現在F1も、ネルソン・ピケ、アラン・プロスト、ナイジェル・マンセルが引退をし、そしてあの1994年5月1日運命のサンマリノGP イモラ・サーキット、後続を走っているミハエル・シューマッハのオンボードカメラから310Km/hの彼とウィリアムズFW16がコースを右に外れ消える。コントロールを失った瞬間から0.2秒後には気づき緊急制御を試みたのだが制御不能、タンブレロ・コーナーのコンクリートフェンスに激突!ここに天才アイルトン・セナはフアンの望みと供に全てが停止に至ったのである。
その後、新たな王者としてF1に君臨し続けた、ミハエルも最年少記録を打ち立てる若きホープ、フェルナンド・アロンソに去年にタイトルを奪われ、引退の影が忍び寄る状況となっている。
(因みに、私のリアルタイム期では、ニキ・ラウダ、エマーソン・フィッティパルディ、今は亡き(サイドウェイ・ロニー)ロニー・ピーターソン達です)
当映画にも、F1ドライバーズ・ワールドチャンピオンのフィル・ヒル、グラハム・ヒル、ジム・クラーク、その後チャンピオンとなるジャッキー・スチュアート、又この年、映画冒頭のモナコGPから1カーエントリーのブルース・マクラーレン等がクレジットされています。彼らも役柄の現役ドライバーとして協力をし、当然レースでは車載カメラは改造したF1マシーンに搭載し、フェラーリ、BRM、ロータス等、実際のレースを撮影している事から臨場感あふれる迫力のあるリアルなシーンが収録されている。
シネラマでの鑑賞が、より素晴らしい結果になれた事は私にとっては幸運でした。
又1986~1991年のコンストラクターズチャンピオンにエンジン供給として貢献したホンダが撮影時コンストラクターズとして参戦していた時期であり、映画内に出てくる(矢村)三船敏郎は本田宗一郎、チーム・ヤムラは、ホンダ・レーシング・F1チームト推察される。
1966年度 アメリカ(MGM)
監督 ジョン・フランケンハイマー
製作 エドワード・ルイス
原作 ロバート・アラン・アンサー
脚本 ロバート・アラン・アンサー ウィリアム・ハンリー
撮影 ライオネル・リンドン
音楽 モーリス・ジャール
タイトル ソウル・バス
デザイン
出演 ジェームズ・ガーナー(アメリカ人、ピート・アーロン)フェラーリを解雇され、新たな所属先「BRM」に活躍の場を移す。
イヴ・モンタン(フランス人、ジャン=ピエール・サラティ)「フェラーリ」所属、ベテランで2度の世界チャンピオンに輝く。
ブライアン・ベッドフォード(イギリス人、スコット・スタッドフォド)「BRM」所属、今は亡き兄を目標としている。
アントニオ・サバト(イタリア人、ニーノ・バルリーニ)「フェラー リ」所属、元バイクのワールドチャンピオンで有望な新人。
三船敏郎(日本人、矢村)
エヴァ・マリー・セイント(ルイス・フレデリクソン)
ジェシカ・ウォルター(パット・ウィルソン)
フランソワーズ・アルディ(リーザ)
ジュヌヴィエーブ・パージェ(モニーク)
アドルフォ・チェリ(アントニオ・マネッタ)
映画は冒頭、心臓の鼓動(ドライバーと思われる)からゆっくりと立ち上がり、次の瞬間エキゾーストノーストの耳を引き裂く様なサウンドから一気にモナコGPのスタート。
(この音響からの振動を映像と共に共感する事が、物語への集中効果を上げた様にも思われた。)
「BRM」に移籍したアーロンには速さはあるが、マシーンを壊す事が多く、世界三大レースの一つであり、マシーンをパスする箇所が少ない上にコントロールが困難である(ヌーベルシケインの手前)事から、レース序盤でチームオーダーを無視したばかりか早くもクラッシュをしてしまう。その為にチームドライバーのスタッドフォードに重症を負わせてしまい「BRM」を解雇される。
(モナコGPでのマシーンが海に飛び込むシーンは序盤の見せ場でもある)
レースを無事終えても、それぞれには生きるべく厳しい現実があり、サラティは死と向き合う危険であるレーサーを辞めて、心配のない普通の生活を望む妻と仕事の板挟みに悩み、他のレーサー達も女性にかこまれる華やかな私生活や野望に燃える反面、精神・肉体の極限に挑む仕事である為に女性との問題を抱え、やはりアーロンも例外では無く、ある日妻と別れる羽目になる。
又、オファーもないアーロンは、一戦を解説者として実況の解説等をしていたそんな時、日本の自動車メーカーである矢村がコンストラクターズとして、アーロンのドライバーの腕を見込み、その誘いを受けた。
ドライバー間の誤解や、私生活の問題を引きずりながらも、ランス、ブランズハッチ、スパ・フランコルシャン、ニュルブルクリンク、と転戦の中アーロンは期待に答える成績を残して行くのである。
野心家であるイタリア人のバリーニ、確執するアーロンとイギリス人スタッドフォード、そしてフランス人のサラティが出した結論、最終レースでの引退をする為に、又それらを見守る女達それぞれの思いを胸に、決戦の場所モンツァ・イタリアGPは幕が切って落とされたのでした。
(この最終レースでのクライマックスを締めくくるモンツァサーキットの大きなバンクでの極限的な迫力、おそらく実際運転しているカットもあるのでしょうが、本番さながらの切れのあるスピード感と自然な視覚の描写からの緊張感が、バンクを転がる部品を視野にいれた時に頂点に達した) その時、部品の接触からサラティのフェラーリがコントロールを失い場外へと!
