ティファニーで朝食を (Breakfast at Tiffany's)1961年、パラマウント映画
スタッフ
監督 ブレイク・エドワーズ
原作 トルーマン・カポーティ
脚本 ジョージ・アクセルロッド
撮影 フランツ・プラナー
音楽 ヘンリー・マンシーニ
キャスト
Audrey Hepburn オードリー・ヘップバーン (Holly Golightly)
George Peppard ジョージ・ペパード (Paul Varjak)
Patricia Neal パトリシア・ニール (2 E)
Buddy Ebsen バディー・エブセン (Doc Golightly)
Jose Luis de Vilallonga ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ (Jose da Silva Perriera)
Dorothy Whitney (Mag Wildwood)
Played by a Cat (Cat)
Mickey Rooney ミッキー・ルーニー (Mr. Yunioshi)
解 説
今では、オードリー・ヘップバーンの代表作となった名作『ティファニーで朝食を』。
(先日、放映がありました、以下他方資料参考としました)
ヘプバーンがジバンシーの衣装を華麗に着こなして、(このファッションは世界的に話題となる)、持ち前の洗練された少女のような魅力で主人公ホリーを熱演し、テーマ曲「ムーンリバー」も印象的でスタイリッシュな感動的ラブ・ストーリー。
作家トルーマン・カポーティの私的小説の映画化。原作のトルーマン・カポーティは主役のホリー役には、複雑な家庭環境の中で育ち、本当に男性を愛することを知らず、明日のことは考えない名無し草のような若い女性。『ローマの休日』でプリンセスを演じたオードリー・ヘップバーンのような女性より、少し寂しい影を持ち、実際にドラッグやアルコール中毒に苦しみ、妖艶な魅力を持つマリリン・モンローが理想的であると考えていました。彼が小説の映画化権を65,000ドルでパラマウント社のプロデューサー、マーティン・ジェローとリチャード・シェパードに売り渡すと、二人は脚本家のジョージ・アクセルロードにモンローを念頭においた脚本の執筆を依頼し、ジョン・フランケンハイマーを監督に起用する。しかし、フランケンハイマーは3ヵ月後にプロジェクトから離れ、アクセルロードを誘って『影なき狙撃者』(62)の製作に取り掛かる。モンローはホリーを演じることに興味を示すものの、彼女の演技顧問だったポーラ・ストラスバーグに反対され、モンローに代わって彼女とは正反対のイメージを持つヘプバーンが起用される事になる。
人気のない早朝のニューヨーク。高級宝飾店ティファニーのショウ・ウィンドウの前で、タクシーから降り立つホリーゴライトリー(オードリーヘップバーン)、ティファニーのウィンドゥを眺めながらデニッシュをかじりはじめる。
バックに流れる「ムーンリバー」。とても都会的な雰囲気が醸し出されます。
このカットでは、ヘプバーンはデーニッシュが嫌いだったのですが、エドワーズに押され撮影を強行されます。
また、ティファニー内での撮影は店が定休日の日曜日に行われ、高価な宝石類が盗難にあわないよう、20人の警備員が監視する中で撮影は行われたそうです。
やはり見逃せないのはオードリがギターを弾きながら歌う「ムーンリバー」ですね。この曲は試写の段階でパラマウントの社長はこの曲をヘプバーンがギターを弾きながらバルコニーで唄うシーンが気に入らず、「あの歌は削ったほうがいい」という意見が出たのですが、オードリーが「絶対に削らせない」という一言で残った、というエピソードがあります。それだけ彼女は心をこめて歌っていたのです。
