12月25日の記者会見で、川勝平太氏(静岡県知事)が、小保方学位問題に絡み早稲田総長の辞任を勧告したと言う。
早稲田の責任は軽くはないが、もともと早稲田の学位はあの位が相場だった気配だから、こんな段階で唐突に総長辞任を求めるのも、こじ付けの感じがしまする。
ついでながら、新制の学位は、アメリカでもピンからキリまで有り、論文だけで評価しているのではなくて、長期間の高度の専門教育の方がむしろ主体なので御座います。
流石に、早稲田はともかく、他大学ではどんなに落ちても、博士論文が昔の卒論並みと言うわけでは有りませぬが、卒論が四年間(旧制では三年間)の学部教育―昔は社会との比較に於いて相対的に内容も学生もレベルが非常に高かった。―を踏まえて学士になるためのもので有ったように、博士論文は五年間(現在では三年に短縮可)の専門教育の卒業認定要件の一つに近いものに変質しつつある。
ま、川勝氏は元早稲田の教授でもあり、自分は偉いんだから、総長より下の人間について言及するのは、自分の格が下がるからということで、総長を名指しにしたので御座いませう。
それでも、川勝氏の今回の振る舞いは時期の不自然さを含めて、なんとなくアザトイ。むしろそのまんま東を思わせまする。
左様で御座います。
(正確な言い回し方は読み返して見なければ分りませぬが、吉田誤報捏造のように、ドギツク記事を売るために「朝日的」に、ザ容疑者と書くような大胆さ乃至無防備さでは無かったつもりでしたが、)
小保方嬢が混入させた或いは混同した可能性が有るのであれば、それと同程度に若山氏の関与も想定されるというのが、愚の主張で御座いました。
今でも、基本的に変わっては居りませぬ。
無論、疑惑の蓋然性に数値的尺度が付くものであれば、現時点では、小保方嬢と、若山氏との間の差は、多少広がったでせうけれども、決して一桁違うわけでは有りませぬ。
一貫して小保方嬢一人に責任を被せようとした、毎日新聞のS田桃子記者や、このオナゴさん同様最近これ見たことかと同嬢の「虚言症」を書き立てて居るK田珠美様は、「女の敵は女」を絵に画いたようなもの。
当時の、特に早期の、野依氏やなんたら委員長氏は、如何にも二流の男としての政治的思惑の中に居た賤しく露骨な発想だったから、マタ別で御座いました。
ともあれ、若山氏が正義面をして「涼しい顔」で居るのは、いくら分野が違うとはいえ、同業者としても、人間としても、男としても、愚には今なお全く理解できぬので御座います。少なくとも「けじめ」として、進退伺位は出すべきだろう。
(蛇足) もしかしたら「進退伺」を、単なるゼスチャーのつもりで出したら、医学部教授会で受理されてしまう恐れが有るのかな。
蛇足の蛇足 もしかしたら、この人、○ナシ大学では既に「用ナシ」かも知れませぬ。
其のマタ蛇足 フト、この人の如何にも「真摯らしい」言動の中に、有名シロート球団でスキャンダルが起きたときの有名コメディアンのあの「Kちゃん」の渾身の名演技に通じるものを視たのだと思った。
(コメントだから写真掲載出来ませぬね。何か見つけたら後で本記事に載せませう。回顧に相応しい年の暮れだから。)
元?リケンのお嬢さんも、その程度の丁寧さは持っていて欲しかったが。自死した人事権者の意向は、そうではなかったのでしょうから、欲に駆られての杜撰さ(と見ますが)というのは、若気の至り(無知)ということで、一度のことなら勘弁してあげれば、という感じですね。
「混入」が事実なら、有力な容疑者で著名な方は、山地の方におられるというのが、主さんの見立てでしたね。
お見事でございます。
というのは…
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念のため、この人の原発に関する言動をググって見ました。†
そうしたら、要するに何も言って居ないのでございました。
検索結果の見出し数行を拾い上げると、
●浜岡原発は県民投票で決める‥知事再選(2013年6月)の公約で圧勝の原因だったらしい。
●浜岡原発については、事故時の避難などくちゃくちゃ問題を解決するように注文を出している。
ツマリ、反対などとは一度も言って居ないのだが、かなり多くの原発反対派「静岡県民」は、氏が強い味方だと錯覚して居る。
●静岡茶のセシウム汚染は、原子力何タラ委員のたった一人の主張だから検査せずと突っぱね、後日そののセシウム高濃度汚染がフランスの空港で露見したときも、飲むときは薄めるから問題は無いと主張した。(2011年6月)
●日本や世界のエネルギー政策や戦略としての原発について、述べた痕跡は、今までの所見当たらなかった。真に無かったのであれば、氏の正体も分かりやすくなる。
いや、有っても多くの人に印象を与える様な内容の有る主張は、要するにして居ない(出来ないか逃げて居る。)から、ネットの検索に掛からないと見て良いのではないか?
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† こういうときにググったりウィ繰ったりしたことを元に書くのは、以前の感覚では見っともなかったけれども、図書館の倉庫に一件毎に半日は潜り込んで厖大な新聞の山を調べて居た時代の事を思い出すと、弊害や限界の認識は別として、正当な調査手段の一つだと考えるべき時代が来たかと。
昔、彼の代表的著作(ひょっとして唯一?)も読みましたが、前半部の出来(悪いとは云わない)と後半部の陳腐さの落差に呆れました。
前半部は、ひょっとしたらどこかから引いてきたもので、後半部は、出来の悪い政策提案という読後感でした。
露骨に政治家転出を窺わせる代物であろうなと。以後は、御用学者崩れの自治体の長という評価でした。
原発については、どう云っていたか忘れましたが。
学位論文については、T大H学部の策略で、価値はグチャグチャ(分散値が大きすぎる。大学差だけでなく、学位授与グループ差すら大き過ぎる)に。
現在は、評価が出来るほどの基準になっていないのでは、と思いますが、アカデミズムに住む人たちの怠慢ですから、じわじわと「首」を絞めていくことになるでしょう。