なんとなくそんな気持ちの日々に

本ブログは、もう更新の予定はありません。しかし閉鎖はせずに、記事を残しておきます。

最後に―当ブログ更新終了のお知らせ

2010-12-07 19:59:21 | 身辺雑記
 このブログをはじめてから、幾年の月日がながれました。最近は、私も本業が忙しくなり、このブログも更新できない状態がつづいていました。また、どうでもいい日常のこまごまとしたことは某SNSに書くことが多くなりました。

 当初は、ネットの片隅でひっそりとつぶやくことにブログの意義を見出していたのですが、私の周囲の環境がかわり、もっと積極的に世の中にでないといけないようになってきました。「つぶやく」という行為そのものに適した、twitterという便利なものがでてきたということもあります(やっていますが、ほとんどつぶやいていません・・・)。そして、自分の本なり論文なりをアピールするために、もっと、ネットをうまくつかわないといけない状況になりつつあります。

 そこで、ここらへんで、匿名で書いていたこのブログはひとまず更新を終了したいと思います。

 とはいえ、現在、実名でブログをやることを考えています。講義の概要とか、研究の内容とか、本の宣伝とか諸々のことを行う媒体として、ブログを使おうと思っています。

 読者の皆様、いままでありがとうございました。

ロースクールの表と裏

2010-07-31 02:24:31 | 身辺雑記
 日本のロースクール(法科大学院)は、いま曲がり角に来ている。教育内容に関することもさることながら、定員割れに直面しているところ、さっぱり司法試験合格者がでないところがあり、存立の危機にさらされているところもある。さらには、新司法試験の合格率が三割程度であったり、せっかく合格しても職がなかったりと、さんざんな事態になっている。

 このロースクール、そもそもなんのためにできたのか。ウィキペディアの「法化大学院」の項には、次のように制度導入の経緯が書かれている。

<引用開始>
法科大学院は、法曹の質を維持しつつ、法曹人口拡大の要請に応えるための新しい法曹養成制度として導入された。従来の司法試験において、受験生は、いわゆる司法試験予備校に依存し、受験技術を優先した勉強により合格することが増えたとされている(もっとも、後述のように、このような出発点における認識が受験者の実態を正確に反映していたかには疑問が残る)。こうした合格者の増加が法曹の質的低下につながるとの判断に基づき、また、従来の大学における法学教育よりも法曹養成に特化した教育を行うことで将来の法曹需要増大に対し量的質的に十分な法曹を確保するという目的の下、法科大学院制度は導入された。
<引用終わり>

 これだけ読むと、国内的な事情により制度が導入されたように思える。実際、そう思っている現場の大学関係者は少なくないだろう。

 ところで、米国の日本に対する要望をまとめた「年次改革要望書」というものがある。そして、ウィキペディアの「年次改革要望書」の項には、「米国側からの要望が施策として実現した例としては、建築基準法の改正や法科大学院の設置の実現、独占禁止法の強化と運用の厳密化、労働者派遣法改正、郵政民営化といったものが挙げられる」といった記述がある。

 つまり、日本のロースクールは、アメリカからの要望によってできたという側面があるのだ。年次改革要望書は、煎じ詰めるところ、日本におけるアメリカの権益を守る、あるいは広げるためのものである。

 おそらく、アメリカの企業が日本に進出する際に、使いやすい日本の法律家を育成する制度をつくりたかったという意図があったのだろう。アメリカと同じロースクール制度を導入すれば、アメリカ型の発想をする法律家ができるというわけである。

 実際のところは、そうアメリカの思うようにはなっていないだろう。また、幸か不幸か日本の経済は今低調であり、進んでやってくるアメリカ企業やアメリカの投資家は多くはないだろう。その意味では、ロースクール出身者の本来の活躍の場はないのかもしれない。

 根本的な問題として、アメリカからの要望が入ってきていることを隠し、あたかも国内的な要因だけをクローズアップして法化大学院を導入し、現在にいたっているのだが、それで本当にいいのだろうか。また、ロースクール間で司法試験合格者の数を競うだけになっている現状は、結局のところ、優秀な人材を疲弊させているだけではなかろうか。現状は、この制度そのものを批判的に見直す時期にきている。

事業仕分けがはじまりました・・・

2010-04-23 14:42:42 | 身辺雑記
 事業仕分けの第二弾前半の部がはじまりました。Yahooのニュースによると、「前半は独法を対象に土・日曜を除く28日までの4日間実施し、47法人計151事業を精査」するのだそうです(ソース

 この結果がどうなるのかはわかりませんが、「無駄を省く」という名目の下に、本当に必要なモノやヒトが削られることがないように祈るばかりです。

 私自身、俎上に載せられている某独立行政法人のことをそれなりに知っているのですが、お役所的で一緒に仕事がしにくく、また正規スタッフが現場を知らないことに愕然としたことがあります。その意味では、機構の改革と無駄の排除は必要です。しかし、公務員を減らせばすべて解決するような風潮は疑問です。