木にぶら下がっている彼は妻の約束を果たす事はなく、又アーロンは優勝を決めたのだが・・・。
この作品を見た当時の私には、印象は薄かったのですが、「男の子女の子」「もう森へなんか行かない」「さよならを教えて」のフランソワーズ・アルディが出演しており、又音楽には、「パリは燃えているか」のモーリス・ジャールで物語を支えておりました。
息もつかせないレースの描写からの実態感に付きそうなのですが、レーサーとしての立場による、恋人、家族、チームメイト、スタッフなどに対しての極限時での妥協を許さない精神と、その後の人に戻った時への微妙な心の葛藤がうまく次のレースへと進行されるレーサーの表現が本物の存在感として際立っていた作品でありました。
その後、新たな王者としてF1に君臨し続けた、ミハエルも最年少記録を打ち立てる若きホープ、フェルナンド・アロンソに去年にタイトルを奪われ、引退の影が忍び寄る状況となっている。
(因みに、私のリアルタイム期では、ニキ・ラウダ、エマーソン・フィッティパルディ、今は亡き(サイドウェイ・ロニー)ロニー・ピーターソン達です)
当映画にも、F1ドライバーズ・ワールドチャンピオンのフィル・ヒル、グラハム・ヒル、ジム・クラーク、その後チャンピオンとなるジャッキー・スチュアート、又この年、映画冒頭のモナコGPから1カーエントリーのブルース・マクラーレン等がクレジットされています。彼らも役柄の現役ドライバーとして協力をし、当然レースでは車載カメラは改造したF1マシーンに搭載し、フェラーリ、BRM、ロータス等、実際のレースを撮影している事から臨場感あふれる迫力のあるリアルなシーンが収録されている。
シネラマでの鑑賞が、より素晴らしい結果になれた事は私にとっては幸運でした。
又1986~1991年のコンストラクターズチャンピオンにエンジン供給として貢献したホンダが撮影時コンストラクターズとして参戦していた時期であり、映画内に出てくる(矢村)三船敏郎は本田宗一郎、チーム・ヤムラは、ホンダ・レーシング・F1チームト推察される。
1966年度 アメリカ(MGM)
監督 ジョン・フランケンハイマー
製作 エドワード・ルイス
原作 ロバート・アラン・アンサー
脚本 ロバート・アラン・アンサー ウィリアム・ハンリー
撮影 ライオネル・リンドン
音楽 モーリス・ジャール
タイトル ソウル・バス
デザイン
出演 ジェームズ・ガーナー(アメリカ人、ピート・アーロン)フェラーリを解雇され、新たな所属先「BRM」に活躍の場を移す。
イヴ・モンタン(フランス人、ジャン=ピエール・サラティ)「フェラーリ」所属、ベテランで2度の世界チャンピオンに輝く。
ブライアン・ベッドフォード(イギリス人、スコット・スタッドフォド)「BRM」所属、今は亡き兄を目標としている。
アントニオ・サバト(イタリア人、ニーノ・バルリーニ)「フェラー リ」所属、元バイクのワールドチャンピオンで有望な新人。
三船敏郎(日本人、矢村)
エヴァ・マリー・セイント(ルイス・フレデリクソン)
ジェシカ・ウォルター(パット・ウィルソン)
フランソワーズ・アルディ(リーザ)
ジュヌヴィエーブ・パージェ(モニーク)
アドルフォ・チェリ(アントニオ・マネッタ)
映画は冒頭、心臓の鼓動(ドライバーと思われる)からゆっくりと立ち上がり、次の瞬間エキゾーストノーストの耳を引き裂く様なサウンドから一気にモナコGPのスタート。
(この音響からの振動を映像と共に共感する事が、物語への集中効果を上げた様にも思われた。)
「BRM」に移籍したアーロンには速さはあるが、マシーンを壊す事が多く、世界三大レースの一つであり、マシーンをパスする箇所が少ない上にコントロールが困難である(ヌーベルシケインの手前)事から、レース序盤でチームオーダーを無視したばかりか早くもクラッシュをしてしまう。その為にチームドライバーのスタッドフォードに重症を負わせてしまい「BRM」を解雇される。
