現代文化の快楽

60年代に東大の文系・理系の大学院生がコラボして、他大学にも声を掛けて、横断的に作っていた現代文化研究会へのオマージュ

中国(二)  習氏の非礼

2014年11月16日 | 随想録

 

 (朝貢外交以下の無様で情けない光景)

 

習氏が安倍総理の差し伸べた手を拒み、再度求められて初めてソッポを向きながら握手に応じたのは、歴史に残すに値する非礼な映像になるでせう。

世界の人がどう見るかはともかく、日本人は未来永劫この映像を繰り返し観るべきでございます。

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しかし次の二つのことも、日本人として、同時に銘記すべきでせう。

1. 先ず、こういう時にいつも流される、「相手側は、国内向けにアーユー態度を示さなければならなかったのだ。」という説明の嘘。

これは外交上の失態や失敗、屈辱を糊塗するための、日本独特の、外務省や外交評論屋の常套的な虚偽説明でございます。

習氏自身に日本の総理への一片の敬意が有れば、あの態度は有り得ない。彼は独裁者ではないが、独裁政権の長なのだから、国民の目でなくて、見て居るならば世界の目でございます。

一見訳知りっぽい「物分かりが良い」だけの国内向け説明をいくら続けても、外交は出来ませぬ。

2. 習氏から見て、安倍氏と握手するのは、ナチス本流の末裔で、しかもヒトラー等を「これ見よがしに」祀っている施設の最も熱烈な尊崇者と握手するようなものだということ。

これは、ホンネとしても無いこととは言えますまい。 昭和天皇は、仮に東郷神社や乃木神社に東条等が合祀されたときにどう遊ばされたかは分からぬが、少なくとも靖国合祀は靖国を汚したものと思われたことは間違いありませぬ。

(これについて侍従某の記録が公開されたとき、櫻井よしこ[本名良子 奇しくも美智子皇后を苛め抜かれた先代皇后と字は同じ。]と皇室評論屋の神田某が動顚していたことは未だに鮮明に蘇りまする。)


中国(一)   スケート事故に思う

2014年11月16日 | 随想録

衝突事故で負傷した後の羽生の演技を、中国人男女アナウンサーが感動的な賞賛をしたニュースは、気持ちが良うございました。

しかし、ついでに気になったのが、「演技の間アナウンサーは黙って居たが云々」という日本人アナウンサーの口上。

「音楽付の演技の間は、喋るべきではない。」というのは、愚の信条でございますが、今回のことで図らずもそれが中国の(そして恐らくフィギュア伝統国の)習慣であることが確認できたのではありませぬか。

中国のアナウンサーは、羽生だったから黙って居たわけではないと思いまする。恐らくそれが当然の常識かマナーになって居る。

そうだとすれば、日本の方が格段にレベルが低いことになりまする。

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仲畑萬流に

〇 ジャンプの名だけ叫んでる解説者 (失名氏)

という作品が有りましたが、フィギュアスケートが音楽と一体で完成している物である以上、演技中は静かに楽しむべきもので、そうしない放送は、未開、野蛮、無教養、解説者或は広く体育関係者の精神の貧困を表しているものだと思いまする。※

日本では副音声の放送が出来るのだから、「ジャンプの名を叫ぶ」のはそれに委ね、、主音声は、演技中沈黙を保つべきでございます。

それが正しい態度であることの何よりの証拠は、オリンピックの記録映画では、演技中にこの種の「雑音」を入れるような監督は居ないことです。

 

※ 選手に対するリスペクトを欠き、視聴者を馬鹿にしている。