが、マックィーンにとって、ニューマンは憧れのスターであった。実は、マックィーンの映画デビュー作は、ニューマン主演の「傷だらけの栄光」だった。それも名前すらないチンピラ役。一方、ニューマンはデビュー作から主役を演じる人気者だった。常にニューマンを目標としてきたマックィーンは、必ずといっていいほど、似たような映画に出演していった。ニューマンがギャンブル映画「ハスラー」(61)に出演すれば、マックィーンは「シンシナティ・キッド」(65)に。カーレース映画「レーサー」(69)に出れば、「栄光のル・マン」(71)といったように、ニューマンの直後に似たジャンルの映画に出演している。
その二人が、この映画で見事な競演を果たした。しかし、今やビッグネームの2人。ポスターや本編クレジットの順番をどちらが先にするかでスタッフ一同、頭を悩ませてしまった。基本的に、ポスターや本編に出てくるクレジットは名前が先に出てくる方が主演であり、複数の名前を同時に出す場合は左(上)から右(下)と序列が決まっていた。マックィーンとニューマンを2人同時に出す事は簡単に決まったが、どちらが左側を取るかで揉めてしまった。結局、左側をマックィーン、右側のニューマンはマックィーンより上というように位置づけられた。

85年にアカデミー賞特別栄誉賞を受賞し、86年に念願の主演男優賞を「ハスラー2」で獲得した。
その後はヒット作の続編『新・動く標的』(75)、若手のロバート・アルトマン監督と組んだ『ビッグ・アメリカン』と『クインテット』(79)、パニック映画『世界崩壊の序曲』(80)などの失敗作が続いた。
最初の妻ウィットとの間に生まれた息子のスコットも父親の後を追って俳優となり、『タワーリング・インフェルノ』では父子共演を果たしたが、有名人の息子という重圧に耐えられずにドラッグや酒に溺れ、78年にドラッグと酒の過剰摂取が原因で死亡。ニューマンはスコットの死を無駄にしたにため、麻薬撲滅運動などにも力を入れ、ドラッグの弊害を描く映画やテレビ番組などに奨励金を与える「スコット・ニューマン基金」を設立した。
80年代に入ると、衰えを知らないルックスに円熟した大人の魅力を加えて『アパッチ砦ブロンクス』(80)、『スクープ・悪意の不在』(81)、『評決』(82)などに出演。濃厚な見ごたえのある演技で新境地を開拓した。

長年自家製のサラダを自慢していたニューマンは 82年に食品会社「ニューマンズ・オウン」を設立。ラベルにニューマンの似顔絵をあしらったホームメイド・スタイルのフレンチ・ドレッシングは好評を博し、ドレッシング以外にもスパゲッティ・ソースやポップコーンなどを製造。冗談で始めた事業は現在に至るまで莫大な利益を上げ、全ての純益は恵まれない子供達を支援する団体等に寄贈。その総額は82年以来1億5000万ドル以上にもなり、93年には、自らオーナーを務める食品会社「ニューマンズ・オウン」の純益の寄付としての慈善事業への取り組みが評されて、(サラダ・ドレッシングやミート・ソースは日本でも購入可能)アカデミー協会からジーン・ハーショルト友愛賞が贈られた。

85年には『熱いトタン屋根の猫』、『ハスラー』、『ハッド』、『暴力脱獄』、『スクープ~』、『評決』の演技で過去に6度アカデミー主演男優賞ノミネートされながら、一度も受賞していないニューマンに、アカデミー賞特別栄誉賞が贈られたが、25年後のエディ・フェルスンの姿を描いた、トム・クルーズとの共演『ハスラー2』(86)では念願のアカデミー主演男優賞を獲得。
その後も監督として『ガラスの動物園』(87)を演出し、俳優として『ブレイズ』(89)や『未来は今』(98)などに出演。少年の心を持った老人を演じた『ノーバディーズ・フール』(94)(その他出演、ブルース・ウィリス、メラニー・グリフィス)では、ベルリン国際映画祭、ニューヨーク評論化協会賞の男優賞を獲得。『メッセージ・イン・ア・ボトル』(99)では、息子役のケビン・コスナーを遠くから見守る、芯のある父親と悲しみを奥に隠しこんだ姿にモノ言わぬ存在感があり、忘れ得ぬ作品であった。また、それぞれアカデミー主演男優賞と助演男優賞にノミネートされた作品で、今回の引退で実質最後の作品となる『ロード・トゥ・パーディション』(02)をリアルタイムにて鑑賞出来た事は、長きに渡りニューマンを見てきたモノとしましては、幸せな事とも感じ、この役柄の様に自身でも静かに映画界から姿を消し、その決断の潔さからも、見事なまでに我々の記憶に一時代を残させた事では、アカデミー主演男優賞でしょう。
長い間、ご苦労さまでした。そして何時かまた。
『カーズ』(06)では、ニューマンは声の出演なのだが、「ルート66」への熱い想いがこめられた、知的で魅力的なフル3Dによる傑作品となっている。
(心ある人から誤字等の指摘があり、先に、読まれた方には誤った情報を流しました事で、お詫び致します。)
最近のキャサリンロス(サム・エリオットと夫婦で)UPします。




   

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ポール・ニューマンのニュース私も聴きました。 (アスカパパ)
2007-05-27 13:54:43
彼の出演作として、私は次の二つの映画が最も印象に残っています。
一つはあのブッチを演じた『明日に向かって撃て』(69)。もう一つは『評決』(92)です。

「正義は遠く、貧しい者は常に無力だ。私は法を疑う。正義よ。私は祈りたい。正義は誰の心にもある。」
『評決』におけるポール・ニューマン入魂の言論は、私の心に深く響いたものでした。