(モナコGPでのマシーンが海に飛び込むシーンは序盤の見せ場でもある)
レースを無事終えても、それぞれには生きるべく厳しい現実があり、サラティは死と向き合う危険であるレーサーを辞めて、心配のない普通の生活を望む妻と仕事の板挟みに悩み、他のレーサー達も女性にかこまれる華やかな私生活や野望に燃える反面、精神・肉体の極限に挑む仕事である為に女性との問題を抱え、やはりアーロンも例外では無く、ある日妻と別れる羽目になる。
又、オファーもないアーロンは、一戦を解説者として実況の解説等をしていたそんな時、日本の自動車メーカーである矢村がコンストラクターズとして、アーロンのドライバーの腕を見込み、その誘いを受けた。
ドライバー間の誤解や、私生活の問題を引きずりながらも、ランス、ブランズハッチ、スパ・フランコルシャン、ニュルブルクリンク、と転戦の中アーロンは期待に答える成績を残して行くのである。
野心家であるイタリア人のバリーニ、確執するアーロンとイギリス人スタッドフォード、そしてフランス人のサラティが出した結論、最終レースでの引退をする為に、又それらを見守る女達それぞれの思いを胸に、決戦の場所モンツァ・イタリアGPは幕が切って落とされたのでした。
(この最終レースでのクライマックスを締めくくるモンツァサーキットの大きなバンクでの極限的な迫力、おそらく実際運転しているカットもあるのでしょうが、本番さながらの切れのあるスピード感と自然な視覚の描写からの緊張感が、バンクを転がる部品を視野にいれた時に頂点に達した) その時、部品の接触からサラティのフェラーリがコントロールを失い場外へと!
木にぶら下がっている彼は妻の約束を果たす事はなく、又アーロンは優勝を決めたのだが・・・。
この作品を見た当時の私には、印象は薄かったのですが、「男の子女の子」「もう森へなんか行かない」「さよならを教えて」のフランソワーズ・アルディが出演しており、又音楽には、「パリは燃えているか」のモーリス・ジャールで物語を支えておりました。
息もつかせないレースの描写からの実態感に付きそうなのですが、レーサーとしての立場による、恋人、家族、チームメイト、スタッフなどに対しての極限時での妥協を許さない精神と、その後の人に戻った時への微妙な心の葛藤がうまく次のレースへと進行されるレーサーの表現が本物の存在感として際立っていた作品でありました。
三船敏郎が外国の俳優達と堂々と渡り合ってましたね。I・モンタンよりかっこ良かったですね。
渡辺謙もかんばっていますが、三船敏郎は
世界のミフネでした。
この作品ではありませんが、カンヌでの授賞式での熱狂的なファンに迎えられたミフネの貫禄が印象的でした。
J・ガーナーも若くてカッコ良いですね。
本当に懐かしいです。
そうですね、若いJ・ガーナー良かったですね。レーサーと言った特殊なカッコの良い職業の影響もあると思いますが、当時は憧れました。
この作品は、レースシーンと音の迫力が、一番のインパクトであったと思いますね。
しかし配役陣・スタッフも結構、それなりに豪華ですし、レースシーンの合間を良く盛り立てていた例の少ない良い作品だとおもいます。
TBして下さってありがとうございました!!
うわ~、これ、観てみたいです~。
迫力もありそうですし、ドラマもありそうですし、1966年の映画なんですね~。
現在のフォーミュラーより型はやはり古いですが、当時の懐かしい映像も楽しめる事と思われますし、迫力はありました。
私も、長くこの作品を再び見るチャンスはなかったのですが、たとえ、F1の放映にて車載カメラからの映像に見慣れている今でも、ストーリーがありますから、緊迫感は薄れる事は無いと思いますよ。
それから、車好きで有名なクロード・ルルーシュ監督の「男と女」の制作と同時期の伝説の映像「ランデヴー」全編約9分間の作品があり、まだ暗い早朝のフランスの市街地の公道を無許可にて、アクセル全開で疾走する映像も必見です。