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『パントマイムの歴史を巡る旅』第30回(長井直樹さん(1))

2019-08-24 19:40:36 | スペシャルインタビュー
今回から『パントマイムの歴史を巡る旅』シリーズを再開し、現在、インドネシアで活動中の長井直樹氏に、長年にわたる活動を振り返っていただくとともに、同氏の師匠である並木孝雄氏および所属していた気球座について語っていただきました。
※インタビューは何十年も昔のことも触れているため、正確性を心掛けておりますが、100%正確でない可能性があります。ご了承ください。

■長井直樹氏(ながいなおき氏)プロフィール
東京マイム研究所にて並木孝雄に師事、1989年よりマイムトループ気球座に入団。学校公演やCM、イベントなどに出演する傍ら、昭和音楽大学・昭和音楽院などで非常勤講師を務め、身体表現の指導にもあたる。
2006年、インドネシアへ移住。バリ舞踏を取り入れ、インドネシアで活動。2012年、インドネシア・バンドゥンで国際仮面劇フェスティバルに、仮面を用いたパントマイムで参加。同年、帰国。マイムトループ★グランバルーンに加入、日本での活動を再開。2019年5月、再びインドネシアに活動の場を移す。

<インタビュー日時:2018年12月某日、於:中野の某喫茶店>
佐々木(以下、S) まず、長井さんとパントマイムとの出会いについて教えてください。
長井(以下、N) 出会いは、少し細川(紘未)さんと似ています。某劇団の研究所に在籍していたのですが、飲み会でそこの所長さんと意見の食い違いあり、ここではもう勉強したくないと思って上にあがらず辞めました。
阿部(以下、A) 一回辞めてから(東京マイム研究所に)来たのですか。
 そうです。継続しないで辞めたのですが、さあ、どうしていいか。次を考えていなかったので、どうしようと思って。
 それは幾つくらいのことでしょうか。20歳前後とか。
 それくらいです。それで、そのままその劇団に残っていた仲の良かった友人(Oさん)が細川さんの幼馴染で、彼が知り合いにパントマイムやっている人がいるから、遠回りするにしても面白いじゃないかと言われました。
 えっ、そうだったの。
 O氏から、細川さんの所属するパントマイム劇団(マイムトループ気球座)でたまたま並木孝雄ソロ公演があったので、彼から紹介されて中野坂上のスタジオに行ったら、並木先生が「時よ」と「ラプソディ」という作品を上演したのです。小作品を上演したかは覚えていませんが、多分、その2作品だけだったと思います。
 その時の印象はいかがでしたか。
 びっくりしました。1人でできてしまうんだ。それまでは、完全に芝居の頭でしたから、びっくりしたことを覚えてます。研究所でかじる程度で、マイムの技術的なことは分からなかったのですが、とにかく空間が見えたり、色々な無対象の物が見えたりするのがスゴイと感じました。あと、後から分析すると、並木先生の作品だから、大道芸的なテクニックを見せる作品でなく、演劇的なパントマイムというのが自分に合っていたと思います。もし、他の先生だったら別のイメージを持ったと思います。
 よく分かります。
 これは、並木先生に習った、あるパントマイミストも同じようなことを言ってました。

 それで、並木先生の公演を観てすぐ入ろうと思ったのですか。
 まだ、その時は、パントマイムを勉強して、1年で芝居に戻るつもりでいました。でも、気が付いたら、パントマイムに浸っていたんだね。まだ、1年も経っていない頃に、試演会か誰かの公演(当時はアトリエ公演が頻繁にありました)の打ち上げの時に、津野(至浩)さんか小島(小島屋万助)さんか愛也さん(本多愛也さん)か誰かに、「芝居に戻るのは、それはそれで良いけど、若いんだから、どうせだったら、2年間やって、卒公(卒業公演)やってから芝居に戻ったら。その代わり、言い訳できないくらい、本気でやれ。その過程を全部踏んでから戻った方が良いんじゃないか」と言われました。どうせなら、卒公を上演して一区切り付けて戻ろうと考えを改めました。その頃には、気球座の学校公演の稽古もよく観ていましたし、試演会などで音の編集や音響を担当していました。当時は、オープンリールの延長で、本当に切り貼りして編集していました。
 長井さんがそれをやっているイメージが大変強くて(笑)

 当時は、ヨネヤマママコさんやマルセルマルソーなど著名な方の舞台を観る機会はありましたか。
 ママコさんは、小学校か中学校の頃にNHKで舞台を撮影したような番組を観たのが最初です。マルソーさんは、東マ研に入ってから、五反田で1回観ました。当時は、ムメンシャンツも来日していて、昭和記念講堂で観たことがあります。結構、日本マイム協会(※現在の日本パントマイム協会とは異なる)を通してチケットを安く手に入れたりしてたんですよ。
 そんなことがあったのですか。
 自分が東マ研に入る前には、ロバートシールズが気球座の稽古場を借りたそうです。それで、彼が稽古をしているのをみんなが無料で観れてしまう。みんなが緊張して笑っちゃいけないと思って我慢していたら、それをロバートシールズが怒って、途中から稽古場を変えたという話を聞きました。
 そうなんですね。
 彼は、大道芸出身の人だから、反応がないとすごく嫌だったそうです。
 僕は、ロバートシールズは、サントリーのCMしか知りません。
 当時は、気が付いたら、学校公演の手伝いもしていました。東マ研に入って1年少し経ったら、プロジェクトPのメンバーがごっそりいなくなりました。考えてみると、彼らがいなくなるから、自分に残れと言われたのかもしれません。結局、メンバーがすっかりいなくなったので、当時は結構イベントが盛んで、細川さんと自分でイベントの仕事をかなり行っていました。
(つづく)

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