ヘンリー・マンシーニが作曲し、ジョ二―・マーサが作詞した主題歌であるこの「ムーン・リバー」は映画と同様に大ヒットを記録しただけでなく、数多くの映画音楽を手掛けたマンシーニの最大のヒット曲となり、第34回アカデミー主題歌賞をも取った名曲で、いつまでも残っていく曲となりました。
そして、映画の世界に惹きつけるもうひとつの要素として、非常に気の利いた演出があります。普通の人とは異なる行動がおしゃれにも見える。そのようなキャラクターとしてオードリー演じるホリーを描いていく。
オードリーは、貧しい境遇で育ったホリーを演じるにあたり、彼女の女優としての芽が出る前のロンドン時代の自分とホリーを重ねあわせて見ていました。その事で不安を乗り越える事ができた、と後に語っています。この作品で彼女は新しい魅力を大いに発揮してくれました。大女優としての地位を確定的に した作品でもあったのでした。
よって彼女は、この複雑なホリーの性格・個性を見事に演じきりました。
演出の妙技では、出かけるときに郵便受けの中から香水を取り出してさっと振り掛ける。物語りの要素でもある猫に名前をつけずに「猫」と呼ぶ。このホリーが飼う名前のない猫は840匹の猫から選ばれたもので、パットニーという立派な名前があり、映画のヒットによってホリーが飼う猫に似たオレンジ色の猫の需要は急激に高まる事になります。
また、ホリーだけにとどまらず、周囲の人々や撮り方にもしゃれた演出を見せる。ホリーの部屋で開かれるパーティーはその最たるものであり、映画の典型的なイメージの1つである、やたらと長いタバコが巻き起こす騒動。鏡に向って、笑ったり怒ったりする少々年配の女性、そしてその女性が流す黒い涙。階段を使った人の描写の面白さ。
パトリシア・ニール扮するハリーのパトロン"2E"は原作には登場しないものの、彼女の存在はペパードが演じた作家のキャラクターの生活にリアリティを与えており、変な日本人“ユニオシ”を演じるミッキー・ルーニーも強烈なキャラクターではあるが、(やや中国人と勘違いしている様で、少し雑さは窺えるが)プロットに深くかかわってくるわけではない。しかし、彼がいることで映画の印象は大きく変わる。それはただのロマンティックな物語ではなくなるという事になり、ホリーとその周辺の閉じられた空間だけで展開される物語ではなく、常にその外部とかかわっていくことでこの映画は成立する。その意味ではドクの存在も、本物の存在も同じく重要なもので、映画のつくりが非常に丁寧で、気が利いていて面白いといえるでしょう。
ホリーは大都会ニューヨーク、マンハッタン、アッパーイーストサイドの片隅のアパートに住むコールガール。いつかお金持ちの男性と結婚することを夢見ながら、自由気ままに生きながら、暮らしている。
1961年封切り当時には、どちらかというと優等生的オードリー・ヘップバーンがコールガールを演じたということでセンセーションを巻き起こしました。保守的な人は「コールガールが映画のヒロインになっては子供への影響がよくない」とボイコットされましたが、一方で大部分の人はオードリー・ヘップバーンの起用で小悪魔的な魅力、自由奔放さ、そして美しさに魅了され、ラストをハッピーエンドに変えられた事(原作ではホリーはブラジルへ旅立つ)でも、(彼の小説の映画化としても最大のヒット作)結果は大ヒット作となりました。
おおまかな・あらすじ
(T-1)(T-2)(T-3)
ホリー(オードリー・ヘップバーン)はニューヨークのアパートに、名前のない猫と住んでいる。朝帰りには、超一流宝石店「ティファニー」のショーウインドウを見ながらパンをかじるのが大好きだった。(T-1)
鍵をなくす癖があり。階上に住む日本人の芸術写真家(ミッキー・ルーニー)をたたき起こし開けてもらう。ホリーの念願は“ティファニー"のようなところで暮らすことである。