著名な俳優がその名を連ねる中に、彼も名優の一人として、映画史にその名を刻むでしょうね。
アスカパパさんへ (SUKIPIO)
2007-05-27 16:48:35
仰る通りですね。
法廷闘争等では、よく考えさせられます。
人間の誰もが持ちえる最高の特権でもあります正義、されど突き通すには、あまりにも困難が多く、その本質からの見える心理と隠れた正義。

『スクープ・悪意の不在』(シドニー・ポラック監督、1981年アメリカ映画)』
ミーガン・カーター(サリー・フィールド)はマイアミの新聞スタンダード紙の記者で、ある失踪事件の容疑者として主人公マイケル・ギャラガー(ポール・ニューマン)を記事にした事で2人の物語が始まります。
マイケルは“悪意の不在”を逆手にとって、特捜本部と新聞に頭脳戦を挑みます。
マイケルは、本当のことを教えてほしいと迫るミーガンに対して、「真実は簡単にはわからない。君が真実だと思っているだけだ。君の新聞に決めてもらう気はないね、俺が何者で、どうなるかなんて」と、言い放ちます。
物事の本質を見極める冷静さと、いわゆるオーソリティの言動を疑ってかかる用心深さ、そして何よりもイマジネーションの欠如によって悲劇を招き挫折を味わうミーガン。
ぎりぎりに追い込まれたとき、人間の本性が出るのかもしれません。

ニューマンは、本作に続いて翌年の『評決』と2年連続でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされています事でも、両作品の質の良さが窺えますね。
受賞するのは5年後の『ハスラー2』(同部門では7度目のノミネートにして初受賞!)までお預けとなりますが、この時期は、たくさん良い仕事をしているのは確かです。
「いのちの紐」 (korega)
2007-05-29 14:01:57
こんにちは。ニューマンファンなので恐縮ですがいくつか修正させてください。「いのちの紐」にニューマンは出演していませんよ(これはシドニー・ポワチエの主演です)。「何という生き方!」の正しい邦題は「何という行き方!」ですね。
Unknown (Unknown)
2007-05-29 16:16:12
戦争を考えるために、小林よしのり著『戦争論』を読んでみてほしい。

ここが考えるスタートだと思う。
koregaさんへ (SUKIPIO)
2007-05-29 17:23:28
貴重なご指摘、有難うございます。
特にファンの方には、大変な失礼を致しまして、申し訳ございません。
何時もの、投稿記事におきましては、ある程度の時間をかけて、自分なりに編集を致しておりますが、今回の様な「引退」と云うニュース性の高い要素があります事から、早急に投稿しなければならない為に、私がテレビで彼の「引退」の事を知りました時点で、その日の内に投稿致しました。
急ぎ、収集し、打ち込んだ作業に寄ります誤字とは云え、ニューマン氏には、許されない事であり、申し訳なく思っており、また、教えて頂きました事で非常に助かりました。感謝致しております。
誤字が、二箇所ありました事で内容が重なる為、申し訳ないのですが勝手ながら後のコメントは削除させて頂きました。
この様な場合、今後また間違いがあるとは思いますが、真摯に受け止め気をつけていきたいと考えております。
早速、修正させて頂きました。

彼の映画の全ては観ていない事から詳しくは分からない作品もあり、とりあえず主演に拘らず、出演された映画を載せたい意図からと、アン・バンクロフトは、私の好きな女優さんの一人であった事からも、この作品の少ない資料の中で、キャストに名を連ねていましたので、指摘された、シドニー・ポラックの傑作と云われています「いのちの紐」を入れた訳なのですが、当作品では出演は、されておられないのでしょうか。
バーバラ… (たそがれ)
2007-05-29 20:53:03
 『明日に向かって撃て」を録画し損なったので、結局は彼の作品は全然見ていません。
 バーバラ・ストライサンドと独立プロを旗揚げ…との記述がありましたが、『追憶」の女優兼歌手だったの…覚えてます。
たそがれさんへ (SUKIPIO)
2007-05-30 03:08:09
何時も、コメントを頂きまして、有難うございました。

たそがれさんが、ニューマンの映画を、あまり、ご覧になっていなかった事は、意外でした。

後期の作品ではありましたが、「メッセージ・イン・ア・ボトル」の彼が演じました父親像は見事で、私には印象に残りました。
明日に向かって撃て! (ミーシャ)
2007-06-04 16:36:37
SUKIPIOさん、こんにちは。
もっぱら映画はレンタルで楽しんでいるこの頃です^^
ポール・ニューマン引退ですか! 知らずにいました。
同姓からも女性からも好かれる役者さんでしたね。
最初に見たのは「明日に向かって撃て!」でした。
ロバート・レッドフォードと共演と言うのでワクワクしてました。「スティング」もそうですが。
「ハスラー」はテレビで観ました。主役はトム・クルーズでしたが、味わいのある演技でした。
一番印象に残っているのは「明日に向かって撃て!」かな~
アウトローの役が見事でした。
経歴を拝見して頷けるものがあります。俳優だけの人ではなかったんでしね。
ロバート・レッドフォードも良かったですね。 (SUKIPIO)
2007-06-11 12:35:35
ミーシャさん、コメント有難うございました。
そして、お返事が遅れまして、申し訳ございません。

仰る通り「明日に向かって撃て!」も、代表作ですね。
ウィットに富んだシーンも随所に入れながら、コミカルに描かれており、そんな事で逆に哀愁を感じさせる不器用な男同士の友情を、ジョージ・ロイ・ヒルが本当に上手くまとめ上げていました。
いくら追い詰められても決して悲観的に感じさせない二人の粋な台詞廻しからも、シナリオの素晴らしさが窺える様な作品でした。
これからは、過去の作品でし彼を見る事が出来ないのは、残念な事ですね。

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