なんとなくそんな気持ちの日々に

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ロースクールの表と裏

2010-07-31 02:24:31 | 身辺雑記
 日本のロースクール(法科大学院)は、いま曲がり角に来ている。教育内容に関することもさることながら、定員割れに直面しているところ、さっぱり司法試験合格者がでないところがあり、存立の危機にさらされているところもある。さらには、新司法試験の合格率が三割程度であったり、せっかく合格しても職がなかったりと、さんざんな事態になっている。

 このロースクール、そもそもなんのためにできたのか。ウィキペディアの「法化大学院」の項には、次のように制度導入の経緯が書かれている。

<引用開始>
法科大学院は、法曹の質を維持しつつ、法曹人口拡大の要請に応えるための新しい法曹養成制度として導入された。従来の司法試験において、受験生は、いわゆる司法試験予備校に依存し、受験技術を優先した勉強により合格することが増えたとされている(もっとも、後述のように、このような出発点における認識が受験者の実態を正確に反映していたかには疑問が残る)。こうした合格者の増加が法曹の質的低下につながるとの判断に基づき、また、従来の大学における法学教育よりも法曹養成に特化した教育を行うことで将来の法曹需要増大に対し量的質的に十分な法曹を確保するという目的の下、法科大学院制度は導入された。
<引用終わり>

 これだけ読むと、国内的な事情により制度が導入されたように思える。実際、そう思っている現場の大学関係者は少なくないだろう。

 ところで、米国の日本に対する要望をまとめた「年次改革要望書」というものがある。そして、ウィキペディアの「年次改革要望書」の項には、「米国側からの要望が施策として実現した例としては、建築基準法の改正や法科大学院の設置の実現、独占禁止法の強化と運用の厳密化、労働者派遣法改正、郵政民営化といったものが挙げられる」といった記述がある。

 つまり、日本のロースクールは、アメリカからの要望によってできたという側面があるのだ。年次改革要望書は、煎じ詰めるところ、日本におけるアメリカの権益を守る、あるいは広げるためのものである。

 おそらく、アメリカの企業が日本に進出する際に、使いやすい日本の法律家を育成する制度をつくりたかったという意図があったのだろう。アメリカと同じロースクール制度を導入すれば、アメリカ型の発想をする法律家ができるというわけである。

 実際のところは、そうアメリカの思うようにはなっていないだろう。また、幸か不幸か日本の経済は今低調であり、進んでやってくるアメリカ企業やアメリカの投資家は多くはないだろう。その意味では、ロースクール出身者の本来の活躍の場はないのかもしれない。

 根本的な問題として、アメリカからの要望が入ってきていることを隠し、あたかも国内的な要因だけをクローズアップして法化大学院を導入し、現在にいたっているのだが、それで本当にいいのだろうか。また、ロースクール間で司法試験合格者の数を競うだけになっている現状は、結局のところ、優秀な人材を疲弊させているだけではなかろうか。現状は、この制度そのものを批判的に見直す時期にきている。