ある日、彼女のアパートに、若手小説家ポールが引っ越しいてくる。作家ということだが、タイプライターにはリボンがついていない。室内装飾と称する中年女がいつも一緒にいて、夜半に帰って行く。
ポールはホリーと知り合うと、さすがに作家らしく都会文化が生んだ理解し難いホリーの性格に興味を覚えるのだった。
ホリーも、ポールの都会の塵にまみれながらも純真さを失っていない性格に惹かれるのである。
ある夜、ポールの部屋の窓からホリーが入ってきた。彼女は“ティファニー"のことや、入隊中の兄のことを語った。時計が4時半になると「わたしたちはただの友達よ」と断わりながら、ポールのベッドにもぐり込んだ。
やがて、ホリーは彼を弟フレッドの名で呼び、ポールは、妖精のように捉えどころがなく時として少女のように純真なホリーに次第に心ひかれるようになる。(T-2)
パーティーを開いて、そこで知り合ったブラジルの紳士ホセが彼女に心惹かれる。(T-3)そんな中大騒ぎし、警察に踏み込まれたり、お金のために面会に行くと言って刑務所に行ったりで・・・。
彼女には、つきまとう男が多い。
ある日、男がアパートを見張っていた。
ポールが誘い出し問いただすと、テキサスから家出したホリーを夫が迎えに来たとの事であった。
ホリーは、結婚していたのだった。
夫と共に帰る事になるのだが、ホリーは、「私は行かない、私はもうルラメイじゃぁない・・・。」と、言う。そして苦しい心の理解を得て、男が一人乗るバスを見送るのだった。
一方、ポールもパトロンの女と手を切った。そんなとき、彼の短編が50ドルで売れた。
(T-4) (T-5)
ポールはホリーを誘って町へお祝いに、そしてホリーはポールを“ティファニー"に誘った。
憧れのティファニーにでは、お遊びで雑貨屋で万引きをしたりして、(T-4)二人の心には疑う余地はなかった。(T-5)
ポールはホリーを愛するようになり、告白するが、ホリーは、パーティで知り合った南米の紳士ホセと結婚し、ブラジルに行くと言い出す。
ある日、軍隊に入っていた愛する弟フレッドが自動車事故死したとの報が入り、ホリーは、部屋で暴れ出し泣き崩れるのだった。
そんな中、ホリーが面会に行っていたサリー・トマトが、麻薬密売で捕まり、そのことが新聞に載ってしまう。
麻薬密輸にまきこまれたホリーを警察からもらい下げたものはポールだった。
保釈されたホリーは、その足で空港に行こうとするが、ホセから別れのメモが。
(T-6)(T-7)(T-8)
だが、ホリーは、どうしても南米に行くと言い、タクシーから雨降る中に猫を棄てる。
一度は棄てた猫だったが、ホリーは、ポールに「もう自分のカゴに入っている。自分で作ったカゴをいつも持ち歩いているのさ。最後にはそこに逃げ込むんだ。」と言われる。(T-6)
そんなポールの真剣な気持ちに動かされ、(T-7)そして自分の間違いに気づいたホリーは、タクシーを飛び出し、ポールと共に猫を探し出し、抱きしめる。
そして、ポールとも・・・・彼の胸に顔を埋めるのだった。(T-8)
スタッフ
監督 ブレイク・エドワーズ
原作 トルーマン・カポーティ
脚本 ジョージ・アクセルロッド
撮影 フランツ・プラナー
音楽 ヘンリー・マンシーニ
キャスト
Audrey Hepburn オードリー・ヘップバーン (Holly Golightly)
George Peppard ジョージ・ペパード (Paul Varjak)
Patricia Neal パトリシア・ニール (2 E)
Buddy Ebsen バディー・エブセン (Doc Golightly)
Jose Luis de Vilallonga ホセ・ルイ・ド・ビラロンガ (Jose da Silva Perriera)
Dorothy Whitney (Mag Wildwood)
Played by a Cat (Cat)
Mickey Rooney ミッキー・ルーニー (Mr. Yunioshi)
