なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

働くことは、本来、必要悪である

2010-04-25 20:16:58 | 国内関係
 「なぜ働かないといけないのか?」と考えたことのある人は少なくないはず。僕もその一人。今日は労働について思ったことを、ちょっとダラダラと書いていきます。

 できれば働きたくない。でもご飯を食べていかなければいけないし、お金がなければ読書もできないし、自分のやりたいこともできない。だから働かなければならない。できれば、自分をもっとも評価(自分に見合った給料をくれる)ところで働くのがベスト・・・そんなことを考えています。

 こういう考えは、「若者らしくない」とよく言われます。しかし、少なくとも私の父の世代(団塊の世代)は、働いた結果、何を残したのでしょうか。父の世代で過労死した人は少なくないでしょうし、また、家族を省みず働き、その挙句に定年後家族から見向きもされないという人も少なくないように思えます(主観的ですが)。

 いまでこそ新聞を読まなくなりましたが、私は小学生のころ、新聞を読むこととニュースをテレビで見ることが好きでした。そして、自分の父親の働きようとニュースメディアから得られた情報から、「会社で働くことはとんでもなく大変なことである」と、幼いながらも思ったものでした。接待ゴルフ、モーレツサラリーマン、過労死、賄賂・・・社会はとてつもなく恐ろしいところだと、小学生にして思ったのです。

 その後、私も成長し、世間の冷たい風にさらされ、働くことのありがたさを感じてはおります。働いてお金を得なければ、生きていけないことを痛感しています。その意味で、働くことは尊いことです。

 しかし、「24時間仕事の事だけを考えろ」ですとか、「食べなくても感動で空腹を満たせ」といった言説には辟易しています。これは、私が幼い頃感じた社会への恐怖の正体そのものです。ある人間を、完全に会社のいいなりにするための都合の良い発言です。24時間仕事のことを考えるとは、フリーランスでない限り、24時間組織にしばられろということを意味しています。なぜなら、組織に勤務する人間にとって、仕事=組織だからです。そして、勤労を尊ぶ土壌を利用して、自らの利益のために人を働かせようとする戦略のようにも思えます。

 日本人は職人を尊ぶと聞いたことがあります。ですから、職人のようにひとつのことに打ち込むことを良しとします。勤労を尊ぶ土壌はここからきているのかもしれません。

 しかし、その反面、システムをつくることを苦手としています。典型的な例が、第二次大戦時の戦闘機です。日本は、優秀なパイロットが操ることによって絶大な能力を発揮する戦闘機(ゼロ戦)を作りました。これにより大戦当初は優位に立っていましたが、パイロットが疲労するにつれ、戦闘力を失っていきました。他方、アメリカは、ある程度の人間が操縦すれば、それなりに戦える戦闘機をつくったといわれています。つまり、優秀なパイロットを育成するは時間もかかり難しいが、ある程度のパイロットならば手軽に育成できると。その発想のもとに飛行機を設計し、またパイロットもそれに応じた訓練するというシステムを作ったのです。その結果は、歴史が証明しているとおりです。

 現在、日本の社会が苦しんでいるのも、システム作りがヘタな国民性に由来しているのかもしれません。

 こうしたシステム作りのヘタさを隠して、ひたすら人を働かせ、そして働けない人間を切り捨てるような企業の経営者が大手をふるっているような状態だと、たぶん、日本の将来はないでしょう。

 年間の自殺者が三万人とも言われる現在、働くことを必要最小限に抑えて回る社会をどうデザインしていくか、会社が潰れても人が潰れない社会をどうデザインしていくかが、日本の課題でしょう。さもなくば、働かないと餓えて死ぬ、働けば過労死か精神的に追い詰められ自殺するという、「出口なし」の社会が到来することでしょう。そうした社会が来たらどうするかって?私は、「和僑」として、海外に逃げます。