 そもそも、国会議員の定数もいまのままでいいのかという問題もありますし、国会にいくらお金がかかり、無駄な部分はどこか、政治家こそが身を正すべきでしょう。

 また、しばしば公務員や企業および政治家を叩いているマスメディアの側も、多額の公費が使われていわれている「記者クラブ」を自ら事業仕分けするぐらいの意気込みがほしいものです。

 さらに付け加えると、「民間の活力」とか「民間の知恵」を公的セクターにも入れるべきだですとか、「民間は厳しい競争でやってきている」というディスコースも、事業仕分けに関連してよく登場しますが、これはよくよく考えなければなりません。このディスコースには、しばしば、ネオリベラル的な経済活動がしやすいように、その意に従うよう公的セクターは再編成されるべきだとする論者が混じり込んでいるように思えるからです。

 経済活動の視点から見れば非効率的なことが、別の視点から考えると社会的に有益なこともあるかもしれません。企業経営者やエコノミストは、事業仕分けに関してこれからいろいろな意見を発信すると思いますが、経済の視点からだけで国家システムのすべてを語ろうとするのではなく、視野を広げた発言をしていただきたいものです。

記事を大幅に整理しました。

2010-04-17 18:17:04 | 身辺雑記
 これまでダラダラとこのブログに記事を書き連ねてきたのですが、思うところがあって、かなりの記事を削除しました。

 このブログはあまり私的なことは書かずに、どちらかというと社会評論(というのもおこがましく、ニュースメディアの感想に毛の生えた程度ですが)的なものにしていけたらと思ったからです。

 いや、そもそもこのブログは、社会評論的なものにしていくつもりだったのですが、時間がたつにつれ私的なことをダラダラと流し続けることになったという経緯があり、スタート時の意図にもどろうと思ったといったほうが正確かもしれません。

水俣でワシもそれなりに考えた

2007-11-25 22:56:24 | 身辺雑記
 水俣の出張から帰ってきました。せっかくの連休が水俣出張でつぶれてしまいましたが、人間の安全保障を研究する上で重要な示唆を与えてくれるところでした。
 現在、水俣は、自然が美しく、山の恵みも海の恵み豊富で、サカナ、肉、野菜、なんでもおいしいところです。「水俣病」という未曾有の人災によって一度ずたずたにされた人と人とのつながり(水俣病は患者だけでなくコミュニティにもダメージを与えたのです)を再生しつつある、そういうところでした。
 その再生の手法のひとつが、「地元学」です。これは、自分たちが地元にもともとあるものを「発見」して、見つけたものを組みあわせ新しいものを作り出し、自分たちに誇りをもつことを目的とするユニークな取り組みです。基本的なやり方を学んできましたが、これは人間の安全保障で重要とされているエンパワーメントという概念そのものでした。また、ちょこっとですが胎児性患者さんたちの授産施設も訪問することができ、患者さんたちが社会の中で生きていく望みを持っているという話を理事長さんから伺うことができました。
 このように水俣はすばらしいところなのですが、前回のブログでも書いたようにIWD東亜という企業による大規模な産業廃棄物最終処分場建設の計画が持ち上がっています。建設予定地にはいけませんでしたが、この会社が産廃物処分場が周辺環境に影響を与えないことを説明するのに、データを持ち出して、(水俣病を引き起こした)チッソより安全だと主張するということを聞いてきました。水俣市が産廃施設に反対する背景に水俣病があることは言うまでもありませんが、IWD側も水俣病を説明に出してきています。ここに、「水俣病」をめぐる表象の争いとでもいうべきものが起こっています。
 そして、高濃度ダイオキシン汚染土が見つかった百間排水路を見てきましたが、皮肉なことに、その近くには水俣病の小さな慰霊碑がありました。汚染土が海に影響を与えている様子は今のところありませんが、早期に処分しなければ、慰霊碑の意味がなくなってしまう気がしてなりません。
 人間の安全とは何かということを、いろいろな視点から考えることができる水俣という土地のことを、少しだけですが知ることができ、自分にとって有意義な出張となりました。