解 説
今では、オードリー・ヘップバーンの代表作となった名作『ティファニーで朝食を』。
(先日、放映がありました、以下他方資料参考としました)
ヘプバーンがジバンシーの衣装を華麗に着こなして、(このファッションは世界的に話題となる)、持ち前の洗練された少女のような魅力で主人公ホリーを熱演し、テーマ曲「ムーンリバー」も印象的でスタイリッシュな感動的ラブ・ストーリー。
作家トルーマン・カポーティの私的小説の映画化。原作のトルーマン・カポーティは主役のホリー役には、複雑な家庭環境の中で育ち、本当に男性を愛することを知らず、明日のことは考えない名無し草のような若い女性。『ローマの休日』でプリンセスを演じたオードリー・ヘップバーンのような女性より、少し寂しい影を持ち、実際にドラッグやアルコール中毒に苦しみ、妖艶な魅力を持つマリリン・モンローが理想的であると考えていました。彼が小説の映画化権を65,000ドルでパラマウント社のプロデューサー、マーティン・ジェローとリチャード・シェパードに売り渡すと、二人は脚本家のジョージ・アクセルロードにモンローを念頭においた脚本の執筆を依頼し、ジョン・フランケンハイマーを監督に起用する。しかし、フランケンハイマーは3ヵ月後にプロジェクトから離れ、アクセルロードを誘って『影なき狙撃者』(62)の製作に取り掛かる。モンローはホリーを演じることに興味を示すものの、彼女の演技顧問だったポーラ・ストラスバーグに反対され、モンローに代わって彼女とは正反対のイメージを持つヘプバーンが起用される事になる。
人気のない早朝のニューヨーク。高級宝飾店ティファニーのショウ・ウィンドウの前で、タクシーから降り立つホリーゴライトリー(オードリーヘップバーン)、ティファニーのウィンドゥを眺めながらデニッシュをかじりはじめる。
バックに流れる「ムーンリバー」。とても都会的な雰囲気が醸し出されます。
このカットでは、ヘプバーンはデーニッシュが嫌いだったのですが、エドワーズに押され撮影を強行されます。
また、ティファニー内での撮影は店が定休日の日曜日に行われ、高価な宝石類が盗難にあわないよう、20人の警備員が監視する中で撮影は行われたそうです。
やはり見逃せないのはオードリがギターを弾きながら歌う「ムーンリバー」ですね。この曲は試写の段階でパラマウントの社長はこの曲をヘプバーンがギターを弾きながらバルコニーで唄うシーンが気に入らず、「あの歌は削ったほうがいい」という意見が出たのですが、オードリーが「絶対に削らせない」という一言で残った、というエピソードがあります。それだけ彼女は心をこめて歌っていたのです。
ヘンリー・マンシーニが作曲し、ジョ二―・マーサが作詞した主題歌であるこの「ムーン・リバー」は映画と同様に大ヒットを記録しただけでなく、数多くの映画音楽を手掛けたマンシーニの最大のヒット曲となり、第34回アカデミー主題歌賞をも取った名曲で、いつまでも残っていく曲となりました。
そして、映画の世界に惹きつけるもうひとつの要素として、非常に気の利いた演出があります。普通の人とは異なる行動がおしゃれにも見える。そのようなキャラクターとしてオードリー演じるホリーを描いていく。
オードリーは、貧しい境遇で育ったホリーを演じるにあたり、彼女の女優としての芽が出る前のロンドン時代の自分とホリーを重ねあわせて見ていました。その事で不安を乗り越える事ができた、と後に語っています。この作品で彼女は新しい魅力を大いに発揮してくれました。大女優としての地位を確定的に した作品でもあったのでした。
よって彼女は、この複雑なホリーの性格・個性を見事に演じきりました。
