なんとなくそんな気持ちの日々に

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普天間問題とアメリカ中心的思考

2010-06-03 23:30:59 | 国内関係
 辞意を表明してしまった鳩山氏。後任には菅直人氏が有力だそうですが、はてさてどうなることか。

鳩山氏が首相の座から降りる原因のひとつが、普天間問題でした。「できれば国外。最低でも県外」と、アメリカと交渉したものの頓挫。結局、元の計画に近い線でまとまりつつあることに、世論の支持が得られなかったというのが、たぶん一般的なメディアの説明でしょう。

鳩山氏に首相としての資質については、私も疑わしいところが多々あったなと思います。しかし、普天間基地移設問題に関していえば、私の印象だと、マスメディアの論調は大きく二つの流れになってしまったことが気になります。

ひとつは、沖縄県に米軍基地が集中していることを問題視して、「最低でも県外」の路線を主張するもの。もうひとつが、日米安保体制維持の観点から、普天間移設案に反対する論調です。

一見、相反する論調なのですが、日本とアメリカの関係からでしか議論がされていないことが極めて問題だと思います。というのも、日本から遠く離れた(といっても、かつては日本の植民地だった)パラオの議会が、普天間基地を受け入れてよいといっているのです(ソース)。

もちろん、パラオに米軍基地が行ったら行ったで、さまざまな問題が生じるでしょう。「米軍基地はパラオに行け」と主張したいわけではありません。ですが、日本のメディアで、パラオ議会のことを報道したところはどれくらいあるのでしょうか。つまり、メディアは意図的かどうかはわかりませんが、議論を「わかりやすく」するために、国外移転の選択肢を封じて、県外の議論に収斂させてしまったのではないのでしょうか。

結局のところ、マスメディアは、「世界とは、アメリカであり、ときどきアジア、たまにヨーロッパが入る。だからアメリカのことだけ報道すればよい」と考えているとしか思えません。

アメリカ中心的な立場にから見れば、アメリカは、中国と北朝鮮ののど元にいつでも攻撃をしかけられる沖縄を手放すわけにはいかないのかもしれません。こうしたアメリカ発のものの見方を無批判に受け入れ、それを当然のこととして議論してしまうと、結局のところ「日本から米軍基地が撤退することを議論するのはけしからん」といったことになりかねません。そうなっては、日本人が米軍基地の是非を議論すること自体が無意味ということになります。

また、日本の知識人は自らの周辺環境に鑑み、暗黙のうちに当然の前提としている「アメリカ的なものの見方」を批判的に検討した上で、沖縄の基地問題を論じることが求められていると思います。しかし、こうした批判的思考をする知識人は、あまりにも少ない気がします。

もう少し、マスメディアと知識人(テレビなどに出てくるコメンテーターとか評論家連中)は、思考の脱アメリカ化を(今後中国が台頭すれば、脱中国化も)してもらいたいものです。