理想の大学人

2007-11-13 21:17:48 | 身辺雑記
 日曜日に出張したため、今日は代休をとった。そこで、久しぶりに引きこもり生活を送ってみた。好きな時間に昼寝をしたため、すこぶる体調がよいのだが、反面あまり楽しい生活ではない。仕事がなければ、図書館にでもいって勉強しているところなのだが・・・
 それにしても、なぜ人間は仕事をせねばならないのだと思うことがある。無論、勤労の義務の存在や、もっと端的に生活のためには働かねばならないという事実も知っている。仕事を通じて、生きる価値を見出すこともあるということも知っている。しかし、どうも人間は働きすぎのような気がする。
 最近の日本の労働環境はよいとは言えない。ワーキングプアの存在は氷山の一角である。研究業界に限ると、なかなか職は見つからないし(=屍が累々としている)、運よく職が見つかると研究職であるにもかかわらず膨大な雑務のため研究ができない(=生ける屍)状況である。研究には、適度な知的刺激と適度な休息が必要なのだが、最近の社会的環境はそれに反するものである。日本の優秀な研究者ほど、グローバルCOEやらなにやらで、自分の研究をさせてもらえない(もっとも優秀でない私には関係ない)。こうした状況は、少子化の影響と、社会の大学に対する過剰な期待に由来しているのであろう。
 しかし、世の中には、しかるべき地位に就き、必要最小限の授業の負担だけで、自由な時間を最大限確保している大学研究者がいる。私の前任校に所属する哲学を専門とするO准教授である。O准教授は、必要最小限の学部生を対象とする教養科目を担当し、ゼミは持っていない。学内委員会にも、どうやって抜け出したのか、まったく所属していない。以前は学部紀要の編集委員だったが(唯一の学内業務!)、現在は何もしていない模様である。学内の誰ともつるまず(学内に友人がいないという噂もある)、朝8時には研究室に姿をあらわし夜11時に去る生活は、哲学者らしく孤独に事実に向かうとは何かを身をもって示しているかのようである。私は、「日本のカント」と名づけようとしたぐらいだ。そして、有り余る時間を、研究室内での炊事と研究室外でのタバコと自販機コーヒー、そして研究に費やし、昨年ついに単著を出したのである。
 私は、O准教授こそ、理想の大学人の生活だと思っている。私は、O准教授になりたい。まぁ、大学の経営が厳しくなるとリストラ候補でしょうが…

セクハラ・アカハラ教員は追放すべきである

2007-06-19 20:08:35 | 身辺雑記
山形大教員がセクハラ…研究室の全員が被害訴える (ZAKZAK)

 山形大学農学部の教員が、研究室の学生に対しセクハラ・アカハラを行っていたとして、停職3ヶ月の処分になったとの記事。同大学は、氏名だけでなく、身分や年齢の公表を拒否しているという。
 このような大学当局の姿勢は、極めて生ぬるいといわざるをえない。大学の研究室内では、教員はある意味では絶対的な権力者である。したがって、その行動や発言には慎重になるべきである。また、件の教員が「ハラスメントのつもりは無かった」と弁明しているあたり、大学教員としての資質を疑う。そもそも、大学教員候補者(=現在フリー)は数多くいるため、この教員を追放しても新しい人材を入れれば、教育面・研究面でさほどの影響はないだろう。こうしたことを考えると、懲戒免職処分が妥当である。

最近テレビを見なくなってしまった

2006-08-31 19:25:17 | 身辺雑記
 ここ1年ほど、テレビを見る時間は一週間で平均2~3時間程度である。まったく見ない週もある。情報源は、新聞、インターネット、そしてラジオである。
 以前は、毎日見ていたが、昨年南アから戻ってからは、なぜかほとんど見なくなった。そもそも、最近のテレビがどうも面白く感じられない。妙に演出にこだわりすぎて、話の面白みをつぶしているものが多い気がするのである。僕的には、ラジオの方が、はるかに面白く感じられる。ましてや、地上デジタル放送に変わってしまったら、僕の家にいまあるテレビは使えなくなってしまう。買う金なんて僕にはないし、僕の偏屈な性格も災いして、ますますラジオ派になってしまう。テレビを見なくて唯一困るのが、最近出てきたお笑いの人たちのネタを観ることができないぐらいである。
 情報洪水といわれて久しい。今は、情報を得ることが出来る手段が格段に増えたので、意図的に情報源を絞るほうがいいような気がする。所詮、人間の頭で処理できる情報の数などタカが知れている。情報を得たいのならば、ネットで調べたり、徹底的に調べたいのならば、図書館に行って本を調べまくったり、あるいは行政情報ならば、情報公開法に基づいて資料を請求すればいいだけである。テレビをあまり見ないというのも、真面目に考えれば、情報洪水を乗り切るための一つの選択肢なのである。
 ところで、最近、あるラジオ番組を聴いて、これはすごいと思ったのは、ゲームの実況。あるゲーム機のソフトを「今日のお勧め」みたいな感じで紹介していたのだが、ひたすら想像だけが広がってしまった・・・。すげえぜ、最近のラジオ。この調子で、絵画展で展示されている絵の中継とか、鉄拳のネタのオンエアーとかをやってもらいたい。

景気回復とは何のことぞ?博士号取得者の待遇について

2006-04-03 14:10:27 | 身辺雑記
あるオーバードクターの死

 いそがしくブログ更新をほったらかしているうちに、永田議員が辞職を表明してしまいました。「議員は辞めたらただの人」ですが、永田氏が今後どうやって日々の糧を得ていくのか、気になるところです。
 さて、朝鮮日報の記事です。ドイツで博士号を取得された韓国人の方が、就職できず、自殺してしまったという痛ましい事件です。どうやらオーバードクターの待遇は、日本も韓国も変わらないようです。変なところで、日韓共通の社会事情を見つけてしまいました。
 僕は、6月末まで今の研究員というポジションが続くのですが、7月からはどうしようかと考えているところです。仕事を探しているのですが、なかなかありません。そうなると、今回の事件については、他人事とは思えません。明日はわが身です。