演出の妙技では、出かけるときに郵便受けの中から香水を取り出してさっと振り掛ける。物語りの要素でもある猫に名前をつけずに「猫」と呼ぶ。このホリーが飼う名前のない猫は840匹の猫から選ばれたもので、パットニーという立派な名前があり、映画のヒットによってホリーが飼う猫に似たオレンジ色の猫の需要は急激に高まる事になります。
また、ホリーだけにとどまらず、周囲の人々や撮り方にもしゃれた演出を見せる。ホリーの部屋で開かれるパーティーはその最たるものであり、映画の典型的なイメージの1つである、やたらと長いタバコが巻き起こす騒動。鏡に向って、笑ったり怒ったりする少々年配の女性、そしてその女性が流す黒い涙。階段を使った人の描写の面白さ。
パトリシア・ニール扮するハリーのパトロン"2E"は原作には登場しないものの、彼女の存在はペパードが演じた作家のキャラクターの生活にリアリティを与えており、変な日本人“ユニオシ”を演じるミッキー・ルーニーも強烈なキャラクターではあるが、(やや中国人と勘違いしている様で、少し雑さは窺えるが)プロットに深くかかわってくるわけではない。しかし、彼がいることで映画の印象は大きく変わる。それはただのロマンティックな物語ではなくなるという事になり、ホリーとその周辺の閉じられた空間だけで展開される物語ではなく、常にその外部とかかわっていくことでこの映画は成立する。その意味ではドクの存在も、本物の存在も同じく重要なもので、映画のつくりが非常に丁寧で、気が利いていて面白いといえるでしょう。
ホリーは大都会ニューヨーク、マンハッタン、アッパーイーストサイドの片隅のアパートに住むコールガール。いつかお金持ちの男性と結婚することを夢見ながら、自由気ままに生きながら、暮らしている。
1961年封切り当時には、どちらかというと優等生的オードリー・ヘップバーンがコールガールを演じたということでセンセーションを巻き起こしました。保守的な人は「コールガールが映画のヒロインになっては子供への影響がよくない」とボイコットされましたが、一方で大部分の人はオードリー・ヘップバーンの起用で小悪魔的な魅力、自由奔放さ、そして美しさに魅了され、ラストをハッピーエンドに変えられた事(原作ではホリーはブラジルへ旅立つ)でも、(彼の小説の映画化としても最大のヒット作)結果は大ヒット作となりました。
おおまかな・あらすじ
(T-1)(T-2)(T-3)
ホリー(オードリー・ヘップバーン)はニューヨークのアパートに、名前のない猫と住んでいる。朝帰りには、超一流宝石店「ティファニー」のショーウインドウを見ながらパンをかじるのが大好きだった。(T-1)
鍵をなくす癖があり。階上に住む日本人の芸術写真家(ミッキー・ルーニー)をたたき起こし開けてもらう。ホリーの念願は“ティファニー"のようなところで暮らすことである。
ある日、彼女のアパートに、若手小説家ポールが引っ越しいてくる。作家ということだが、タイプライターにはリボンがついていない。室内装飾と称する中年女がいつも一緒にいて、夜半に帰って行く。
ポールはホリーと知り合うと、さすがに作家らしく都会文化が生んだ理解し難いホリーの性格に興味を覚えるのだった。
ホリーも、ポールの都会の塵にまみれながらも純真さを失っていない性格に惹かれるのである。
ある夜、ポールの部屋の窓からホリーが入ってきた。彼女は“ティファニー"のことや、入隊中の兄のことを語った。時計が4時半になると「わたしたちはただの友達よ」と断わりながら、ポールのベッドにもぐり込んだ。
やがて、ホリーは彼を弟フレッドの名で呼び、ポールは、妖精のように捉えどころがなく時として少女のように純真なホリーに次第に心ひかれるようになる。(T-2)
パーティーを開いて、そこで知り合ったブラジルの紳士ホセが彼女に心惹かれる。(T-3)そんな中大騒ぎし、警察に踏み込まれたり、お金のために面会に行くと言って刑務所に行ったりで・・・。
彼女には、つきまとう男が多い。
ある日、男がアパートを見張っていた。
ポールが誘い出し問いただすと、テキサスから家出したホリーを夫が迎えに来たとの事であった。
ホリーは、結婚していたのだった。
夫と共に帰る事になるのだが、ホリーは、「私は行かない、私はもうルラメイじゃぁない・・・。」と、言う。そして苦しい心の理解を得て、男が一人乗るバスを見送るのだった。
一方、ポールもパトロンの女と手を切った。そんなとき、彼の短編が50ドルで売れた。
(T-4) (T-5)
ポールはホリーを誘って町へお祝いに、そしてホリーはポールを“ティファニー"に誘った。
憧れのティファニーにでは、お遊びで雑貨屋で万引きをしたりして、(T-4)二人の心には疑う余地はなかった。(T-5)
ポールはホリーを愛するようになり、告白するが、ホリーは、パーティで知り合った南米の紳士ホセと結婚し、ブラジルに行くと言い出す。
ある日、軍隊に入っていた愛する弟フレッドが自動車事故死したとの報が入り、ホリーは、部屋で暴れ出し泣き崩れるのだった。
そんな中、ホリーが面会に行っていたサリー・トマトが、麻薬密売で捕まり、そのことが新聞に載ってしまう。
麻薬密輸にまきこまれたホリーを警察からもらい下げたものはポールだった。
保釈されたホリーは、その足で空港に行こうとするが、ホセから別れのメモが。
(T-6)(T-7)(T-8)
だが、ホリーは、どうしても南米に行くと言い、タクシーから雨降る中に猫を棄てる。
一度は棄てた猫だったが、ホリーは、ポールに「もう自分のカゴに入っている。自分で作ったカゴをいつも持ち歩いているのさ。最後にはそこに逃げ込むんだ。」と言われる。(T-6)
そんなポールの真剣な気持ちに動かされ、(T-7)そして自分の間違いに気づいたホリーは、タクシーを飛び出し、ポールと共に猫を探し出し、抱きしめる。
そして、ポールとも・・・・彼の胸に顔を埋めるのだった。(T-8)
主題歌が最高だったし、この評価は今でも変らないようです。 ユーモアとペイソスが適度にMixされた私好みの映画でした。
オードリーのイメージとティファニーのイメージがうまく重なって、「オードリーの映画」というブランドが作られた様でもありました。
そしてムーンリバーの新鮮で都会的印象。ギター片手にそれを歌うオードリーはいやおうなく魅力的でしたね。
オードリは、戦争の影響から心の傷も、深かった様で、映画界を引退する頃までは、戦争と名の付くモノから、逃げていた様ですが。
その意味からも主人公の個性、そして微妙な性格を巧みに演じる役どころは、演じる枠を超えてしまう事になるかもしれないですね。
1967年の「暗くなるまで待って」では、緊迫感を大いに盛り上げた演技は本当に見事でした。
当然のことながらアカデミー主演女優賞にノミネートされました。
1959年の「尼僧物語」では、オードリは過酷なアフリカロケでの肉体の苦悩をモノともしませんでした。そこから多くのものを得て、そして「愛されるより、愛する事の方が大切だ」ということを学んだ様です。おそらく、この時の体験が、後の、ユニセフの運動に従事するきっかけの一つになったのでしょうか。
オードリーは私だけでなく、高校生の娘たちも大好きで、録画したものやDVDでいろいろな作品を観ています。私も、たまにBSなどで放映していると深夜でも観てしまいます。彼女の魅力を説明するのは難しいです。美しさだけでなく、内面からにじみ出るような温かいものを感じます。たぶん、女優オードリーと人間としての気高さみたいなものが魅了するのだと思ってます。今も彼女は素敵に年を重ねてますね。
この作品も一気に読んでしまう本のように、最後まで退屈させない! オードリーは作品にもにも恵まれましたね。SUKIPIOさんの記事で、オードーリーの世界に浸れ、気分が上昇しました(笑)
拝読しました。いつもながらの重厚な文で感嘆しました。私は些か辛口批評になっていますが、TBさせていただきました。感ずるものは十人十色と思っていただければ幸甚です。
この時代の映画は、いろんな意味でライフスタイルの
基本みたいな映画です。
シーンの一つ一つが蘇りますね。
ヘンリー・マンシーニーが映画のために作った「ムーン・リバー」は、音域の幅が狭いオードリーのために、歌いやすく作った曲が・・・・結果誰でもが親しめて歌える。
ヘプバーンとの情景が重なり、世界中で大ヒット。
H・マンシーニは「世の中に星の数ほどムーン・リバーはあけれど、ヘプバーンのが、文句なく究極のヴァージンだね」と語っている。
この曲のせつない感じは彼女にしか歌い尽くせないと。
「ムーン・リバーは1マイル」で始まるこの歌を
作詞したジョニー・マーサーも故郷の「バックリバー」をイメージして作り、ヘプバーンに魅了されたと言っています。この曲はやはりヘプバーンが一番。
映画は
M・ルーにーの日本人・滑稽でしたが、当時のハリウッドからみた日本感はあんなものだったのでしょうね。
素敵なコメント、有難うございます。
ミーシャさんのブログは、ゆっくりと拝読させて頂きます。
この映画の時、オードリーは32才になっていましたが、その優雅で軽やかな身のこなし、愛くるしい微笑み、素敵なファッションの着こなしなど、ヘップバーン好き人間にとってはたまらない映画であったと思います。
「オードリー・ヘップバーンのお話」で、ベスト1を「ローマの休日」、ベスト2をこの「ティファニーで朝食を」にした様なのですが、実はどっちも同じくらい好きとの事でした。
「ローマの休日」でのオードリーの初々しさとかでは負けますが、ストーリー、音楽等、娯楽芸術性では、こちらのほうが上回っているかもしれませんね。
名無しの猫は、ちゃんとタイトルロールにCATと載っていていました。
彼か彼女?の数々の名演技は、ミーシャさんにも堪らなく可愛いいと思った事でしょうね。
内容は、ほぼ分かっていましても、やはり当時の映画の背景からの懐かしや、自身のその時代の事が込み上げて来る様で、つい見てしまいます。
以前から、ブログにてオードリー・ヘップバーンの映画を記事にしようと思い、最初に「ローマの休日」か、「ティファニーで朝食を」の、どちらかで迷っていましたが、テレビの放映がありましたので、この作品を選びました。
いずれ、「ローマの休日」他もUPしたいと考えておりますので、その時も宜しくお願い致します。
彼の繊細な心が、あの様な曲を作れたのでしょうね。
オードリー・ヘップバーンも、生涯色々な思いから、悩んでいた様なのですが、精神的には、ショパンよりかなり、強かった様に思いますね。
ファッション・センスや、ヘア・スタイルも映画を表現する上で効果的でした。
大ヒットしました「ムーン・リヴァー」は、アンディ・ウィリアムスも有名で、その他にも色々歌われていましたが、やはりマンシーニも誉めていました様に、オードリーが一番いいですね。
オードリーの音域がわずか1オクターブしかない中で珠玉のメロディーをマンシーニは、書き上げてたと、何かで見た事がありましたが、本当なんでしょうか。?
映画では、その「ムーン・リヴァー」は勿論なのですが、それ以外のナンバーも質感といい、JAZZの要素が小気味よくブレンドされた素晴らしく小粋な曲もあり、その他センスの良い数々の音楽が楽しめました。
それ等の要素からも、映画自体が芸術作なのかもしれませんね。
Kjy96さんが仰る様に、当時のアメリカは、M・ルーニーの日本人と同じで、漫画でも、チャイナ服に手を前に組んだ男が、(作者の設定では日本人と思われ)「ハシモト」と名乗っていたのを、覚えています。
未だ、少し先の話では、ありますがアメリカ・ヨーロッパの旅に行かれる様なのですが、気をつけて、楽しんで周って来て下さい。
帰られてからのセンスの良い話が、大変楽しみです。